第17話:おぺ・すた(Operation start)

「そうか、わかった。引き続き調査を続行してくれ」

 猿楽さるがく官司かんじから連絡を受けて、電話を切る。

「状況は?」

 車を路肩に停めて運転席に座っている猿楽へ短く問いかける隆紫。

「護衛に付けていた官司は振り切られました。茜様の誘拐に気づいてバイクで追いかけたものの、バイクを取りに戻ってかなり遠くから追尾していたため途中で見失いました」

「…総力上げて探し出せ!」

 苛立ちを隠せず、それは声に出ていた。

 くぬぎ託送便たくそうびんのグループ取り込みは内部調整が極めて難航した。

 その時ですら、隆紫は淡々と仕事をこなして苛立ちを見せることはなかった。

 しかし今は違う。明らかに焦りと緊張が走っている。

「ただちに手配致します。警察には…」

「やめておけ。警察などあてにならん。それに目撃者は官司一人で遺留品は茜のバッグだけなのだろう?手がかりもない状態では警察など動きようがない」

「あと目撃者は同じ学校の女生徒一人だそうです。名前は不明です」

 猿楽が答えた時、隆紫は一つ思い当たった。

「屋敷の監視カメラ映像があったな。昨日夕方に離れへ来た女の映像を出せるか?」

「今手配致します」

 猿楽は電話をダイアルして、捜索隊を編成すると共に離れの監視カメラ映像を調べるよう指示する。

「それと、櫟の自宅へ交渉に長けた人材を派遣しろ。両親も緊急で帰宅させるように厳命だ。急げ」

 追加の指示を受けて、猿楽はさらに手配を進める。


 埒が明かないので、一度離れに戻る隆紫と猿楽。

「猿楽、単刀直入に聞く。犯人の目的はなんだと思う?」

「身代金でしょう。櫟家は明先グループとはいえ、一度は全国展開を間近に控えた運輸業として名が知られています。狙われても不思議はございません」

「…だろうな…」

 そのため、櫟家には両親と交渉人を置くことにした。

 しかし、事態が動いたのは母屋からの連絡だった。

「隆紫様、いっらしゃいますか?」

 メイドの一人が渡り廊下を使って離れに来た。

 その様子はとても慌てているのは明らか。

「何事だ?」

「それが…今はアメリカにいらっしゃるはずの明先の長女を預かったと…脅迫の電話がかかってきましたっ!」

『なんだとっ!!?』

 猿楽と隆紫の声がステレオで離れのリビングを轟かせた。


  何が起きたのか、わからなかった。

 真弓まゆみさんを追いかけていた時、突然後ろから何者かに取り押さえられて、目隠しと猿ぐつわを噛まされて、両手を縛られた。

 抵抗することもできず、車に乗せられたことはわかった。

 状況を理解したのは、車に乗せられてすぐのこと。


 数十分前。

「おい、早くしろ」

 あたしはわけも分からず、体の自由が奪われて車に乗せられた。

 まずは視界を確保しようと目隠しに手を伸ばそうとした。前手に縛れられているから、届きさえすれば目隠しは取れる。

 しかしそれは叶わなかった。

「じっとしていろ。そうすれば危害は加えない」

 低い、どっしりとした圧力を感じる声があたしの耳に響く。

 乗せられた車の両脇は得体のしれない男に挟まれている。

 飛び出して逃げようにも、そう簡単にはいかないことは明らかだった。

 そして目隠しを取ろうとした手は、左にいる男によって抑えられてしまう。

 どうして…こんなことに…。

「こいつで間違いないのか?明先の長女というのは?」

 右の男が口を開く。

「ああ、間違いない。明先屋敷の離れに出入りしてるのを確認した。あの離れに長女が住んでいることは調査済みだからな」

 今度は左からだった。

 これで理解した。

 あたしは明先の長女として人質に取られてしまったのだと。

「ははひはひがぐ…」

 あたしは違う、と言いたかったけど、声も満足に出せない状態だったので何も伝わらない。

「嬢ちゃん、さっき言ったことを忘れたのかい?」

 重苦しい口調で脅され、あたしは黙るしかなかった。

 どうしよう…もしあたしが明先の長女じゃないとわかったら…殺されるかもしれない…。

 隆紫りゅうじっ…!

