第15話:とら・ろけ(Track located)

「そうだな…護衛と言っても、学校内では内部に潜り込むとしても限界があるだろう。少なくともあかねが一人行動の時にこっそり見守る距離感は必要だな」

 隆紫りゅうじは、猿楽さるがくに具体的ながらぼんやりとした提案をする。

「それでは適任の選出を進めさせていただきます」

「頼む」

 車はほどなく明先みょうせん本社ビルに到着する。


「茜様がその偽装カップルを演じることに傷ついてなければいいのですが…」

「いや、もう十分傷つけている。それでも僕は茜を笑顔にする方法を探さなくてはならない。だがこれは僕の問題だ」

「左様で…」

 隆紫は明先本社ビルのドアをくぐれば、仕事の顔に一瞬で切り替わる。

 その顔になった時は、茜のことを頭から追い出して仕事に集中する。


 あたしは途中の道で降ろされて、屋敷へ向かう。

 あれから実家には帰っていない。

 両親は激務でほとんど家にいないから、帰る意味がない。

 離れで掃除をしつつ、今日起きたことを思い出す。

 真弓さん、すごく怒ってた。

 それもあたしが原因で。

 隆紫のことを諦めると決めたあたしは、真弓さんが寄せる隆紫への想いを後押しするつもりだった。

 けど昨夜に隆紫から迫られて、感極まったあたしはつい本気の告白を隆紫本人へしてしまった。

 それは冗談として片付けたけど、真弓さんとの約束を結果的に破ってしまった。

 全面的に非があるのはあたし。

 けど恋人宣言をして一度演じ始めてしまった今となっては、演じきるほかない。

「はぁ…」

 せっかく隆紫と距離を置いて過ごせることになったというのに、よりにもよって隆紫と恋人のフリをしなければならないなんて…おまけに真弓さんから目をつけられることになってしまって、余計に事態が悪化した。


