第12話(せん・です:Sentimental distance)
「去年は二つとなりのクラスにいたんだけど、わかるかなっ?」
「ふっ、僕の関心はただ一人。
目を閉じてわずかに顔を正面からそらして、再び前髪を手で払い除けながら気取った口調の
隆紫は内心舌打ちしながら、考えを巡らせている。
「いいよ。別に
やはり、と隆紫は毒づいた。
「面白い。僕が振り向く前に君がそっぽを向くだろうけど、頑張ってみるといい」
ほんと、学校だと調子が狂うわ。隆紫の本性を知っているだけに。
しかし…初対面でここまで好意を隠さずにいるこの子って…。
でもこれで隆紫が真弓さんと付き合うことになれば、あたしはすっぱり諦めがつきそうだから、いっそ応援してみるのもいいかな。
「ほう、君は隣の席だったか」
「うんっ。昨日は進級式だけ出たけど、家の都合で早退しちゃってねっ」
そういえば昨日は隆紫の隣って空いてたな。
「そうだったのか。大変だったな。そうそう、言い忘れてたけど僕は家業を継ぐつもりはない。家柄など僕には興味も関係もないことだ」
相変わらず気取った様子で
真弓さんは不思議そうに小首を
「明先くんの家って何か事業でもやってるんですか?」
…もしかして隆紫のこと、知らないの?
「知らないならいい。話すつもりもないからな」
くそっ!厄介なっ!
隆紫は内心、舌打ちどころか壁に思いっきり拳をぶつけたくなる気分になる。
家柄に惹かれて近づいてきたのなら、その家柄を自ら否定することで諦めてくれると見込んでいたが、とんだ見込み違いだった。
「さあて席つけ。進級説明会を始めるぞ」
先生が教室に入ってきて第一ラウンド終了のゴングが鳴らされた。
進級説明会。1コマまるまる使って行われたロングホームルームが終わり、2コマ目から通常授業が始まる。
真弓さんはというと、休み時間に入ってすぐ隆紫に声をかけていた。
「ねえ明先くん」
「なんだね?真弓くん」
「学校が終わったらいつも何してるんですか?」
そんなの決まってるじゃない。明先財閥で仕事してるのよ。
心のなかでそっとつぶやく。
「愚問だな。家で寝てるに決まってるじゃないか」
わずかに鼻白む真弓さん。
ゑっ?
そっか。本当のことを言うはずがないよね。なんたって隆紫だもん。
しかも嘘の吐き方がうまい。
どこかに出かけてる、と言えば当然「どこに?」が続く。
だから「寝てる」にしておけば、それ以上話の続けようがない。
しかし…。
「帰ってすぐなんですね。一日にどれくらい寝てるんですか?」
「午後3時には帰ってるし朝7時には起きてるから15時間くらいだな」
しれっと大嘘をつく。
「ぷっ、明先さんってそういう冗談言うんですねっ」
まあわかるよね。
「それで、実際にはどうなんですかっ?」
「深夜まで家業の仕事をしてる」
ギクッとする。
あっさり本当のことを言ってることに驚いた。
「アルバイトか何かですかっ?」
「会社の責任者として部下にあれこれと指示をしている」
あたしの顔がにわかに強ばる。
本当に、そんなことしてるの…?
「あははっ、本当のことを言いたくないんですねっ」
真弓さんは信じていないようだけど、あたしには嘘でも冗談でもなく事実として聞こえた。
実際、あたしも隆紫のそばにいなければ真弓さんと同じ反応をしただろう。
「後は君の想像に任せるとしよう」
隆紫はいつもこう。
自分の話になると冗談を言ってはぐらかして、話を終わらせる。
どれが本当のことなのかは本人以外知り得ないけど…でも今のは…。
もしかして、冗談っぽくはぐらかしてる時って、実は本当のことを言ってる…?
