第13話:あそ・あぷ(Association approach)
登校の時間になり、あたしが先に出る。
外で待っていた
こうして、離れで隆紫の顔を見なくて済むのは正直助かっている。
離れでの顔、教室での顔をパッと切り替えできるほど心の余裕がない。
ここに来た最初の頃は、
教室に着くと、隆紫はまだ来ていなかった。
「おはよっ、
隆紫に気を寄せる
「おはようございます。真弓さん」
「一緒に来なかったのっ?」
「あら、どうしてかしら?」
「いつも仲いいじゃないっ」
冗談…と言いたいところだけど、すっかり気持ちが変わってしまった今となってはギクリとしてしまう。
「ふふふ、もし仲良く見えるのでしたら、
「あれ?誰が明先さんのことと言いましたかっ?」
しまった!
確かに「誰」とは聞かれていなかった!
「もしかしてっ…」
「わたくし程度では明先さんと釣り合いが取れませんわ。ご安心なさって」
「でも櫟さんって全国エリアで運送屋をやってますよねっ?」
隆紫のことは何も知らないのに、あたしのことはなぜ…?
「確かに両親は運送屋を営んでおりますわ。ですが財閥たる明先さんとは、それでも釣り合うにはまったくもってほど遠いです」
「そんなの関係ないよねっ?玉の輿になれたりするしっ」
「それ以前に櫟託送便は明先グループだもんねー」
げっ!
耳に飛び込んできた
「えっ?それどういうことっ?」
ああもう…薫ってば余計なことを…。
せっかくあたしと隆紫は何でもない他人同士ってイメージを持ってもらえていたのに、これじゃ振り出しどころかマイナススタートになっちゃうわよ。
けどここで慌てちゃ泥沼になるだけ。
「ふふふ、そういえばそんなこともありましたわね。ささやかながら新聞に載りましたけど、ほとんど騒がれなかったので忘れていました」
変に否定すると火が点いてしまう。
さらりと流して…
「つまり櫟さんは明先さんの身内ってことですかっ!?」
「そんなことを聞かれましても…少なくとも明先さんのご家族とは面識がございませんわ」
これは本当のこと。
屋敷の離れにいるとはいえ、両親とは一度も顔を合わせたことがない。
あの家でのあたしはあくまでも使用人。両親の挨拶なんて迫られなければやることもない。
「薫さん、少々来ていただけるかしら?」
その場を離れつつ薫を呼び出した。
真弓さんもついてこようとしたけど、すれ違い様に隆紫が姿を現したから、あたしたちよりそっちに釘付けとなった。
「なんで余計なこと言うのよ!」
ひとけの少ないところで薫を問い詰める。
「え、何がー?」
「真弓さんには、あたしと隆紫がなんにも関係ない二人ってことで話を進めてるのにどうしてあたしと隆紫の関係が深いと疑われるようなことを言うのかって聞いてるのよ!」
お淑やかな振る舞いも忘れて、つい声を荒げてしまう。
「明先くんにも相談されてるのよ。あのしつこい人を何とかしたいってー」
「ああもう…隆紫ってば…」
右手で右の側頭部を軽くかきむしりながら焦れるあたし。
「やっぱり茜は今の素な喋り方がいーと思うよー」
「薫はその間延びした喋り方やめたら?」
そう言って、お互い微笑みあう。
気を許し合える間柄だから、話をしていると心がほぐれる。
わかってる。
この立ち居振る舞いがあたしにはあまり合ってないって。
心を動かされたあのお嬢様に、もう一度会いたい。
会えば、あたしも何か変わるんじゃないかと思う。
けど姉とのつながりで何度かうちに来ただけの人で、今どこで何をしているかも知らない。
「さて、いつもの調子に戻りませんと」
お淑やかな口調に切り替えて、二人でその場を離れる。
教室に戻ると、案の定真弓さんは隆紫に質問攻めで猛アタックしていた。
おまけに隣の席だから逃げられない。
「あれを見てるとお腹いっぱいになりますわね」
こっそりと薫につぶやく。
「ほんとーにそーね」
真弓さんってなんとも物好きな…と思ったけど、そんな隆紫をあたしも好きになっちゃったんだよね…。
それにしても、素の隆紫はあたしだけ…いや、脅迫されて協力を取り付けさせられた薫もだけど、知ってるのはごくわずか。