 日が落ちた頃、隆紫が帰ってきた。

「おかえりなさい。早かったね」

「お前と話をしなければならないからな。切り上げて帰ってきた」

 そう…だよね。

 リビングに移動して、向かい合って座る。

「すまない、茜。面倒なことに巻き込んでしまった。もう少しすんなりと真弓を振り切れると思っていたが、想像を遥かに超える執着だった」

「ううん、謝るのはあたしのほうよ。真弓さんとの約束を忘れて偽装カップルを引き受けてしまったんだから」

「そういや、約束って何だ?」

「それが…」

 真弓さんの恋を応援することになった経緯を話した。

「そうだったのか。それが余計に対抗心の火を点けてしまったのかもしれない」

 隆紫は黙って考え込んだ。

「…茜、やっぱりやめよう」

「え?」

「実際にやってみて、ここまで執着されるとは思わなかった。茜の身に危険が及ばないとも限らない。真弓には僕から…」

「ダメよ。認めない」

 隆紫の言葉を遮って、あたしは口を挟んだ。

「そんなことをして、彼女がどれだけ傷つくと思うの?」

「………」

 顔を伏せる隆紫。

 何を考えているのか、表情から読み取ることはできない。

「あたしは隆紫の恋人を演じきると決めたわ。あたしの気持ちまで踏みにじるつもりなの?」

「…僕は…」

「一度決めたことなら、最後までやりきりなさいよ。あたしは覚悟を決めたから、隆紫の都合で今更やめるなんて認めないわ」

 あたしの気持ちは隆紫に届かない。

 そうわかったからこそ、もう迷わない。

 それが隆紫を追い詰めることになったとしても。

 実際、あたしのきつさはピークに達しつつある。

 心の通じ合わない偽物の恋仲を続けるのは辛い。

 けど隆紫はあたしにまだ隠し事を続けて、それでも優先すべきことをしている。

 ならできることは、その邪魔をしないこと。

 邪魔になる真弓さんから、隆紫を遠ざけられるなら…。

「………わかった。明日からも頼む」

 しばらく沈黙した後に隆紫がした返事だった。


 数日が過ぎた。

 その間、真弓さんは隆紫を…というよりもあたしたちを観察しているようだった。

 着かず離れず、あたしたちに視線を送り続けている。

 衣替えが行われて、夏服になった。

 相変わらず真弓さんは観察を続けていた。

 そんなある日…。

 昼休みに中庭のベンチに座って二人でお弁当を食べ終わった頃に真弓さんが現れた。

「ちょっといいっ?」

 その口調はどことなく怒っているように見える。

「なんだね?真弓くん」

「あなたたち、本当に付き合ってるのっ?」

「もちろんだとも」

 あの偽装カップル取り消し提案をしてきた隆紫は、吹っ切れたのかどうかわからないけど、落ち着きを取り戻している。

「どこかよそよそしくてカップルには見えないんだよねっ」

「そう見えるとしても、それが僕たちの付き合い方というわけさ。他人にどうこう意見されるいわれはないはずだよ」

「だったら証拠を見せてよっ」

「証拠…ねぇ…結婚だったら婚姻届や戸籍謄本で証明できるけど、付き合ってる段階じゃそういうものはあるはずがないよ」

 じり、と真弓さんが迫ってきた。

「キスして見せてよっ。カップルならできるでしょっ?」

「ああ、いいとも」

 そう言って、隆紫は迷いなくあたしに顔を近づけてくる。

 思わず引いてしまいそうになったけど、あたしは演じきると決めた。

 でも、一線は引かせてもらうわ。

 隆紫の手はあたしの後ろに回されて、くいっと引き寄せられる。

 薄目で隆紫の唇が触れるその瞬間…唇を口の中に引き込んだ。

 そのまま思いっきり噛んでしまった場合、唇を噛み切ってしまう。

 これはキスマークを付けられていた頃に一度やったこと。

 真弓さんの視線を感じつつ、隆紫が口を少し離した瞬間に唇を元の状態に戻す。

「というわけさ。他にはあるかな?」

 余裕綽々よゆうしゃくしゃくな態度で真弓さんを見た。

「~~~~~っ!」

 納得できないと言いたげな顔で真弓さんはあたしたちを見る。

 そのまま踵を返して姿を消してしまった。


「鋭いよね…真弓さん」

「そうだな」

「その…聞かないの?さっきの…」

 あたしが唇を引っ込めたことを指している。

「きっとやると思ったさ。前例があるしな」

 本心を言えば、引っ込めずに唇を合わせたかった。

 でもそうしたらもっと欲しくなってしまう。

 だから一線を引いた。

 あたし自身の気持ちが一線を踏み越えてしまわないように。

 演じきると決めたのに、もう辛くなってる…。

 こんな状態がいつまで続くんだろう。

「茜…」

「何?」

「いいのか?このまま続けていて」

 不思議と隆紫は、あたしの気持ちを的確に察しているようだった。

「言ったでしょ。覚悟決めたって。もう今後この話はやめましょう」

「そうか。だが茜の身に危険が迫るようなら、僕のやることに有無は言わせない」


 キュッ…


 その真剣な眼差しと言葉に、胸が締め付けられる感じがした。

 やっぱり…隆紫の全部が欲しい…。

 この優しさが本物なのか、演技ゆえの偽物なのかまではわからない。

 けどどっちでも構わない。

 好きになってしまったのだから…。

「茜」

「なっ、何っ?」

 思わずドキッとして返事したものだから、慌ててしまう。

「念の為、今後下校時は僕と車に乗ってもらう」

「どうして…?」

「真弓のやつ、茜の後をつけて何かちょっかいを出す可能性がある。薫にやられたような追跡をされないよう、猿楽には毎日道を変えるように言っておく」

 そこまで警戒しなければならないなんて…。

「いいよ、そこまでしないでしょ」