 祈るような気持ちで隆紫の名を心の中で呼ぶ。


 やっと状況を理解した猿楽と隆紫の二人は、作戦を練り直さねばならなくなった。

「猿楽、お前ならどうする?」

「こちらから茜様の素性を明らかすべきではございません。あくまでもその勘違いを利用して時間を稼ぎます」

「だろうな…もし姉でないとわかったら、犯人が逆上して何をしでかすかわかったものじゃない」

「しかし、居場所を知るにも情報が足りません」

 猿楽はさっき隆紫から指示を受けて監視カメラの映像を用意させた意味がわからなかった。

 カメラ映像は専門のスタッフが管理しており、すぐには出てこない。


 ポロン


 猿楽のスマートフォンに通知が来た。

 何の連絡かと確認したところ、監視カメラの映像を切り取った写真が一枚送られてきた。

「坊っちゃん、監視カメラの画像が来ました。これは何に使うのですか?」

「来たか。そいつは官司かんじに送れ」

「畏まりました」

 猿楽はすぐに官司へそのメールを転送した。

「官司に電話をつなげ。僕が話す」

「仰せのままに」

 電話モードになったスマートフォンで、猿楽が会話を始める。

「坊っちゃんがお話をしたいとのことですので、代わります」

 通話状態のまま隆紫が電話を代わる。

「メールは見てくれたか?その顔は、君の言うもう一人の目撃者か?」

「…確かにこの方です」

「そうか、追って指示を出す」

 猿楽に電話を返して、少々情報交換をした後に電話を切った。

「坊っちゃん、何かわかったのですか?」

「ある可能性が浮上した。写真の女は真弓まゆみという。彼女を探し出せ」

「畏まりました」


 急いで編成した捜索隊からは、何も情報が上がってこない。

 手がかりが少なすぎることからわかっていたことだった。

 隆紫の指示で捜索隊はさらに二つへ分けられる。

 一つは茜の。

 もう一つは真弓を探し出すこと。

 犯人から二度目の電話が明先家にかかってくる。

 緊急で逆探知を取り付けたものの、短い時間で切られてしまったため逆探知は失敗に終わった。

「犯人もなかなか用心深いようですな」

「明先家にケンカを売ったツケは、しっかり払ってもらうさ。二度と関わりたくなくなるくらいまで、完膚かんぷなきまでにな」

 猛禽類もうきんるいを思わせるような隆紫の鋭い目つきは、猿楽を武者震いさせた。

「楽しみですな。坊っちゃんがどのような判断をなさるのか。わたくしめは指示に従うのみです」


「全く、なんだっていうのよっ…」

 真弓はわけも分からず、近所の本屋に立ち寄って雑誌を立ち読みしていた。

「櫟さんはいきなりいなくなっちゃうし、すぐ後にはすごい勢いでバイクが走り去っていって、セットした髪は乱れちゃうしっ…」

 ぬうっ、と後ろにすごい気配を発している人が立った。

「真弓様、でしょうか?」

「き…き…キャーーーーーー!!!」

 お通夜さながらの静かさに包まれていた本屋は、真弓の悲鳴がその静寂を切り裂いた。


「まったくっ、そういう事情なら最初からそう言いなさいよねっ」

「その説明する前に悲鳴を上げたのはどなたでしたでしょうか」

 結局あの後、本屋のスタッフが来て不審者として通報され、警察が来たものの級友が探しているのを代行していることを説明して納得した真弓と官司と警察官は本屋を後にした。

「それでっ、わたしは何をすればいいわけっ?」

「つながりました。お話ください」

 ふてくされている真弓は、奪うように電話を手に取って話を始める。

「もしもしっ」

「よかった。見つかったのか」

「えっ!?もしかして明先くんっ?」

 聞きたかった声の主が相手とわかり、思わず声が弾んでしまう。

「急で悪いんだが、今から僕と会えないか?」

「…えっと、急にそんなこと言われても、心の準備が…」

 言いかけて、あることを思い出した。

 櫟さんにメイド服を着せて何かをしようとしていた、あのシーン。

「ふんっ、櫟さんと会わなくていいのっ?怒るんじゃないのっ?」

「君じゃなければダメなんだっ!頼む!」

 怒鳴って返事をしようかと一瞬迷ったものの、こうしてすがるような返しをされて悪い気はしなかった。

「…そこまで言われちゃ仕方ないわねっ。どこに行けばいいのっ?」


「で、わたしに何をしろというのよっ?」

 あれから官司に連れられて明先屋敷の離れに来た真弓は、ジト目で隆紫を見る。

 茜は明先家の長女と間違って誘拐され、捜索をしているところまで話を聞いた。

「茜の遺留品はこのカバンだ。このカバンに君の端末は入ってなかった。そして君は今、茜から端末を受け取っていないことを確認した。つまり茜のポケットに君の端末があるはずだ。昨日茜を追いかけてここへ来たように、位置情報の提供をしてほしい」

