第19話:ぺあ・しく(Pair secret)
あたしは放課後になったから一人で
「それじゃ
「うんっ」
いつの間にか、真弓を呼び捨てにしている隆紫だった。
「まず、どこから話せばいいのかな…」
「どこからでもいいよっ。時系列が前後しても繋げば同じだもんっ」
「なら、茜をメイドとして迎えた時のことを話そう」
隆紫は語り始めた。
明先家では運輸事業があるものの、社内用のみで一般サービスとしての物流が無かったこと。
その物流を拡充するために
全国展開にあたって事業所の整備に必要な資金調達を融通する代わりに、
ずっとそれを隠して過ごしてきたこと。
「どうして櫟さんをメイドにしたのっ?そこがわからないわっ」
隆紫は、茜をメイドにする以前の、櫟を傘下に収める以前の話をした。
「それって…明先さんだけのせいじゃないでしょっ!?そんなことで責任を感じる必要なんて無いと思うっ!」
「そうじゃない…そうじゃないんだ…。僕は取り返しのつかないことをしてしまった。だから、僕は幸せになってはいけない。そして、せめて茜の笑顔を守ることだけが、僕にできる
真弓は自分の胸に手を当てた。
「だったら、わたしと付き合えばいいんじゃないのっ?」
「仮に君を選んだとして、僕は君に時間を大きく割くことになる。その間、茜に捧げる僕の時間は無くなってしまう…今でさえろくにできていない。忙しいなんて言い訳にしかならない。それでも時間を作ってこそだ。だから僕は学校の休み時間でも仕事をして、少しでも茜に捧げる時間を作ろうと…」
「だから…櫟さんと付き合ってるフリをして、わたしを遠ざけようと…?」
「…僕は、誰とも付き合わずに、茜に僕の人生を…時間の全てを捧げる。そう決めたんだ。茜とも付き合うつもりはない。ただ、僕の側に居続けたまま笑顔でいてほしい。それだけだ」
グッと堪えるような隆紫の表情が、真弓の心を引き裂かんばかりにかき乱す。
「茜と付き合ってるフリをして、君を遠ざけようとしたのは…やりたくなかった。本当に浅はかな愚策だったけど、そうでもしないと時間を作れなかったのも事実だ。茜も、真弓も…どちらも傷つけるとわかっていながら、他に手が思いつかなかった…」
…………………………
どれだけ沈黙しただろうか。
生半可な言葉や、はぐらかすような態度では、茜に迷惑がかかる。
隠すこと無く、隆紫は語り尽くした。
誰にも話したことのない、心の内までも。
「…わかったわ…だったらせめて…好きでいさせてっ。ずっと、好きなままでっ…」
「それは君の問題だ。僕に許可を求める必要はない。これで僕が話せることは全部話した。茜に迷惑がかかるから、どうかこのことは内緒にしてほしい」
「………なんで櫟さん本人にはこのことを話さないのっ?」
「これを茜が知れば、僕を恨むだろう。そうなれば、僕の手で茜を笑顔にすることもできなくなる。それが怖いんだ…」
辛い気持ちを我慢し続けて、普段は見せないしわが多く刻まれた顔になっていた。
眉間に、頬に、口元に、吐き出せない気持ちを雄弁に現している。
「バカッ!」
突然のことに驚いた隆紫は、顔に刻んだしわが一気に取れた。
「櫟さんが助け出された後、直接言われたんでしょっ!?あの悲痛な告白をどう思ってるのよっ!?何か答えたのっ!?あなたがそんなんで、櫟さんを笑顔になんてできると思っているのっ!?」
「君に…僕の何が分かると言うんだ…」
