第18話:あふ・すく(After school)
犯人グループは複数いた。
身長が190cmと高いリーダー格と、オールバックにしてスーツを着ている実行犯A、光さえ反射しそうなほど頭を丸めた実行犯Bの合計三人だ。
「おい、身代金受け渡しの話はまだついてないのか?」
リーダー格が苛ついた様子で実行犯Aに問いかける。
「今現金を急いで集めてると言っていた。次の連絡は10分後だ」
「チッ、わかっちゃいたが財閥といえども現金をすぐに集めるのは無理ってことか」
あたしは今、目隠しされて猿ぐつわを噛まされて、腕は前で縛られている。
その腕は腰に回した縄で固定されていてそれ以上動かすことができない。
足も縛られていて、逃げることも難しい。
ここに連れてこられた後、犯人の一人に脅された。
「もし俺らの顔を見ちまったら、俺らはお嬢ちゃんを殺さなきゃならない。そんな野蛮なことはしたくない。少しの間我慢してくれよ」と。
怖いけど、逃げ出したいけど、じっとしていれば実際に危害を加えてくる様子がないから、怖くてたまらないけどじっと耐えることにした。
しばらく使われていないのか、連れてこられたここはやけに埃っぽい。
声の反響具合とドアを開けた時の音から、おそらくここは倉庫。
数分前
「どうします?坊っちゃん」
倉庫のドア越しに声を確認する。
「
「わたくしめも多少でしたら格闘の心得がございます。官司ほどの破壊力はございませんが…何しろ官司は素手で自動車一台を5分ほどでほぼ走行不能にできるほどの怪力です」
「それは恐ろしいな…」
大男3人と、少し離れたところに小柄な人影が映った。
「倉庫内はほぼがらんどう。いくつかの箱は置いてあるようだ。犯人と思しき人影は3人、茜と思われる人影が1人。待機させていた警備員数名に周辺を哨戒させているけど、他に人の気配はない。犯人はこの3人で間違いなさそうだ」
「まあここは取り壊し予定の倉庫ですから、近づくのはせいぜい好奇心旺盛な子供か浮浪者といったところでしょう。見張りを置く必要も無いと考えるのが自然です」
「この程度なら自分一人でも
官司が物騒なことをやらかしてしまわないよう、さんざん釘を刺したが、騒ぐ血を抑えることができない様子だ
「官司、人質を取られている以上、慎重にことを運ぶ必要がある。くれぐれも僕の指示に従ってもらうぞ」
「心得ております。久々の肉弾戦、楽しみだぜ!」
パシッと右の拳を左の掌で受け止める。
やはり不安だ…。
「猿楽、官司。屋根から倉庫の中に忍び込めそうか?」
「侵入経路はすでに見繕っております。坊っちゃんはいかがなさいますか?」
「僕は犯人の注意を引く。合図で茜の保護を最優先で突入しろ」
『承知』
二人はヒソヒソと作戦を承諾する。
「よし、作戦開始だ」
そして今、隆紫のマナーモードにした携帯が猿楽発信の表示で震える。
「どうだ?」
「準備できました。いつでも始められます。ご武運を」
「やれ、の合図で突入だ。茜の保護を最優先に」
「畏まりました」
終話ボタンを押して、隆紫は意を決して倉庫のドアを開ける。
ガララ…。
「誰だっ!?」
「そいつを返してもらいに来た」
えっ!?
ふと聞こえた声は、まさに隆紫だった。
犯人Aは、あたしの前を塞ぐように立つ。
「僕は
「なんでここが!?」
「さあな。神のお導きというやつかな」
ドアから差し込む光をその背に受けて、隆紫は入り口から動こうとしない。
「カネは用意できたんだろうな?こっちはてめーの長女を預かっている。少しでも妙な真似をしたらこいつを殺すぞ」
リーダー格の犯人が箱に座ったまま言葉を吐きかける。
「何か勘違いしていないか?」
「何をだ?」
隆紫はニヤリとしたけど、逆光になっているため全く見えていない。
「姉は今、事業でアメリカにいるんだ」
「……………………は?」
長い沈黙の後、間の抜けた返事があった。
「僕はここから一歩も動かない。嘘だと思うなら今すぐ明先グローバルアメリカ支社のホームページで名前を確認してみるといい」
隆紫は文字どおり一歩も動いていない。
顔を向こうに向けて、真弓を乗せている車に変化は見られないことを確認する。
「おい」
リーダー格の犯人が犯人Bに促す。
「おっ…おう」
犯人Bがスマートフォンかタブレットか、画面に目を落としていそいそと目線を動かしている。
「かっ…」
「どうした?」
ビクビクしながら、犯人Bはリーダー格の犯人に画面を向けた。
「………はぁっ!?じゃあ、こいつは一体…」
ようやく事態を把握した犯人たちは、疑心暗鬼に駆られ始める。
「そいつは
隆紫は気づいていなかった。
真弓が車を降りて、危なくなさそうな倉庫のドアから死角になる影に潜んでいたことなど。
「てめぇ!しっかり調べたと言っていただろうがっ!!」
「ひいっ!離れに出入りしてる年頃の女が長女だから確認しろと言われたとおりにこの目で確認しただけだっ!!」
「俺のせいだと言うのかっ!!?」
仲間割れを始める犯人グループ。
「残念だったな。もうチェックメイトだっ!やれ!!」
隆紫の掛け声により、無言のまま飢えた獣のような瞳で倉庫二階の開放通路から襲いかかる二つの人影は、犯人三人の後ろに襲いかかる。
それからは早かった。
ほんの数秒で犯人たちは地にひれ伏すこととなる。
犯人たちは銃を取り出したものの、構えることすらできずに腕を激しく殴打されて反撃の手段さえ封じられた。
官司がこの世のものと思えない、文字にすることすら困難なおぞましい奇声を上げながらやりすぎなほど暴れたのは蛇足としておこう。
犯人はまとめて縛り上げられ、隆紫は茜の自由を奪っている縄を解く。
「大丈夫か?
やっと開放された腕と足と、そして視界。
生きて帰ることができる、と安心した途端にあたしはボロボロと涙を流しながら隆紫の胸に飛び込む。
「怖かった…!!すっごく…怖かった…!!もう生きてここから出られないんじゃないかって思ってた!!」
それ以上はもう言葉にならないくらい泣きじゃくって、隆紫の服を涙で濡らした。
「それじゃ、茜を車に乗せてくる」
「こいつらはどうします?」
「戻ってきてから考える。今は警備の哨戒もさせているから問題ないだろう」
隆紫に手を引っ張られて、倉庫から出ていこうとした時、気持ちが溢れて止まらなくなってしまった。
「もう…無理だよ…隆紫の恋人を演じるの…もう、無理だよ…」
「そう…だよな。こんな危険な目に…」
「違うの…そうじゃない…」
「茜…?」
もう気持ちをせき止めることができないあたしは、思いの丈を吐き出し始めた。
それはまるで大きなダムが決壊したかのように、押し留めることは叶わなかった。
「本気で…隆紫を好きになってしまって、でもあたしの気持ちは全然届かなくて、なりゆきで偽の恋人を演じてきたけど、気持ちが届かないままこうして恋人を演じ続けるなんて、もう無理なのっ!!」
恐怖と、安堵と、気持ちが届かない悲しさと、隆紫を思う気持ちが複雑に入り混じって、今まで抑えてこられた感情が抑えきれない。
後先考えて自分の気持ちを押し留めていられる程の余裕は、もう無かった。
「好き…好きなのっ!隆紫のことがっ!!」
隆紫は、何かを堪えるような表情をした後、何も言わずにあたしを車に乗せた。
車には真弓さんが乗っていた。
気まずい空気になるものの、しばらくお互い一言も喋らなかった。
「さて、君たちをどうするか決めたけど、聞くかい?聞かずに実行へ移してもいいんだけどね」
縛り上げられた犯人たちは口を
ならコイントスで決めようか。こっちの面が表で、表が出たら聞かせよう」
ピンッ、パシッ。
