第11話:にう・あら(New Arrival)
朝が来た。
いつもの朝。
昨夜、あたしは
けど冷たく突き放すような態度で隆紫は部屋にこもってしまった。
あたしだから、選ばれたわけじゃないんだ。
それがはっきりした瞬間、どうしようもなく泣きたくなってきた。
この離れに来た時は嫌がることばかりしてきた。
少しは隆紫のことを知れたと思ったら、今度は冷たくされている。
もう、私的な感情を挟むのはやめる。
お父様の融資、その返済が終わるまでは…。
新たな決意を胸に、朝食の支度を始める。
「起きて、隆紫。朝ごはんできてるわよ」
「起きてるから降りてろ」
いつもの儀式を終えたあたしはリビングで待つ。
ほどなくして二人がテーブルを挟み、箸をすすめる。
「
「何?」
見ると、隆紫の顔が二転三転した。
何かを謝ろうとするような顔から、苦虫を噛み潰したような顔に変わり、喉元を熱いものが通り過ぎて安堵したような顔。
『昨夜は冷たく当たってすまなかった』と言いかけた隆紫は、その言葉を飲み込んだ。
あの一言がどれだけ茜を傷つけたかを考えたものの、それを謝るわけにはいかないと思い直した。
謝るのは簡単なことだ。
だけど謝ってしまえば、せっかく望んだとおりの状態になりかけている茜の気持ちをかき乱すことになる。
「向こうしばらくの間、僕の帰りは遅くなると思う。夜7時をもって仕事は終えていい。僕を出迎える必要もない」
「そう…」
明らかに別のことを言おうとしてたのはわかったけど、どうせ問い詰めても答えてくれないのはわかりきっていること。
それに、もう私情は挟まないと決めた。
あたしのやることはただ一つ。
このまま隆紫のお世話をして、お父様が融資分の返済を終えるまで耐えること。
皮肉なことに、この決意であたし自身が持つ隆紫への想いに気づいてしまった。
けど、隆紫が心を開いてくれない以上どうしようもない。
悲しくて切ないけど、このまま…身を引く。
ピンポーン
何度目だろう。
もう聞き慣れた感じがする呼び鈴の音に、あたしは玄関へ向かう。
「やっほー、茜」
「薫…どうしたの?」
「彼はいるかなー?」
玄関の床を眺めながら問う薫。
「隆紫なら、帰ってきてないわ」
「やっぱりそーか」
わかってたのね。
「それより茜」
「何?」
「それが茜の素なんだねー?」
あたしはハッとなった。
離れに帰ると、つい気が緩んで普通の口調になってしまう。
「そ…そうよ。けど学校で見せてる姿は、あたしのあこがれでもあるわ」
実家で、いつか見たお嬢様。
あれが自然な姿になることを夢見て、立ち居振る舞いを真似してみて、定着する前に隆紫の元へ連れ去られて、ここで素の自分をさらけ出してしまった。
特に指摘されることもなかったから、離れでは演じている自分の姿をすっかり忘れてしまう。
けど学生服を
「そーなんだー。素な茜のほーがいーと思うよー」
言って、にぱっと笑顔を見せる薫。
「薫がどう感じるかという話じゃないよ。あたしの自己満足だから」
「ふーん。クラスメートが口を揃えて茜の態度はなんかよそよそしーって言ってるのに?」
「ゑ?」
思わず
クラスメイトとは別け隔てなく仲良くしていると思っている。
けど…そんなことを言われていたの…?