あの気取った口調の評判は女子の間でも意見が割れている。
素で自然にしていたら、もっと多くの女子が好意を寄せているかも知れない。なにしろ容姿端麗、家柄極上、成績優秀、とまあ…わざとらしい鼻につく気取った喋り方以外に欠点は見当たらない。
もしかして…。
「ほら全員席に着け」
騒がしい教室に、担任教師の声が響く。
ホームルームの間も、真弓さんは隣の隆紫を見つめている。
見つめられている隆紫はなんとも居心地悪そうにしていて少し落ち着かない。
多分、なんとか付きまとわれないように考えを巡らせているけど何も思いつかなくて困っているというところだろう。
いつもあたしを困らせているのだから、少しは隆紫が困ればいいんだわ。
そう思って、困っている様子を見ていても内心穏やかではない。
離れと学校で気持ちの切り替えがうまくいかなくなっている今、猿楽さんが気を利かせて離れで隆紫と顔を合わせないようにしてくれているのはとても助かる。
とはいえ、心はグチャグチャになっていて、自分でもよくわからない。
いっそのこと進級で別のクラスになれば、もう少し落ち着いたのだろうけど、よりにもよってまた同じクラスで一年を過ごすことになってしまった。
どうしていいのか、どうしたいのかすら見えなくなっている。
今は隆紫と距離を置きたい。自分の気持ちを落ち着かせるため。
休み時間になると隆紫は真弓さんを振り切って姿を消す。
「ああもう明先さんってば照れ屋さんなんだからっ」
振り切られて勝手な言い分を垂れ流す真弓さん。
試しにこっそり隆紫に電話をかけてみることにした。
ツー、ツー、ツー…
味気ない話中の音になった。
着信拒否されているわけではないだろう。
おそらく電話中。それも仕事の話。
すぐに『今のはかけ間違えだから気にしないで』ショートメッセージを送った。
気がつくと真弓さんはどこかへ消えていた。
「ああ、例の件はそのまま進めてくれ。今朝メールしたとおりの結果にならなかった場合は至急連絡すること………ああ、任せる」
ピッ
通話を終了してホッと一息を入れる隆紫。
屋上を出てすぐの物陰に背中を預ける。
「どこに電話してたのっ?」
「げっ!!」
真弓さんに声をかけられて心臓が飛び出そうになるほど驚いていた。
「なっ…なんでここが…」
「返してもらうわねっ」
そう言いつつ、隆紫の尻ポケットに手をつっこむ。
取り出したのは見覚えのない小さなスマートフォンだった。
「まさか…」
「うんっ、これのGPSを辿ってきたんだっ。さすがに高低差まではわからなかったから一階から順々に上がってきたのっ」
そう言いつつ、もう一つのスマートフォンを取り出して見せた。
「どうりでポケットがゴワゴワすると思った…いったいいつの間に」
「秘密っ」
隆紫の額から一筋の汗が流れ落ちる。
「どこ行くのっ?」
「教室に戻るのさ。そろそろ時間だ」
いつもの気取り口調を取り戻して、真弓さんに背を向ける。
どこかひとけのないところを新たに探すとしても、こいつに付きまとわれちゃおちおち場所探しもままならない。
開き直って電話の内容を聞かせるというわけにもいかない。
先が思いやられる隆紫は、内心頭を抱えていた。
結局一日付きまとわれて下校時間を迎えた。
今日は珍しく隆紫がまっすぐ離れに帰ってきた。
けどすぐ部屋にこもって何かをしているらしい。
多分だけど仕事の指示をしているのだろう。
隆紫が自ら会社へ行かなきゃならないことが無かったのか、元々その必要がない仕事の仕方をしていて、気分次第で会社に行っていたのかは知らない。
けどあたしはあたしの仕事をするだけ。
今は隆紫の分まで食事を作る必要がない。
自分の分だけだから、いつもよりかなり手抜きでラクをすることにした。
一人で食べると、こんなにも味が変わるものなんだ…。
いつもは向かいに隆紫がいた。
最初は顔を見るのも嫌だった。
少しでも早くお父様が融資の返済を終えて、こんなところから開放されたかった。
一緒に過ごすうち、隆紫の良さに気づいた。
腹黒いところはあるけれど、いつも必死になって取り組んでいる。