でもあたしの前では冗談めかしている様子はなく、本当かどうかわからないままあたしの話にすり替えている。
いや、隆紫は冗談でも本当のことを言うはずがない。
真弓さんは隆紫がひらりとかわす度に深追いせず話題を変えて隆紫に関する質問攻めを繰り広げていた。
「ふう…」
「すごかったねー、真弓さん」
お昼休みに入って学食で薫と向かい合って食事を始めるあたしたち。
「あまりにもエネルギッシュで疲れましたわ」
「それで、そのお嬢様口調はやめないんだねー?」
こそっと聞いてくる薫。
「前にお伝えしたとおりですわ」
ささやくように答える。
当の隆紫はというと、昼休みと同時に真弓さんを振り切るようにどこかへ消えてしまった。
多分だけど、人目につかない場所へ行って会社に仕事の電話をしているんだろう。
そう考えると、真弓さんに冗談めかして言ったことは現実味を帯びてくる。
学校に来ればあれこれ深みにはまるような考えをせずに済むから楽だけど、こうして隆紫につきまとう人がいると調子が狂う。
嫌でも隆紫のことを考えてしまう。
できればあたしの思考から隆紫を追い出したい。
けど隆紫は相変わらずあたしに絡んでくるし、考えないようにしようとしても真弓さんが隆紫に絡んでくるから嫌でも意識してしまう。
あーもうあたしの頭の中がグチャグチャよ…。
放課後になると、また真弓さんを振り切るような勢いで隆紫は教室を後にする。
本当に忙しいんだ…。
向かう先は知ってる。明先本社。
隆紫が視界から消えて、やっとあたしの心は落ち着きを取り戻す。
「ねえ、ちょっといいかなっ?」
「何か御用でしょうか?」
疾風のように消えた隆紫の代わりというわけでもないのだろうけど、真弓さんはあたしに声をかけてきた。
「
「存じませんわ。彼が何を思っているかに興味も関心もございません」
つい投げやり口調な素のあたしが出そうだったけど、踏みとどまって丁寧に返す。
「ふーん…」
何か疑うような視線を向けられるけど、余計なことは言わない。
もう一言でも付け加えようものなら、何かを隠そうとしていると思われても仕方ないし、さらに疑いを否定しようものなら泥沼にはまる。
「他にご質問はありませんか?」
微笑みながら聞き返す。
「それじゃ、わたしと明先さんとの仲を応援してくれるっ?」
「もちろんですわ」
隆紫は真弓さんに興味が無いことは明らかだったけど、これで仮に隆紫が真弓さんと付き合うことになれば、それはそれで都合がいい。
見た感じ、望みは薄いけど…。
かといってあたしでもありえないと思う。
仕事が忙しすぎて、他のことに時間を割く余裕は無いように見える。
「想いが届くことを陰ながら祈っておりますわ」
ニコリと笑顔を送って背を向けた。
離れに帰ってくると気が重くなる。
夜になれば隆紫が帰ってくる。
今のあたしに隆紫の存在は重たくて、一緒にいることが憂鬱で仕方ない。
夜になり、8時を回ったところで帰りを待つのは諦めて一人で食事を済ませる。
9時には自分の部屋にこもり、勉強を始めた。
ぼーっとしていたら、思い浮かぶのは隆紫のことばかりで落ち着かないから。
10時になっても帰ってくる様子がない。
もう帰りを待たなくていいと言われてるから、そのとおりにする。
何より、顔を見るのが…辛い。
ベッドに潜り込んだ頃、庭に胴長の車が滑り込んできた。
今日も…遅くまで仕事してたんだ…。
もぞ、と寝返りを打って目を閉じる。
「ただいま」
茜が待ち構えていることを覚悟していた隆紫は、そこに姿が無いことを知ると複雑な気持ちになっていた。
リビングに入ると、すっかり冷めてしまった食事が置かれていた。
小さなメモが置いてあり、温めて食べてねと書かれているメモを手にして、そのメモをポケットにしまう。
「こんな生活を…続けなければならないのか…」
と今にも爆発しそうな感情を押し殺してつぶやいた。
食べ終わった後、食器を自分で片付けて水を止める。
静まり返ったリビングを眺める隆紫の目には、メイド姿の茜をそこに重ねていた。
「いかがしますか?坊っちゃん」
「…まだ、動くな…」
いつの間にかそこで佇んでいた猿楽に、迷いと焦燥が入り混じった静かな声で短く返事をした。
「決めるなら、早めでないと様々に支障が出ましょう。今日も今日とて」
「…うるさい…」