「やっぱり自覚なかったんだー。今の素な茜だったらそんなこと言われないんじゃないかなー。いー感じに肩の力が抜けてるしー」
「学校じゃ…そんなに、よそよそしい?」
「そのセリフが出てくる時点で無自覚の
あたしはがっくりとなった。
あの時見たお嬢様は、物腰静かで丁寧な対応でありながら、親しみが湧くとても素敵な人だった。あたしもかくありたいと思っていたけど、所詮は付け焼き刃か。
「まーでも決めるのは本人だからねー。好きにすればいーと思うよー」
「本心は別のところにあるくせしてよく言うわ」
「そーそー。そーゆーとこだよ。肩の力が抜けてるって」
あたしは完全に思い違いをしていた。
一度二度見たくらいであの人のことを知った気になっていた。
口調を真似して、上品な仕草をして。
けれど本来の自分を隠して装ってる不自然さが出ていたんだ。
もっと小さい頃からそう振る舞っていれば、自然にあんな所作ができたのかもしれない。
「わかったわよ」
頭の中でスイッチを切り替えて、隆紫と接している時のような話し方に変えた。
「わかればよろしー」
「でも、憧れの人に少しでも追いつくためだから、少しずつでも近づいていくことにするわ」
「わかってなかった」
げんなりした様子の薫を見ても、あたしの心は動かなかった。
本当に面倒と思えば自然としなくなるわけだし、装ってると見抜かれたことを言われてなお、そこに目指そうとしているのだから、これはあたし自身の意思であって誰かに強要されたものではない。
「ねー、なんでそんなお嬢様風を目指すのー?」
「ひと目見て魅了されたのよ。あの人に」
「それって誰なのー?」
「亡き姉つながりの人でね、名前も知らないんだけど、あの清楚さは今でも鮮明に覚えてるわ」
薫はわずかに目を見開いて、バツが悪そうに目を逸らす。
「やだ、しんみりしないでよ。そんなつもりじゃないのはわかってるから」
「…そっか。そーゆーことだったんだね。友達との話じゃ茜が何かの漫画やアニメに影響されてあんなことしてるのかと噂を…」
「へー、そんなふうに見えたんだ?」
「茜、その笑顔怖い…」
自分では意識していないけど、どうやら今の笑顔は不自然らしい。
「で、何か心境の変化あったでしょー?」
ギクリ
「な…何もあるわけないじゃない」
「はいはい。だいたい分かるからいーけど」
脇を締めて手のひらを天に向けてやれやれ、と言いたげな仕草で流された。
「でもその割には浮かない顔ねー」
いっそ打ち明けてしまえば…と思って、隆紫に対する気持ちと決意したことを口にした。
「はー、そんなことがあったんだー?」
「皮肉なものよね。やっと自分で認める気になって、けど距離を置かれちゃって…どうにもならないからもう深入りしないと決めたの…」
あたしは気づかなかった。
これを薫に話したことで、ややこしい事態へ発展することなど。
翌日
いつもどおりに迎える朝だけど、あたしの気持ちはどんよりとしている。
自分の気持ちに気づいてしまった今、隆紫と一緒にいることが辛くなった。
いつまで続くんだろう…この切ない状態…。
「隆紫、起きて」
「今降りる」
いつもと変わらないドア越しの返事。
けど、なまじ近くにいることが辛い。
ひとつ屋根の下にいることが…。
学校にいる誰よりも近くにいるふたり。
けど気持ちは世界中の誰よりも遠い。
朝食を済ませる間、何気ない会話をしたけど、気持ちがついてきていない。
今日から新学年。進級式はクラスで顔を合わせる時間がごくわずかだったから、実質的に今日からが始まり。
心機一転、と言いたいところだけど、気分はちっとも晴れない。
学校に行く準備を済ませて、制服に着替える。
「どうしました?坊っちゃん。もうすぐ出発の時間です」
受話器越しに声が届く。
隆紫は自分の部屋で猿楽に電話をかけていた。
「融資の返済は、どれくらい残ってる?」
「ほぼ満額が残っています。もしかして茜様を解任なさるおつもりですか?」
「………その時は正式に進めてくれ」
「かしこまりました。ご判断をお待ちしております」
猿楽は淡々とした口調で事務的に返事をしていた。
ピッ
終話ボタンを押して、画面を眺める。
キリキリ…と手にしたスマートフォンを強く握りしめて顔をしかめる。
「詫びるのは…簡単だ。いっそ全部を話してしまえば…楽になる…だが…」
隆紫は一昨日から茜の様子が急激に変わったことを気にしていた。
