第20話:てい・おふ(Take off)

「ただいま」

 隆紫りゅうじは、休み時間になるたび真弓が追いかけてこなくなったことで、時間を有効に使えていた。

 そのため、離れに帰る時間が少し早まっている。

「おかえりなさい」

 あたしは迎えの挨拶こそするものの、会話はほとんどしなくなった。

 学校で会話をせずに、離れでもしない。

 顔を合わせるだけの関係になって、それ以上踏み込むことはない。

 まるでヤマアラシのジレンマみたいだった。

 近づきすぎたせいで、お互いに自分のトゲで相手を傷つけあう。

 けど、ちょうどいい距離というのが見つからないでいる。

あかね…」

「何?」

真弓まゆみには、もう話した。かおるが知らないことまで」

 ゾゾゾっと寒気が全身を駆け抜ける。

「それ…マズいんじゃ…」

 真弓さんは、あたしたちのことをよく思ってない。

 薫すら知らない秘密を知った真弓さんは、あたしたち…いや、あたしを陥れるために動き出されても不思議はない。

 むしろ、そうしないとしたらその行動に説明がつかない。

「意外に思うかも知れないが、話した全部を秘密にしてくれることは本人に確認した。だから安心してくれていい」

 さっきの考えを即座に否定されて、混乱するばかりだった。

 …知りたい…なんでそうなったのか。けど

「どうせ…どうしてなのか教えてくれないんでしょ…?」

「全部を知った真弓が、自分で考えて出した結論だ。僕が脅迫したわけでもない」

 さわり程度には教えてくれた。

 けど、なんでそうなったのか…その経緯については教えてくれそうにない。

 ましてや、隆紫が真弓さんに話をした、全部なんて…。

 真弓さんは一体何を聞いたの?

