第21話:しん・おふ(Seeing off)

 隆紫りゅうじが泣きながら心の内をさらけ出してくれたのは昨日のことだった。辛いけど、待つことにした。

 あれからほとんど話もできないまま、翌日の学校が終わって庭の掃除をしている。


 じゃり


 ボーッとしていたあたしの目の前に、誰かが歩み寄ってきた。

「あなた、もしかしてくぬぎあかね様かしら?」

「はい。そうですが?」

 目の前の女性を見ると、脳裏にあのシーンが再生される。

「あっ!あの時のお嬢様っ!?」

 あたしが憧れて、見習いたいと思ったあの女性だった。

「ご無沙汰しております。わたくし、明先みょうせん麗白ましろと申します。ここで何をしていらっしゃるのかしら?お召し物を見る限り、働いていらっしゃるようですが?」

「はい。隆紫…様のメイドをしてます」

 つい呼び捨てにしてしまいそうなところを言い直す。

 わずかにお嬢様の顔が曇ったのを見逃さなかった。

 まさかあのお嬢様が、明先家の身内だったなんて…。

「少しお時間、よろしいでしょうか?何か言われましたら、わたくしが責任を取ります」

「はい。どのようなご用件でしょうか?」

 お嬢様は少しうつむき

「わたくしの弟、隆紫について…です」

 と答え、込み入った話だからと母屋にある一部屋へ招かれた。

 途中で紅茶を淹れ、トレーに載せている。

「うわぁ…さすがお嬢様のお部屋ですね。豪奢ごうしゃにして上品です」

 調度品は見た目で高価と分かるものの、成金趣味みたいな悪目立ちを決してせず、それでいてフェミニンな上品さを漂わせていた。

「お褒めいただきありがとうございます」

 物腰柔らかで、あたしが憧れたお嬢様そのものの姿は相変わらずだった。

 向かいのソファに座るときも髪やスカートを抑えて、膝頭を揃え、静かに腰をかけてから姿勢を整えている。

 振る舞い一つ一つが、思わず見入ってしまうほど美しい。

 あたしが真似しようとしても、決して到達できないことを思い知らされる。

 ヒラヒラと白を基調にしたドレスが、清楚さと気高さを演出していた。

 起伏が激しいながらもスラリとした体。顔立ちも美しく、まさに理想のお嬢様。

 応接ソファで囲まれた低いテーブルを挟んで向い合わせにして座った。

「聞くところによると、お淑やかな振る舞いを心がけていらっしゃるそうですね」

「はい…」

 麗白さんはひた、とあたしの目を見つめる。

「少々、無理をしていらっしゃるようにお見受けしますわ。何か理由がおありなのでしょうか?」

 理由も何も、きっかけが目の前に座っているのだけど、いざ本物を目の前にすると自分の未熟さ加減を思い知らされて口を閉ざしてしまう。

「わたくしが、影響を与えてしまったのですよね?」

 どうして…と思ったけど、かおるには本当のことを話している。

 そこから隆紫に漏れて知られても不思議はない。

「そのとおりです。正直、疲れます」

「ではおやめになった方がよろしいのではなくて?」

 にこりと笑顔を向けてくる麗白さん。

「わたくしは幼少の頃から今の立ち居振る舞いを徹底的に仕込まれました。今更変えようとしても、茜様と同じく自分らしさを曲げるのに疲れてしまうと思います」

 そう…だよね…。

 影響を受けた本人の言うことは、薫が幾度となく指摘してきた言葉よりも重く、強く心に響いた。

「それでは本題に入ります。茜様、あなたはどのような経緯いきさつで弟のメイドをしていらっしゃるのでしょうか?隆紫や猿楽からの説明だけでは納得しかねます」

「それは…」

 家族の運送業が全国展開を間近に控えて経営難に陥ったこと。

 明先グループに入ったこと。

 融資の条件としてあたしが専属メイドになること。

 ざっくりとお嬢様に話した。

「そうでしたか。わたくしの愚弟ぐていがご迷惑をおかけして申し訳ございません」

 頭を下げるお嬢様の後ろ髪がふわり、と肩を撫でて前へ回り込む。

「いえ、おかげで自分の気持ちに気づくことができました。届かない想いですが…」

 返事をする代わりに、あたしの目を見る。

「…そうですか。隆紫を好きになったのですね」

「はい」

「ということは、いずれわたくしたちは親戚同士、ということになりますわね」

 クスッと微笑む麗白お嬢様。


 ボッ!