「いや、これは譲らない。嫌だと言っても腕を引っ張って車に乗せる」

「………わかったわ」

 言っても聞いてくれないと判断して、反論をやめた。

 それで隆紫が納得してくれるなら。


 放課後になり、文字どおりに隆紫はあたしの腕を引っ張って、まっすぐ校門前に待機している猿楽さんの車に押し込められた。

「出せ。猿楽」

「畏まりました」

 乗り込んでドアを閉めると、すぐに車を走らせる。

 離れの前で降ろされて、隆紫の乗った車はまた屋敷の敷地を出ていく。

 敷地に入っていく車と降りて離れに入っていく茜の姿を、敷地の外から見ている人影には気づく術もなかった。


「坊っちゃん、茜様の護衛には官治かんじをつけることに致しました」

 明先本社へ向かう道の途中で猿楽が口を開いた。

「なんの催しものをやってるやつだ?」

「その幹事かんじではございません。と読むこともできます。昔の戦友です。格闘技の経験もあり、今は私設警護団SPをやっています」

「………そうか。それなら任せられそうだ」

 勘違いを正されて少々顔を赤らめて沈黙した隆紫。

 戦友というのが気になったけど、おおかた過去の仕事をいくさに例えた仲間という意味だろうと考えて隆紫は追求しなかった。

 猿楽は隆紫が中学に上がる少し前から、明先家に住み込みで働いている。

 親が選んだ執事であり、今でこそ父と隆紫の両方から指示を受けて動く微妙な立場ながらも、早くて確実な仕事ぶりを見せている。

 高校に上がってからは父からの指示がほぼ雑用になり、命令系統は実質隆紫からが主流となっている。

 父自身も猿楽には「以後隆紫から指示を受けろ。こちらは片手間にやってもらって構わない」と隆紫に猿楽を動かす権限を委ねている。

 茜がメイドとして来てからは父の指示を受けるようにしたものの、隆紫自身が忙しくなってきたため、隆紫付きの執事として引き戻していた。

 それ以外の猿楽についての情報は皆無に等しい。

「だが猿楽、緊急時以外は茜の前に姿を現さないよう伝えておけ。茜に無用な心配はさせられない」

「もちろんでございます。影から見守らせます」


 その頃…。

 真弓は前に隆紫と同じクラスだった人に隆紫のことを聞き出していた。

 わかったことは、とても大きい屋敷に住んでいることと、明先財閥という子供でも聞いたことがあるような名前の代表を親に持つ御曹司であること。

 そして何かと茜にちょっかいを出していたことくらいだった。

 それを知った真弓は、ホームページで明先グループを調べ始める。

「ほんと、色々やってるわねっ…」

 ふと、運輸に関するプレスリリースがあり、そのページを開く。

「明先ロジスティクス…くぬぎ託送部門っ…?」

 前に聞いたあれって…もしかして…本当に…。

 すぐに櫟託送便のホームページを確認すると、明先グループ入りという情報が掲載されていた。

「なんでっ…どうしてっ…?ということは…家族公認の仲っ!?」

 次第に二人の仲が崩し難いものに思えてきていた。

「そんなの…そんなの…認めないっ!」

 どうすれば、と考えているうちにふと閃いたことがある。

「すっごく無様なところを抑えて証拠を掴めば…呆れて別れるかもしれないっ」

 ………。

「そういえば櫟さん家の住所知らないやっ…まあいいか。あの方法を使えばたどり着けるしねっ」

 あっけらかんと頭を切り替えて、今日は帰ることにした真弓。


 翌日


「それじゃ行こうか」

「はい…」

 化学の授業は移動教室となっているため、隆紫に導かれて教室を出るあたし。

「待ってー。一緒に行こー」

 かおるはあたしたちが偽装カップルとわかっているから、あまり遠慮せずに行動をともにすることが多い。

「よしっ、今ねっ」

 真弓が視線を送っているのは、カバンを吊っている茜の席だった。


 移動教室の授業が終わり、教室に戻ってきた。

 今日の授業はあと1コマか。

 何事もなく終わればそれでいい。

 ただでさえ隆紫との距離感で戸惑っているのだから、余計なことは関わりたくない。

 授業が終わり、いつものとおり隆紫が校門の前に待たせている車に乗り込む。

 最初は目立つから嫌だったけど、何度も乗っているうちに抵抗するのも馬鹿らしくなってきて自分から乗り込むようになった。

「茜、今日は僕もこのまま離れに帰る。何か嫌な予感がする」

「そう…」

 その予感に何も根拠は無いのだろうけど、一緒にいることがこんなに辛いなんて、来た当初は思いもしなかった。

 ほどなく離れに着き、隆紫は部屋にこもった。

 あたしは時間までメイド服に身を包み、掃除の仕事をしている。


 スマートフォンの画面に表示されている地図に座標を示す内容を注視している女の子が一人、大きな屋敷の門前に佇んでいた。

「ここはっ…なんでっ!?」

 何度も画面を確認するけど、座標を示しているのは確かにここだった。

「表札には明先と書かれているわよねっ…けどいるのは正面の母屋じゃなさそうねっ。どうやらここから見える左の離れ?」


 ピンポーン


 玄関の呼び鈴が離れに響く。

「はーい」

 考え事をしながらの掃除だったから、のぞき穴から相手を確認忘れたままドアを開けてしまった。

「っ!!?」

 そこにいたのは学生服を着たままの真弓さんだった。

 しまった!!隆紫と同居してるのがバレたっ!!!

 しかもあたしは仕事中だから、メイド服を着ている。

 これじゃ何も言い訳できないっ!!

 思わずドアを閉めようとしたけど…。

「あなたっ…ここで…何してるのよっ…?」

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