知りたいことをとことんまで隠すけど、結果を得るために仕方なくやっていることだとわかった。もし薫の強力を得るために演技しろと言われたら、不自然な態度が出ていたはず。薫はとても鋭いから、絶対に気づかれる。
隆紫のやることには深い意味がある。
浅はかなあたしの考えではとても…。
「ごちそうさまでした」
片付けをしながら、テーブルを眺める。
いつも、あそこに隆紫がいた。
自分の気持ちに気づいてから一緒に食事をしたのはわずか。
隆紫を独り占めしたい。
けど避けられている今の状態じゃ、気持ちを伝えても無駄なのはわかっている。
むしろその後が気まずくなる。
お父様の返済が終わるまで、その気まずさに耐えていられる自信はない。
だからせめて、隆紫の顔を見なくて済むならそのほうがいい。
幸い朝晩のご飯は自分だけでいいし、昼は学食を使うし隆紫は母屋で食事する。
登校も別々だし、仕事が忙しいのか帰りは遅い時ばかり。
ひとつ屋根の下でありながら、顔を合わせる機会は少ない。
数日が過ぎ、ある日のお昼休み。
隆紫は真弓さんを振り切ろうとするものの、真弓さんの方が一枚上手で隆紫は逃げ場を失いつつある。
ある日は小型のビーコンをこっそり仕込まれ、ある日は逃げた方向で通りかかった人に聞き込みしたりと、その執念は舌を巻くほど。
「ねー茜」
「何でしょうか?薫さん」
「明先さんだけど、かなり参ってるみたいよー」
「まあ、そうなのですか?」
見ていればわかることだけど、あまり触れたくない話題だから知らないふりをする。
「それで、諦めてもらうために偽装カップルを申し込まれたよー」
「ええっ!?」
思わず丁寧語も忘れて食って掛かる。
「それはそれは…なんて返事をしたのですか?」
小さく咳払いして話を続ける。
「もちろん断ったよー。真弓さんって絡まれると結構面倒そうだしー」
確かに。
「彼女は実に熱心ですわね。あの熱意がどこから来るのか知りたくはありますわ」
「茜はその真弓さんに絡まれそーだもんねー」
「どういうことかしら?」
「いずれは明先さんと…」
「それは無いわよ。最近お互いに避け始めてるから」
ひとつ屋根の下な離れでも、顔を合わせないようあたしは仕事の終わり時間が決められたし、食事も別々になった。
「それじゃなんのために明先さんは茜を招き入れたんだろーねー?」
「存じませんわ。あたしの浅知恵では明先さんの深慮には遠く及びませんもの」
「ふーん…」
意味ありげな返事をする薫。
「もしかして薫さん、明先さんから何かを聞いていらっしゃるのかしら?」
「んーん。けど見ててわかりやすいとゆーか、確実に茜のこと好きだと思うよー」
「そうなのかしらね。仮にそうだとしても、もうわたくしは…」
諦める、と続けようとして口を閉ざす。
言わなくてもわかる間柄だから。
「ねっ、明先さんっ」
「これじゃ仕事にならん…」
ぼそっと呟いて、手にしたスマートフォンの画面に通知が来ているメールの件数を眺めてはげんなりした顔で真弓さんを見る。
「ここじゃ猿楽も呼べない…」
「ん?どうしたのっ?」
偽装カップルを演じてもらおうと薫に頼んでみたけど、どうしても折れてくれなかった。
無理に脅迫しすぎて開き直られても困るから、あまり強くは出られない。
誰か仲がある程度よくて引き受けてくれそうな人は…。
一人だけ思い浮かんだけど、今はそれどころじゃない。
結局メールは無視して放課後までやり過ごした。
放課後は真弓さんを振り切って猿楽の運転する車に転がり込む。
離れに帰り、自分の食事を作って食べ終わった後片付けしてる最中に隆紫が戻ってきた。
「おかえりなさい。早かったね」
「ただいま」
あたしは隆紫と距離を置くよう意識して、目をほとんど合わせなかった。
だから気づくことはできなかった。
表情が二転三転している隆紫の顔に。
片付けが終わって、一息ついた。
意を決した隆紫が口を開く。
「茜、頼みがある」
「何よ…」
せっかく心が落ち着いてきてるというのに、隆紫から話しかけてこられて少し戸惑うあたし。
「僕と、付き合ってくれ」
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