 結婚を意識して、一気に顔が火照ってしまう。

「い、いえ…それは無理だと思います。気持ちは伝えましたが、何も答えてくれませんでしたから…」

 麗白さんは微笑みから真顔に戻り、少し目線を落とす。

「そう…でしたか。その前に、これからお話する過去を聞いてもお気持ちが変わらなければ…の話ですね」

「過去…?」

「まず、わたくしは茜様…いえ、櫟ご一家に謝らなければなりません」

「はい?」

「茜様の姉について…事故の件です。わたくしは今、海外の事業を任されていて、時間の合間を縫って昨日こちらに来ました。あまりゆっくりはできないのですが、茜様に過去をお伝えすることはわたくしの責任ですので、時間を割かせていただきます」

 淹れた紅茶を一口含む。

 とても上品なその飲み方に、あたしは目を奪われる。

「明先財閥はご存知のとおり、様々な事業を手掛けています。その巨大さゆえに、グループ会社間での物流も整備してあります。しかし、それはあくまでも明先の各事業から流通業者に卸すところまでの物流です。本州に五拠点、北海道と九州と四国にそれぞれ二拠点ずつあります」

 カチャ、とカップを手に持ったソーサーに置く。

 あらゆる所作が美しいと感じてしまう。

「わたくしは受け持つ事業の一つとして、明先ロジスティクスという物流事業を任されていました。そこで思いつきまして、国内の一般向け物流サービスを提案して、推進していました。しかし役員の考えは違っていて、今から全国へ展開するには時間とコストがかかりすぎるということで、提案は却下されました」

 ソーサーに置いたカップごと、テーブルに置く。

「そういうことなら、わたくしはすでに全国展開している、または全国展開間近の物流を会社ごと買い上げようと思い立ちました。そんな時に出会ったのがあなたの姉、くぬぎさくら様です」

 あたしはハッとなった。

「まさか…」

「はい。わたくしは桜様の話を聞いて、まもなく全国展開を控えている状態にも関わらず、資金繰りが悪化したとのことで、それならば明先財閥で子会社化して資金調達も融通することを提案しました。わたくしの描く物流サービスと、櫟家の資金難両方を解決できる、と…」

 ふう、とお嬢様は軽く息をして続ける。

「そこで役員を説得するため、桜様のお宅にお邪魔して打ち合わせをしました。その時に茜様もお見かけしたのを覚えています。明先こちらが不足しているもの、説得に必要な材料、様々な情報を提供しました。その情報を元にプレゼンテーションの資料作成をご一緒させていただいたのです」

 そんなことが…。

「明先本社ビルにも来ていただき、隆紫りゅうじも時々同席させて打ち合わせをしました。ですが…プレゼンテーション当日、わたくしは過ちを犯しました。いずれは財閥を継ぐ者として、明先本社ビルでプレゼンテーションに同席するよう、当日に急遽きゅうきょ隆紫を招待したのです」

 見ると、お嬢様はわずかに肩を震えさせていた。

「隆紫は経営のセミナーに参加した後、ギリギリのスケジュールになっていたプレゼンテーションに参加するため…タクシーの運転手を強く脅迫し、激しく追い立ててみちを急がせたのです。桜様はギリギリまで資料作成をしていたためとても焦っていらしたようで…明先本社ビルへ急ぐあまり、交通量が少なく見通しの悪い本社近くの道路を無理に横断をした桜様は…隆紫が急がせたタクシーと接触して…」

「…もういいわ。ありがとう。教えてくれて」

 お嬢様は小さくかぶりを振り

「いえ、まだ続くのです。それを知ったわたくしはプレゼンテーションを直前にキャンセルしました。桜様が運ばれた病院へ急ぎ、危篤きとくのため応急手術が行われ、手術後も重篤じゅうとくな状態でした。無理を言ってわたくしと隆紫は…桜様に面会をして、意識が朦朧もうろうとしている桜様に謝罪しました。桜様はほとんど返事もできず、苦しそうで…わたくしは心が押しつぶされそうになりました」

 顔を手で覆う麗白さん。

「後日、桜様の訃報ふほうを知りました。とても大切な方を失ってしまったと、隆紫も深く悲しんでいました。そして…桜様とわたくしが進めていたこの件を、隆紫が引き継ぐと言って聞かなかったのです。ついに根負けしたわたくしは、不安を抱えながらも隆紫に任せることを決意しました」

 だから…あれから姉あての連絡がなかった…?

「隆紫は責任を感じているのです。櫟家に悲しみをもたらしてしまったことを深く後悔して、櫟家の誰にも知られることなく…せめて贖罪しょくざいをしたい。隆紫はたとえ恨まれても構わないから、櫟家のためにできることをしたいと、寝る間も惜しんで櫟託送便を救うため、学生であるにも関わらず大人の役員相手に一歩も引くことなく根回しをしました」

 それで…降って湧いたように明先グループ化の話が…。

「結果、根負けした役員たちは半ばなげやりとなりながら、隆紫に運輸事業のすべてを任せる重責を負わせて、学生でありながら明先ロジスティクスの取締役という二足のわらじを履くことになったのです」

 ……それと…あたしがこうしてメイドにさせられたことは、どんな関係が…?

「なぜ、櫟家への贖罪を決意した隆紫があなたをこうしてこき使うのか、それはわかりません。ですが、まさか本当にメイドの姿までさせているとは予想すらしていませんでした」

 話し終わる頃には、お嬢様はうずくまったまま涙声になっていた。

 ………やっとわかった。

 姉が進めていた案件の正体。

 姉の死後、進めていた案件の関係者から連絡が途絶えたこと。

 そしてなぜ明先から突然の合併話が飛び出してきたのかまで。

 隆紫が…姉の役目を果たそうと…成り代わったんだ…。

「ごめんなさい…わたくしが、あなたの姉をあやめてしまったのです…わたくしが罪をあがなうべきところでしたが、隆紫の熱意に負けてしまいました…茜様とご両親に…早く打ち明けるべきところを…隆紫に引き継いですぐ、物流事業を解任され、海外事業に任命されて…すぐにでも海外へ発つ必要に迫られ…お伝えするのがここまで遅くなってしまいました。本当に…申し訳ございません」

 涙が止まらないのか、顔を抑えたまま頭を下げてくる。

「もういいわよ。それをずっと悩み続けて…辛かったわね…」

「本当に…ごめんなさい…」

 姉を失ったのは、確かに辛かった。

 けどもう過去のことだし、仕方のないことはある。

「このことを茜様にお伝えできて…よかったです…遅くなりましたが、わたくしの権限で許す限りご両親に慰謝料いしゃりょうをお支払いします。融資分の返済をしてもなお余る分は、櫟家個人の口座に入金します。本来はわたくしからご両親にお話すべきところですが、残念ながら時間が足りません。どうか、お話した事故のことをお伝えいただけると幸いです」

「ありがとう。けど慰謝料はいらないわ」

「ですが…」

 顔を覆う手をどけると、涙でボロボロしているお嬢様の悲痛な表情が出てきた。

「実際、もう終わりかと思ってたお父様の事業がこうして救われた。それで十分返してもらったわ」

「…あなたは、わたくしに責任を取らせず、恥を晒せとおっしゃいますか?」

 少し声色が変わったけど、なぜ変わったのかは察せなかった。

「そんなつもりはないわ。あなたたちはあたしたちのためにここまでしてくれたんだから、これ以上を求めるのは…」

 麗白さんは泣き顔のまま立ち上がり

「この件について、あなたとお話することはもうありません。わたくしなりのけじめはつけさせてもらいます」

 少し怒ったような顔であたしは強く言葉を浴びせかけられた。

 その急変した態度に、あたしは気圧けおされる。

「先程申し上げましたとおり、あいにくですがわたくしには時間がありませんの。一緒に部屋を出てくださらないかしら?」

 有無を言わさぬ迫力に、あたしは黙って立ち上がり、淹れた紅茶セットを持って部屋を出ていく。

「それでは、わたくしはこれで失礼します。お仕事の邪魔をして申し訳ございませんでした。ここでお話したことは、くれぐれもお忘れ無きようご両親にお伝え下さい。わたくしは残りの用事を済ませ次第、今夜再び発ちます」

 深々とお辞儀をして背を向けるお嬢様。

 ………海外の事業を任されているといってたけど、ピシッと線を引いてるわけね。

 この柔らかな物腰から落差が大きい線引きされた切り返しをされたら、相手はひとたまりもないかも。

 あんな人と、姉は…。

 あたしは凛としつつも楚々とした、お嬢様の後ろ姿を見送る。

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