 どうしてあたしを憎んでさえいるはずの真弓さんが…。

 隆紫のことは諦めると何度も決めたのに、こういう動きがある度に心は大きく揺さぶられて、決意は鈍る。

 それでもあたしの気持ちが届くことはない、と思い知らされる。


 夕食のため、隆紫は母屋に行く。

 そこでは猿楽さるがくが料理を用意、待機していた。

「坊っちゃん、もう限界へ達しているようにお見受けします。茜様のメイド解任を決意なさいますか?」

 食べ終わった後の紅茶をすすりながら、隆紫に問いかける猿楽。

「……………」

 返事に詰まっているのが答えだった。

 しかし猿楽は明確に返事がない限りは動かない。

 彼は茜と隆紫の接し方を見ているわけではなく、隆紫の様子を見ていればどのように接しているかが推測できているに過ぎない。

 おまけに先週末は猿楽と官司かんじがいる目の前で茜は切羽詰まった様子で大声の告白をしていた。茜はそこまで思いつめた。

 隆紫の様子を見れば、二人がどういう心理状態かは確認するまでもない。

「もう少しだけ…待ってくれ」

「畏まりました」

 なんとか声を絞り出して保留の判断を下したものの、猿楽は数日中に解任の判断へ至ると確信していた。

 母屋での食事を終えて、離れの部屋に戻る隆紫を猿楽は母屋の渡り廊下で見送る。

「さて、あと幾日保いくにちもちますかね…」

 そう呟いて渡り廊下を離れて母屋の自室に足を運ぶ。


 今のあたしは、抜け殻のようになっていた。

 離れでは顔を合わせる人がいなければ言葉を送る人もいない。

 隆紫と会うのは一日を合計してもほんの1分そこそこ。

 学校では演者みたいな仮面を被った上っ面だけの会話。

 いや、会話とすら呼べない。

 気持ちを何一つ交換していないから。

 仮面に書いた心にもない文字を口でやり取りしているだけ。そこに気持ちはない。

 恋人役を演じきると決めたのに、それすらもう無くなった。

 辛い気持ちだけが、ただ折り重なっていく。

 まるで永久凍土の地に降り積もる雪のように、しんしんと…。


 あたしは薄々、勘付いていた。

 根拠もない、単なる勘ではあるけど…もう隆紫のいる離れに長くは居られないと。

 ただ離れの掃除をするだけ。食事を作っても自分の分だけ。

 特に隆紫へ何かをするわけでもなく、顔すらほとんど合わせない。

 やることは掃除くらい。それだったら誰でもいいわけで、今の状態ではあたしである必要すらない。

 恋人を演じる必要もなくなり、むしろ邪魔以外の何ものでもない。

 むしろ一緒に住んでることを知られてしまえば、バレた時に学校側で問題となってしまう。

 このことを知っているのは両親と薫と真弓さん。そして隆紫の執事こと猿楽さん。

 今のところ誰からも同居はバラされてないけど、他の誰かに知られて広まってしまえばもう逃げ場はない。


「もしここを離れたら…お父様の融資はどうなるんだろう…?」

 返済期限を繰り上げられて、会社まるごと取り上げられちゃうのかな…。

 今は子会社化していて、両親は前と変わらず代表のままになっているけど、それすら変わっちゃうのかもしれない。

 あたしのせいで…あたしが隆紫に想いを寄せたばかりに、親を振り回してしまう。

 後悔しても、もう何もかもが遅い。

 自責の念に囚われたまま、夜は更けていく。


 悩んでいても朝は来るし、学校もある。

 もうすぐ期末考査だけど、なかなか集中して勉強できない日が続いていた。

 幸い隆紫とはほぼ顔を合わせることが無く、学校で仮面を被った状態の上っ面なやりとりをするだけ。

 しかも偽装カップルはすでに解消済み。

 幸いそれほど周りに疑われることもなく、いつものじゃれ合いとして受け止められていたらしいから、そっちの心配はなさそう。

 …けれども、そんな生活がいつまで続くんだろう…?

「茜ー、ちょっときてー」

「何?薫!?きゃっ!」

 無理やり薫に手を引っ張られてひと気の無い場所へ連れて行かれた。

「大変よー!昨日真弓さんが…」

「隆紫に聞きましたわ。薫が知らないことも全部話したということを…」

「え?」

「その上で、真弓さんはその秘密を誰にも喋っていないらしいですわ。あくまでも彼女自身の判断でそう決めたそうですから、その点は安心しています」

 興奮気味だった薫は、半ば呆然としながらあたしを見る。

「でも、あたしには何も教えてくれないのです。何か意図があるのでしょうけど、あたしが彼の気持ちに触れることは、許されないことなのです」

「茜…」

「それに、多分ですけど彼の元に居られるのも長くてあと一週間程度でしょう。見限られて、実家へ送り返されるに違いありませんわ」

 困惑の色を秘めた笑顔を向けられた薫は、もはや言葉を失っていた。

 茜が歩き去り、薫はその場で立ち尽くしている。

「どーして…茜には何も言ってあげないのよー…お互い…想い合ってるくせにー…」

 ギュッと拳を握りしめて、昨日隆紫に言おうとして結局言えなかったことを小さく口にする。

「こーなったら、無理やりでも話させよー」

 薫はどこがいいか、休み時間の度にあちこち下見を始めた。

 いまいちピンとくる場所が見つからず、結局最初に思いついたところが最適と判断した。


「明先さん、これ読んでね」

 薫は昼休みに隆紫へ紙切れの手紙を渡した。

 放課後になり、薫は茜を屋上へ呼び出す。

「ねえ薫さん、またお話ですか?帰りながらでもいいのではないでしょうか?」

「だめー。今じゃなきゃだめなのー。ここよー」

 屋上の扉を開けて、茜を先に通した。

「薫さん、何も屋上で…」

 バタン!カチャッ!

 言いかけた瞬間、薫はドアと鍵を閉めた。

 内外が両方とも鍵穴で、鍵がなければ開けられない。

「え…?」

「明先さん、降りてきてー」

 屋上の階段室は扉と金網で守られた小さな窓がある。

「薫くん、やってくれたね」

「何?何が起きたの?」

 あたしは状況が飲み込めず、困惑するばかりだった。

「てっきり昨日の続きかと思ったが、まさかこう来るとは」

 屋上の階段室上から、隆紫の声がする。

 階段室脇のはしごから降りてきたのは、間違いなく隆紫だった。

「何が狙いだ?薫くん」

 あたしの隣に来て、金網の窓越しに薫へ問いかける。

「どーせ話し合ってと言っても聞かないのは分かってるから、話し合わざるを得ないよーにしてあげたの!邪魔者が居たら話しにくいだろーから三十分後にまたくるわ。茜、いーい?明先さんから真弓さんが聞ーたという話を聞きなさい!」