「最も恐れていた状態になってしまった…茜の解任は…なんとしても避けたい…それでも、どうにもならなくなった時は…やむを得ない…」
服をベッドに放り投げて制服に着替え始める。
茜はすでに離れを出ていた。
隆紫は猿楽の運転する車に乗り込み、黙って座っていた。
チラリとルームミラーで隆紫の様子を確認する猿楽。
「坊っちゃん、わたくしは茜様との間に何があったのか、仔細は存じません。ですが話を聞くくらいはできます。話すことで楽になることもあるでしょう。気が向いたらいつでもお話ください」
「ありがとう猿楽。だが話したところで現状が打破できるわけじゃないからな。それと、一昨日の帰り道で熱くなってしまった僕の制止は助かった。礼を言う」
「わたくしは坊っちゃんの指示どおりに行動したまでです。坊っちゃんに関する一切の情報を茜様に提供しないこと。その背景については存じませんが、まさか級友の方があんな方法で坊っちゃんの行き先を突き止めるとは思いもしませんでした」
「あれは仕方ないさ。面識がありながらも道で張ってる級友に気づかなかった僕の落ち度でもある」
猿楽は実際、気付いてはいた。
行く道の先で、前の日に見た顔がだんだん明先本社ビルに近いところで見かけることについては。
しかしそれが尾行ならぬ待ち伏せによる行き先調査とは思いもしなかった。
尾行であればあえて遠周りをするなどして尾行であることの
「いかがしましょう。今後は毎日違うルートにしますか?」
「いやもういい。明先本社に出入りしてるのを知られたくなかったのは茜だけだからな」
「承知しました」
仮に学校側へ明先本社に出入りしているのがバレても問題はない。
なんとでも言い逃れできる自信はある。
だが茜についてだけはなんとしても避けたかった。
「送迎ご苦労。時間までに合流できない場合は連絡する」
「かしこまりました」
猿楽はアクセルを踏んで明先本社へ向かって走り去る。
「ふっ」
さっきまで深刻な面持ちで考え込んでいた表情を、キラキラオーラで上書きする。
もちろんこれは狙いがあっての演技である。
こうして気取った様子を見せることで、嫌味に感じた女子が近づいてくるのを防ぐ目的がある。
効果の程は不明だが、茜が言うにはこのキラキラオーラが女子の鼻につく態度としてみられ、女子たちは敬遠しがちになっているらしい。
それでも近づいてくる女子は、少なからず隆紫のステータス目当てであることは明らかだから、それなりにあしらえば済む。極めて合理的な選択だ。
だがこの選択も茜に限っては通用しない。
なぜなら同居開始をきっかけにずっと本性を見せているからだ。
それゆえ茜に関する問題をやっかいなものとして捉えている。
どこで何を間違えたのか、と隆紫はキラキラオーラを振りまきながらも考えていた。
「おはよう諸君!」
来たよ隆紫…。
なんの因果か、隆紫と茜と薫は二年に上がっても同じクラスになっていた。
それ以外の級友はほぼ見る影もなく入れ替わっている。
まさか隆紫が学校側に何か手を回したんじゃないでしょうね…。
「おはようございます。明先さん」
「ふっ、今年も同じクラスとは、何やら運命を感じるな」
サラリと前髪を払い除けながらいけしゃあしゃあと
その減らず口をガムテープで塞いでやりたいわ。
離れでは
「ふふっ、腐れ縁というものでしょうか。
しおらしく微笑んで見せる。
ジト目で薫がこのやり取りを見ているけど無視。
あたしと隆紫の本性を知ってるのは薫だけ。
上っ面だけの漫才を見ているような目だ。
まさにそのとおりなんだけど。
「僕が運命を感じているのは君だけさ」
その言葉にチクッと胸が痛み、一瞬だけあたしの顔が曇る。
「あたたたたっ!」
「はいはい、漫才はそのへんで終わりねー」
薫が割って入ってきて、隆紫の鼻を思いっきり摘んだ。
…あたしのために、話を終わりにしてくれたの…?
「明先さん、はじめましてっ!」
薫が手を離してすぐに黄色い声が耳に飛び込んでくる。
「君は?」
声をかけてきたのはクリッとした目が印象的で、軽くウェーブのかかったダークブラウンの長い髪を揺らしている今まで校内で見たことがない顔だった。
スタイルは…あたしが完全に負け。
胸はほどよく出ていて、腰はキュッと締まっているのにヒップは健康的に膨らんでいる。
背丈はあたしと同じくらいなのに…この差はずるい。
「あたしは
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