「表だ。説明しよう。まず、君たちは楽器ケースの中に入ってもらう。後は到着した先で自由に過ごしてくれ」
「行き先はいかがしますか?どこでも手配可能です」
猿楽が促してきたから、その先を話すことにした。
「そうだな、中東の某国にしようか。紛争や内乱が絶えない地域で、治安は日本政府発表で危険度レベル4の国がいい。もちろんパスポートは不要だ。何しろ日本へ帰る必要が無いのだから、何も困らないだろう」
「ちょっと待て、ということは…」
リーダー格の犯人が問いかけてくる。
「そう。不法入国ということになる。仮に保護されたとしても現地で拘束されるだろうな。運が悪ければ現地で犯罪に巻き込まれもするだろう。危険なあまり大使館も機能してない国が僕のおすすめだ」
「ハッ、そんなことができるわけ…」
「できるさ。なあ猿楽?」
「もちろんでございます。早速手配致しましょう。明先のツテを使えばなんとでも抜け道は作れます。プライベートジェットなら検査もゆるいですし、裁判で監視付き仮釈放の最中に同様の手口で亡命した有名人もおります。監視の目も無いですし、成功率はほぼ100%です」
「というわけだ。僕って寛大だろう?無料で海外の旅行先へ送り届けて、さらに無罪放免するんだから。うん、心の広い神様でもこれほどの沙汰はできないだろうね」
むちゃくちゃを言って笑顔を向ける隆紫は、さながら笑顔の仮面を被った無慈悲な死神にすら見えていた。
「空港まではヘリで送るよ。それではよき旅行を」
ザーッと青ざめた犯人たちは、言葉を失って呆然と上を見上げた。
「猿楽、このコインは返すよ」
先程トスしたコインを手渡す隆紫。猿楽はそのコインを裏表ひっくり返す。
「どちらも表の、いわゆるエラーコインですな」
と官司にすら聞こえない小さな声で呟いた。
後日、犯人たちは日本の警察に身柄を引き渡されたことは知る由もない。
でも実際に空港から国外にジェットで本当に飛び立ったそうだけど、予定していた想定外のトラブルにより日本へ引き返すシナリオを、隆紫は用意していた。
なお、この不正出国未遂は完全に
誘拐事件から数日が過ぎた。その数日は休みを挟んでいて、休み明け。
あたしの気持ちも落ち着きを取り戻して、けど隆紫はあのことに触れようともしない。
まるであの告白が最初から無かったことのように。
気まずくなり、ここに居られなくなることを恐れて気持ちをずっと抑えてきたけど、その気持ちをぶつけてもなお、何も変わりはしなかった。
やっぱり、隆紫には気持ちが届かない。
それは、より強固な確信となったことだけが、唯一変わった。
誘拐事件が解決した帰りに、あたしがなんの気なしにポケットへ入れていたバッテリー切れを起こしたままの小さな端末を真弓さんに返した。
真弓さんは、何も言わずに受け取っていた。
「おはよう」
「おはよー」
久しぶりに
この週末はとても濃い時間を過ごした。主に忌まわしい苦味の記憶を伴って。
「明先さん、ちょっといいかなっ?」
一緒に登校してきた隆紫に、どことなく距離を感じさせる空気で真弓さんに呼ばれて教室から姿を消した。
二人きりで話ができる、あまり人が来ない場所で向かい合っている。
「悪いとは思ったんですが、これってどういうことですかっ?」
録音していた音を再生する真弓さん。
それは…
「そいつは櫟茜。僕の専属メイドさ。同じ学校に通う一生徒だ」
という部分だった。
「…やはり聞かれていたか…だから連れて行きたくなかったんだけどな」
隆紫はやれやれと言いたげたな顔と仕草を見せる。
「答えてっ。じゃなきゃ先生にこれ聞かせるよっ」
少々言葉を削っていれば、なんとでも言い逃れはできた。
けど「そいつは櫟茜」と「同じ学校に通う一生徒だ」という部分は、ごまかしようもない。
学校側に知られてしまえば、やっかいなことになる。
「真弓、今日の放課後だけど、少し時間を作れるか?」
「えっ?うんっ、いいけどっ…」
「少々込み入った話だから、今の短い時間では語りきれるものではないんだ。それじゃ、放課後に」
隆紫はその場を後にして教室へ戻った。
「茜、今日の放課後は悪いけど一人で帰ってくれ。猿楽には車で送るよう言っておく」
「うん…わかった…」
そして、何事もなく時間は過ぎて、運命の放課後がやってくる。
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