「ちょっと!薫っ!?」

 ピシャッと窓が閉められて、窓越しに遠ざかる足音が伝わってくる。


「………」

「…………」

 階段室の日陰でふたりもたれかかって、無言のまま時間が過ぎていく。

 タシタシとスマートフォンの画面を操作して仕事の指示を送る隆紫と、ボーッと遠くを眺めて暮れゆく景色を眺めるあたし。

「隆紫…話す気は…無いんだよね…?」

「……………」

「そうだよね…隆紫はいつもそう。と判断したら徹底的に黙ってるもんね。真弓さんに全部を話したのは、それほど追い詰められた状況になったからなんだよね。だったら…あたしが追い詰められれば、教えてくれるのかな…」

 立ち上がり、柵に歩み寄る。

 柵の上に両手を乗せて、体のバネを使ってはずみを付けるように飛び上がる。

 柵の手すりは、あたしの腰の位置に来ている。

 脚はぶらりとして地に着いていない。

「…隆紫に想いが届かないの、辛いから…止めないでね」

「茜っ!!」

 体がぐらり、と前に傾いて柵から身を乗り出した瞬間…。


 ドサッ


 体が後ろに引っ張られて、気がついたら雲の流れる空を見上げていた。

 あたりを見回すと、屋上の柵に囲まれている。

 あたしは仰向けになっていて、背中はコンクリートではない温かくて柔らかい感触がある。

 そっか…。

 あたし…隆紫に柵から引き剥がされたんだ。

「茜…辛い思いをさせているのは分かってる…僕だって、茜に全部を話して楽になりたい…けど、今はダメなんだ…。茜には、話すときが絶対にくる。だから今は…待っていて欲しい。これ以上…大切な人を失いたくない…」

 …?

 それって…どういうこと?

 あたしはむくりと起き上がり、隆紫に背を向けたまま続ける。

「ねえ、って…どういうこと…?」

「すまない…それも今は…話せない…」

 もはや涙声になっている隆紫は、まだコンクリートの床に寝そべっている。

「怖いんだ………茜に全てを話して、知られることが…怖い………何度も話そうとした…その度に話を終わった後…僕へ向けられる顔を想像したら…怖くて……話すことができないんだ…すまない…僕に、勇気が無いばかりに…辛い思いをさせて…」


 肝心なことは何一つ分からないままだけど、もしかすると初めて隆紫の芯に触れられたのかも知れない。

 いつも余裕そうな口ぶりでからかったり、意地悪されたり、わけも分からず避けられたりしてきた。

 ここまで感情をむき出しにしてきたことが今まであっただろうか…。

 それほどまでに、本当のことというのがあたしにとって、隆紫を見る目が変わってしまうほどの衝撃的なことなのだろうか。


 もちろん全部を聞かない限り、納得はできない。できるはずがない。

 できないけど、こうして隆紫の心…その芯に触れることができた。

 話さないんじゃなくて、話せない…話す勇気を出せない。

 それなら、もう少しだけ待っていてもいいかなと思えてくる。

「………わかったわ。それなら待つことにするわ。それで全部を話しくてくれた時、あたしの気持ちには応えてくれるの?」

「……………」

 え…?


 隆紫は、この質問には答えてくれなかった。


 時間が経ち、薫が鍵を解除して扉を開けてくれた。

 大事なことは答えてくれなかったけど、隆紫の芯に触れられてあたしの気持ちが少しだけ落ち着いたということで、薫はあまり納得はしてないものの屋上閉じ込めはやりすぎたと反省していた。


 この後、隆紫は猿楽さんを呼び出して車で迎えを寄越した。

 離れに戻っても相変わらず夕食は母屋で食べている隆紫だったけど、これは仕方ないのかも知れない。


 それぞれの想いを胸に、夜は更けていく。


 同じ頃…。

 アメリカの某空港。

 白と薄いピンクのコントラストが映える、ヒラヒラした服…ドレスに身を包む可憐な一人の女性が上を見上げる。

 そこには航空機の行き先表示がずらりと並んでいる。

「あれから…どれだけの時間が過ぎたのでしょうか…思い起こせば、まだ…一年も経っていないのですわね」

 手にしたキャスター付きバッグを引いて歩きだすと、広いスカートの裾が彼女のいたところへ尾を引くように広がって美しい軌跡を描いている。

「茜…様…」

 彼女は大体の事情を猿楽や隆紫からの不定期な連絡で知っていた。

「いけない、目的はあくまでも商談。けど商談が終わりましたら、茜様とお会いできるかはわかりませんが、お屋敷に向かってみましょう」

 搭乗ゲートを通り過ぎて、航空機に乗り込む女性。

 轟音を残しながら、航空機は蒼穹の空へ吸い込まれるかのように遥かなる空の旅へ飛び立つ。

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