「わからないわよっ!だってこれまで何も教えてくれなかったじゃないっ!何も話してくれなかったじゃないっ!そんなんで何を理解しろっていうのよっ!?わたしもあなたを好きになった理由は言ってないけど、行動で示してくれたあなたのことは、その優しさは、誰よりも知ってるつもりよっ!!財閥が何よっ!!御曹司が何よっ!!資産が何よっ!!優良物件が何よっ!!わたしはあなたという人の心を好きになったのよっ!!ドラマに出てくる鼻にかかったような王子キャラ風の喋り方をしていたって分かるわっ!!行動で示してくれたあなたの本質くらいはっ!!好きな人の前じゃ誰だって臆病になるわよっ!!でもどうなるかわからなくてもぶつかり合って、お互いを知って、ケンカして、それでも一緒に居たいと思うからこそ人の絆ってものじゃないのっ!!?」
一気にまくし立て、はぁはぁと肩で息をする真弓。
「ああもうっ、こんなに取り乱しちゃって恥ずかしいわっ。それでも一緒にいたいと思っちゃうから困るっ…いいこと?しっかり櫟さんと向き合いなさいよねっ。櫟さんもそれを望んでるはずだからっ」
踵を返してスタスタと遠ざかっていく姿を見送り、一人取り残された隆紫。
「そんなこと…言われなくてもわかってる…わかってるからこそ、余計に始末が悪いんだよ…茜の笑顔を奪ってしまったのは、他ならない僕なんだから…」
葛藤に揺れるものの動く気にもなれず、しばらくその場で佇んでいた。
「ただいま」
「おかえりなさい、隆紫」
茜の姿を見て、真弓と言い合っていた最後の言葉が頭の中で再生される。
『しっかり櫟さんと向き合いなさいよねっ。櫟さんもそれを望んでるはずだからっ』
ただ、いずれにせよもう真弓の件は決着した。
「茜、偽装カップルの件だけど…」
「またその話?もうそれは…」
「違うんだ。もうやる必要がなくなった。だから、今まで無理に合わせてくれてありがとう」
ズキッ
胸の奥が刺されるように痛む。
「真弓さんと…何かあったの?」
「少し話をして、僕のことをしっかり諦めてくれた」
もう…恋人のフリすら…できなくなっちゃうの…?
「ふ…ふーん、よかったじゃない。これであたしとの茶番もしなくてよくなったってことでしょ?」
「そう…なるかな」
どこか浮かない様子の隆紫だったけど、あたしにはそれを気にするほどの余裕すら無くなっていた。
「夕飯は母屋で食べてくるんでしょ?掃除も今日のノルマは終わりそうだから部屋に戻ってたらどう?」
「ああ、そうだな」
隆紫は二階へ上がって、部屋に籠もった。
あたしはリビングでがっくりと膝をつき、テーブルの脚へ縋るような姿勢に崩れる。
「もう…やだ…どんどん隆紫との距離が開いていっちゃう…。どこまで離れてしまうの…?隆紫を知れば知るほど、心の距離が離れていっちゃってる…」
堪えきれない涙が頬を伝う。
拭うのも忘れて、とめどなく涙が流れるまま流し続けた。
翌日
いつものとおり登校の時間がやってきたけど、隆紫とあたしは別々に登校を始めることにした。
前みたいに誘拐事件が起きないとも限らないため、数歩後ろにはボディガードの
正直言って
あたしとしてはいなくてもいいと思っているけど、隆紫がどうも神経質になってるらしい。
言って聞く相手じゃないし、無駄だとわかってるからため息しか出ない。
さすがに校門を通り過ぎると官司さんはそこで待機してるけど、まさか下校までずっと居る気かしら…?
「おはようございます、
「茜ー、おはよー」
薫は近くに寄ってきて、こっそりおしゃべりを始める。
「それで、明先さんとの距離は詰められたの?」
「それが…」
昨夜のやりとりをざっくりと薫に話した。
「はー、そんなことがあったんだー」
あたしが明先の長女と間違われて誘拐されたことについては、話が長くなるからやめておいた。
ちょっと事件があって、真弓さんと隆紫が話をしたらしく、真弓さんはしっかり諦めたことで、あたしの偽恋人役は終了したことを伝えた。
「はい。振り出しに戻りましたわ。いえ、むしろ…マイナススタートというべきでしょうか」
「じゃー、もー無理かなー…?」
無理なのは最初からわかっていたけど、困るのは時間と共に距離がむしろ離れていくことだった。
あたしが近づこうとすればするほど、隆紫が離れていくような気がする。
「こうなれば当初の志に戻って、早くお役御免になるまで無難にやり過ごしますわ」
「それでいいのー?」
よくはない。
よくはなくとも、どうしようもないものをいつまでも追い求めても仕方ないことも事実。
「これもよい経験になりました」
にっこり笑顔を向けてごまかすことにした。
「むー、納得いかないなー」
仕事をしてから来ているのか、隆紫があたしより遅れて教室に入ってくる。
もう恋人のフリをしなくていいため、真弓さんが関わってこなかった頃の態度に戻っていた。
「おはようっ、明先さんっ」
真弓さんが隆紫に挨拶をして、いつもはそこからうんざりするようなマシンガントークが開始されるのだけど…それ以上は話しかけようとする様子がない。
その様子を見て、あたしはホッと胸を撫で下ろす。
けど無視したり一切話しかけないという極端さはなく、必要な時やごく自然な感じで思いついた時に話しかけている。
「あれ、なんかあったねー?」
こっそりと薫があたしに話かけてきた。
「はい。先週の週末にはいろいろありすぎました…。その話はまた改めますわ」
「楽しみにしてるねー」
「…ということがありましたの」
昼休み。薫と一緒にお昼している。
周りはざわついてるから、話しても聞かれにくいと思ってあたしに起こった誘拐事件のことを話した。
「何よそれ…大事件じゃないー。茜が無事でよかったー」
事件は事件で怖かったけど、あの奇声を上げて暴れてた官司さんが別の方向でとても怖かったのは黙っておくことにした。
何しろ学校の敷地を出たらそこにいるはずだし…。
後から聞いた話では、
一瞬で官司さんが三人を投げ飛ばして、銃を取り出したところで猿楽さんが一人だけその銃をはたき落としたけど、他の二人は官司さんが目にも留まらぬ速さで片付けたという。
「それってお嬢様のフリをしてるから勘違いされたんじゃないー?」
「違いますわね。犯人の会話を聞いた限りですと、離れに出入りしてるかどうかだけで判断していたようですわ」
「そっかー、誰でもそーなる可能性があったってことかー」
「そのようです」
「犯人が取り押さえられた後、感情が止まらなくて…つい本気の告白をしてしまいました…けど彼は辛そうな顔をしたまま一言も答えてくださいませんでした。わたくしの気持ちは、もう届かないのです」
この後、二人で少し感傷に浸ってから食堂を後にする。
「あっ、いたいたー。明先さん、ちょっといーかな?」
「どうしたんだ?」
薫は茜と別れた後に隆紫の姿を探していた。
「どーして茜の気持ちに、返事すらしてあげないのー?」
「…詳しくは話せないけど、僕は誰とも付き合わない。ただ、茜の側にいる。そう決めたんだ」
いつもの鼻にかかったような口調が、今は鳴りを潜めていることが気になるものの、薫は続けることにした。
「それじゃー、もし茜に他の彼氏ができたらどーするのー?」
「その時は遠くから見守るだけさ」
「いーの?ほんとーに、それでいーの?」
いつになく鋭い眼差しを向けられる隆紫。
「…茜が決めたことなら、僕が口を出す道理は無い」
「嘘ついてもわかるよー。本当は茜のこと好きでたまらないクセし…」
「やめてっ」
二人に割って入ってきたのは、真弓さんだった。
「真弓…お前…」
真弓さんは薫に向かい合う。
「確かに明先さんは自分の気持ちを表に出さないし、表の顔は嘘だらけだし、本心を隠して自分を抑え込んでるし、人が知りたいことを教えてもくれないっ。けどね、言いたくても言えないことを抱えているから苦しんでいるのよっ。それを察しろなんて言わないっ。けど言うべき時にはしっかり言ってくれるっ。それまで待ってあげるくらいしてもいいんじゃないっ?」
「いいんだ、真弓。全ては僕のせいだ。君は関係ない」
薫が声を荒げて言い返そうとした時に、隆紫が止めに入った。
「でもっ」
「君は黙ってて。薫くん、茜くんにはいずれ話す時はくる。けどいつ僕の事情を話せるかはわからない。勝手なお願いだけど、静かに見守っていてくれないか…?」
フルフルと肩を震わせる薫は、キッと隆紫に視線を送って背を向けた。
薫の背中を見送る二人。
「真弓、君はあのことを誰にも話してないのか?」
「わたしだって、話していいことと悪いことくらいわかってるつもりよっ。あのことは軽々しく話していいことじゃないでしょうにっ」
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