「…何でわたしが櫟さんを助けるために協力しなきゃならないのよっ」

 いっそ、このまま櫟さんがいなくなってしまえばいいのにと思っていることは口にしなかった。

「頼むっ!このとおりだっ!!」

 隆紫はおもむろに膝をつき、前かがみになって頭を下げた。

「………かなわないかっ…」

 ぼそっと真弓は呟いたものの、隆紫の耳には届かなかった。

 それより遠くへ離れていた猿楽と官司の耳は、そのつぶやきが捉えられていたことを真弓本人は知らない。

「わかったわよっ!協力すればいいんでしょっ!?」

 なかば自棄やけくそになりながら、真弓は端末の操作を始める。

「本当か!助かる!」

 頭を上げた隆紫の目はキラキラと輝いていて、それが真弓を余計に苛つかせる。

「そのキラキラした目は止めてよっ。イライラするわっ」

「それはすまない」

真弓の気持ちを知っているだけに、隆紫は素直に謝罪する。

「ほらっ、位置が出たわよっ」

「ありがとう。猿楽、確認してくれ」

「畏まりました」

 執事と護衛がその画面を見る。

「ここは…」

「おそらく今は使われてない倉庫だろう。くくく…血が騒ぐぜ…」

 狂気さえ感じるおぞましい顔で怪しげなつぶやきを漏らす官司を見て、呆れ顔をする猿楽。

「おいおい、あくまでもスマートにやってくれよ」

「なあ、誘拐犯の下衆ゲスなら遠慮なくボコボコにしてもいいよな?擦り切れて穴の空いたボロ雑巾が美しく見えるくらいの無残な姿にしてもいいんだよな?」

「ここは日本だ。明先家の看板を汚すような真似だけはしてくれるなよ」

 そのやりとりを見た真弓は、頬から一筋の汗が流れる。

「ねえ明先くん、あの人は間違いなく危険人物だよねっ」

「珍しく意見が合うな」

 しかし、猿楽のここは日本だという言い方が気になる。

 とはいえ茜の居場所がわかったからには手をこまねいてはいられない。

「猿楽、念のため腕の立つ警備員を10名ほどを現場に待機させるんだ。あくまでも数分で駆けつけられる場所での待機だ。見張りの可能性も考えてあまり近づかせすぎるな」

「畏まりました」

「真弓、助かったよ。この御礼はいずれ…」

 バタつき始めた離れのリビングで、真弓は隆紫の袖を掴む。

「なら、わたしも連れて行ってっ」

 決意を秘めた目を見て隆紫は一瞬迷いを見せる。

「ダメだ。これから向かうところは危険だ。君を危険な目に…」

「もしまた移動を始めた時に位置情報を教えられるわっ。違うっ?」

 真弓の目には、メラメラと燃え盛る何かがあった。

 この場で止めても着いてきかねない。もしその場に乱入でもされたら計画が狂うと考え、ならば連れて行ってその場に留めておいたほうが得策と考えを巡らせる。

「わかった。だが僕たちの指示に従ってもらう。それだけは譲れない。いいか?」

「いいわっ」


「間もなく到着します」

 猿楽が運転する車は、大きく区画が割り振られた工業地帯に差し掛かる。

 官司はバイクで後ろを追随している。

 車に乗り込んませてもよかったが、もしものためにと隆紫はバイクでの移動を指示した。


「鍵が壊されてるな。間違いない。茜はこの奥にいる」

「まだGPSは反応ありよっ。動いてないっ」

「よし、慎重に進むぞ」

 一行は大きな音を立てないよう徐行で敷地を進む。

「坊っちゃん、警備隊が到着したとの連絡が入りました。いかがしますか?」

「指示するまで門の前で待機と伝えろ」

「畏まりました」

 テキパキと様々な指示を出しているその真剣な顔を見て、真弓さんはとても茜に太刀打ちできないと考え始める。


 茜が囚われているはずの小さめの倉庫より少し手前で車とバイクのエンジンを切らせた。

「君はここを動くな。これは防弾仕様の車だから窓やドアを開けなければ安全だ」

 ゾクッと寒気を覚える真弓さん。

 誘拐犯たちが銃を持っている可能性もある。

 そのことをリアルに感じざるを得ない一言が隆紫の口から飛び出したためだ。

 周囲を警戒しながら、小さめの倉庫前に車を降りた男三人が陣取る。


「よし、作戦開始だ!」

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