「くれぐれも、後悔なされませぬよう」
そう言い残して猿楽は中二階から母屋への渡り廊下を使って姿を消した。
「後悔なら…もうしてる…」
焦燥が色濃く出ている声で、そう呟いた。
あたしは隆紫の帰宅に気づいていたけど、今はできるだけ顔を合わせたくない。
夜には仕事を終えていいと言われているからあえて部屋から出ないと決めた。
明かりを落として、闇が支配する空間の中であたしの意識は
一方、隆紫は机に向かって教科書を広げていた。
夜11時を回ったが、隆紫の部屋からは明かりが漏れているのを、猿楽が母屋の窓越しに眺めている。
♪♪♪
猿楽の携帯が着信を知らせる音楽を奏でている。
「はい。猿楽です」
受話器の向こうから届く声が耳に飛び込んでくる。
「坊っちゃんのことなら心配ございません。優秀なメイドが付いてますので」
受話器の向こうにいる相手の声が
「はい、坊っちゃんにとって癒やしとなっているようですが、近頃感情は少々乱れているかも知れません………はい、わたくしも微力を尽くします」
猿楽はあえてメイドが誰であるかを言わずに、今起きていることだけを大枠に限って伝えてから電話を切る。
「向こうは…朝10時というところでしょうか。もはや懐かしくすらある声でした」
まだ明かりの消えない隆紫の部屋を
翌朝
気が重い。
というかどうしていいかわからない。
二人きりでいる時は嫌でも意識してしまう。
学校に行けば何でもなかったかのように振る舞う。
このギャップがどうしても消化不良のまま胸焼けを起こしてしまう。
いっそのこと、隆紫を心底嫌いになってしまえば…いや、嫌いは意識を向けているという意味で好きと大差ない。
無関心でいられたら…どれだけ楽だったか。
でも、仕事だから…呼びに行かなきゃ。
そう決意してリビングを出て二階へ足を運ぶ。
隆紫の部屋を隔てているドアに、手の甲を向けて呼ぼうとするものの、手が動かない。動いてくれない。
すー、はー、と深呼吸して、ドアを叩こうとしたその瞬間…。
「茜様」
ビクッと全身の毛が逆立つような驚き方をしてしまった。
そこにいたのは
「猿楽さん、おはようございます」
すでにスーツでビシッとしている執事だった。
「おはようございます。隆紫坊っちゃんですが、しばらく家族水入らずで母屋にて食事をするそうですので、当分の間は坊っちゃんの分だけ食事を作らなくていいそうです。リビングにある坊っちゃんの朝食は今回だけ母屋へお運び致します」
「え…?」
思いも寄らない突然のことに、あたしは頭が真っ白になる。
「ああ、掃除は続けてくれないと困る、だそうです。ですよね?隆紫坊っちゃん?」
「………そういうことだ」
少し間が空いてドア越しに返ってきた返事は、事前に知っていたことではないと物語っていた。
「そう…ならよろしくね」
あたしは背を向けてリビングに降りていく。
猿楽さんが続いてきて、ササッと朝食をトレーに載せて姿を消す。
ホッとしたような、がっかりしたような、複雑な気持ちになる。
さっきの、多分猿楽さんが気を利かせてあたしと隆紫を引き離したんだ。
けど「もうお前は必要ない」と思われないよう、仕事は残したというところだろう。
やっぱり猿楽さんは何かを知っている。
そう確信せざるを得ない。
母屋に移動して、客室に隆紫が入る。
そこにはメイドが作ってくれた朝食が置いてあった。
「どうぞ、坊っちゃん」
「家族水入らず、ではなかったのか?猿楽」
「どうしてもと
「………このままにする」
別に親と不仲というわけではない。
だが苦手意識を持っているのも確かだ。
元々明先で働き出したのも、父を説得して無理やり得た立場だった。
父は別にそのこと自体をなんとも思ってないが、隆紫は後ろめたさを抱えているがゆえに、できれば顔を合わせたくないのが本音。
おまけにあれだけの
それを突っ込まれるのが精神的にきついという理由もある。
「助かった、とは言わない。なぜ手を回した?」
「昨夜にアメリカから電話がありましてね、坊っちゃんのことをご心配なされていました。それで…」
「冷却期間を設けようと」
「そのとおりでございます」
一人になったリビングでいただく朝食はいつもと違ってなぜか味が薄く感じた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます