第10話:りぺ・でぷ(Repent Deeply)

 窓の外は明かりが前から後ろへ流れていく。

 時々目に突き刺さる対向車のライトは、隆紫りゅうじの顔を一瞬照らして再び闇の中へ戻す。

 すっかり夜になった今、胴長の車はタイヤがアスファルトを蹴飛ばす僅かな音だけを車内に取り込むものの、光は周囲が放つものだけが刹那に車内を照らしている。

 あたしの座っている場所は、車の進行方向に対して横へ背を向ける位置で、前を向いているのは運転手の猿楽さるがくさんだけ。

 隆紫は歩道に背を、あたしは対向車側を背にして向かい合っている。

「それで、話って何だ?話なら家でもできただろう」

「家に帰った後で仕事に行ってるんでしょ、と聞いてもどうせとぼけるつもりじゃないの?だからこうして来たのよ」

「話とはそれだけか?」

「ううん。いっぱいあるわよ。けど問い詰めても素直に答えてくれないでしょうね」

 あたしはあえて意地悪なことを言ってみる。

 冷静な状態ではガードが固くて、とても聞き出せそうにない。

「やっとあたしの疑問というカケラが一つにまとまったわ。でも、これでもっとわからないことが増えてしまったのよ」

「大方、なんで僕が学生でありながら仕事してるかというところだろ?」

 そう。聞きたいのはそこ。

 けど納得できる答えが聞き出せるとは思っていない。

「そうよ」

「これでも僕は明先の跡取りだ。学生だからという甘えを許してくれるほど両親は甘くない。学業と仕事を両立させてこそという親の方針…」

「嘘ね」

 途中でバッサリ切り捨てた。

 あたしなりの挑発として、わざとやったこと。

「いえ、半分は本当なんでしょう。けど残り半分は違うところにあると見てるわ」

「…なぜそう思う?」

 一瞬出た妙な間は、あたしの予想が正しいと確信させた。

「本当にそうなら、隆紫をお世話する身である…あたしに隠す必要は無いと思うわ。けど今日までずっとあたしに隠し続けたのはなぜか。あたしに知られたくないことがあるから。違う?」

 対向車がすれ違う。

 わずかに差し込んだ一瞬の光は、隆紫の眉間にシワが寄った顔を照らし出した。

 すぐに闇が隆紫の顔を覆い隠し、それ以上のヒントを与えてはくれなくなる。

 これがまだ夕方だったら助かったんだけど…。

 かといって家についてからでは隆紫が素に戻ってしまうだろうから、今しかチャンスはない。

 再び対向車が車内を照らし、その光を頼りに隆紫の顔を見たけど眉間にシワが寄っている様子はなかった。

「思い込みが激しいな。そんなに心配しなくても迷惑をかけるつもりはない」

「もし隆紫が倒れたら誰が看病すると思ってるのよ」

「僕のことは僕が…」

「あたしがやってるじゃない。ご飯、お風呂の準備、屋敷のお掃除」

 これで隆紫自身がやると言いだそうものなら、あたしの居る意味はなくなってしまう。

「だったら僕が倒れても構うな」

「そういうことを言ってるんじゃないのっ!心配くらいさせてよっ!あたし、最初は隆紫のことを苦手に思ってた。鼻にかかったようなオレオレ王子様みたいな口調、家柄は財閥の子だし、テストも学年上位の常連。あたしに無いものをたくさん持ってる隆紫のことが心底羨ましかった!」

 再び対向車の光が車内を照らす。

 一瞬だけ見えた隆紫の顔は変わらない。

「けど何が狙いなのかは知らないけど、王子様口調は演技だったし、財閥の子だからといって甘えることなく根を詰めてるし、テストの成績だって寝る間を惜しんで勉強している結果だってわかった!一緒に暮らしてきて隆紫のことを理解して、これでも見直してるんだからねっ!?」

 猿楽さんの存在すら忘れて、あたしは一気にまくし立てる。

「あたしに意地悪なことをするのだって、なにか狙いがあるんじゃないかと思い始めてるっ!!同居してるのにどこか距離を置かれてる気がして、寂しいのよっ!!隆紫が学校で生徒として過ごしながら、休みの日も親の手伝いをしてることを知らなかったら、過労で倒れても健康管理がなってないだけって思ってるわよっ!!」

「親の手伝い…だと?僕は正式に明先みょうせん…」

 身を乗り出して何か重要なことを言いかけた隆紫を制するように、猿楽さんが口を開いた。

「隆紫様、まもなく到着します」

 しまった!水を差された。

 というか猿楽さんのこと、すっかり忘れてた。

 沸騰ふっとうして吹きこぼれかけた鍋に冷え水を投げ込まれたかのように、隆紫が冷静さを取り戻していた。

 …何を言いかけたんだろう…?

「それでは隆紫様、あかね様、おやすみなさいませ」

 車を降りたあたしたちを猿楽さんが見送り、玄関に入るとすぐに車が外で奥へ向かって走り出した音が遠ざかっていく。

「隆紫…」

「さっきのことについて話すことはなにもない」

 有無を言わさず、ビシッと線を引かれてしまった。

「あたし、もっと隆紫のことを知りたいって思う…。それっていけないことなのかな…?」

「今までどおりに言われたことだけやっていればいい」

 そう言い残すと、隆紫は部屋にこもってしまった。


 翌朝


「隆紫、起きて」

 ドアをノックして、返事を待つ。

「起きてるよ。降りるから下で待ってろ」

 気まずくなりそうだったけど、あたしが気にしたら隆紫も気にすると思ったから、普通にいつもどおり起こしに行った。

 朝食も普通に終わり、いつもの隆紫だった。


「いってらっしゃい。隆紫」

「行ってきます」

 仕事へ行く隆紫を見送って、掃除を始める。

 どうして知られることを嫌がるんだろう…?

 おまけに猿楽さんまで遠回しに止めてきた。

 何を言いかけたのか、考えても答えは出ない。

 あの隠してることは誰にも知られたくないのか、あたしにだけ知られたくないのかで、意味合いは変わってくる。

「もう少しだったのに…」

 呟いてみても答えが出てくるわけじゃない。

 そして猿楽さん。

 にわかに沸き立った隆紫に水を差して、続きを言わせなかった。

 猿楽さんも、何か知ってるのかしら。

 でもあの様子だと隆紫よりずっとガードが固そう。

 そうだ。

 あたしはスマートフォンを取り出してダイヤルする。


 プルルルル…プルルルル…

「どうした。何かあったか?」

「お父様。今ちょっといい?」

「いいけど、なにか深刻なことか?」

 そう。

 思いついたのはお父様が隆紫について何か知っているかということ。

「隆紫…くんのことなんだけど」

 つい呼び捨てにしてしまいそうになって、慌てて付けにする。

「彼か。すまんが彼のことについては一切しゃべるなと言われていてね…といっても大したことを知ってるわけじゃないけど」

 まあ、期待はしてなかったけど、なんとも根回しのいいこと。

「そう…」

「それよりそっちでの生活はどうだ?問題起こしてないか?」

「うん、うまくやってる…と思う」

「こっちはやっと全国展開の整備が終わって、これから本格的に配送サービスを始められそうだ」

「そうなんだ。早く軌道に乗るといいね」

「それじゃお父さんは仕事だから、切るよ」

「うん」


 ピッ


 やっぱりというか、空振りだった。

 もしかしたらと思ってみても、もう調べる方法はないかもしれない。

 あの様子だと、お父様からはあまり有力な情報を得られなさそうね。

 かといってかおるがいくら知りたがりの観察力が優れている人だからと、なんで隆紫が勤労学生なのかなんて裏の事情を知るはずもないし、調べるにも限界がある。

 多分、今のあたしが隆紫本人と猿楽さん以外で隆紫のことをよく知る人ってことになるんだろうな。


 もっと…隆紫のことを知りたい。


 こんな気持ちになるのは初めて。

 どうしてなのかはわからないけど、気になる。

 最初は嫌で仕方なかったキスマークも、今は付けてくれなくて…寂しい。

 どうしちゃったんだろう…あたし…。

 

 胸の奥がキュッと締め付けられるような感じを覚えて、窓の外をぼんやりと眺める。

「早く…帰ってきて…」

 ご主人の帰りを待ちわびる仔犬のように、気持ちは隆紫の方へ向いていた。


 日が落ちて、明日から始まる学校の準備をしながら、もうすぐ帰ってくるはずの人を待つ。

 ………。

「あれ?いつもだったらこの時間には帰ってきてるよね…?」

 時間はすでに夜の8時を回っている。

 それでも待ち続けて、更に2時間が経った。

 まさか…事故でも…?

 あたしはスマートフォンを取り出して、アドレス帳から隆紫の番号を画面に表示させる。

 発信のボタンを………押せなかった。

「仕事の邪魔…しちゃダメよね…」

 隆紫が仕事をしていると知らなければ、あたしは迷わず電話をかけていた。

 けど知ってしまった今、せめてできることは…信じて待つこと。


 コアアア…


「っ!?」

 かすかに聞こえるあの音は、隆紫が乗っているいつもの車の音だ。

 時間は夜の11時。


 チャッ…


 静かに開け放つドアから、隆紫が姿を現した。

 待ち望んだ男の子の姿。

「おかえりなさい」

「…ただいま。まだ寝てなかったのか」

 驚いた顔であたしに言葉を投げかける。

「メイドが…あるじよりも先に寝るわけにはいかないですから」

「今日の仕事は午前で切り上げているはずだろう。それに夜は…」

「あたしが待ちたいから、待ってたんだよ」

 ふわっと微笑んであたしは答えた。

 隆紫は驚いた顔を見せたかと思うと

「もう寝てろ」

 苦々しい顔に変わり、焦りを含んだ命令口調でそう吐き捨てた。


 部屋に戻ってさっきのことを思い返す。

 あの顔と言い方はいったい…。

 なにか気に障ることでもしちゃったかしら…?

 もっと彼に近づきたい。

 その一心であたしは気持ちをぶつけてみたけど、拒絶まではされてないと思う…でも、あの態度は…嫌悪…?

 わからない。

 何を考えてるのか、わからない。

 心当たりがない。

 疲れからくる八つ当たりだったのかな…?

 考えても仕方ないと思い、夜も更けていたから寝ることにした。


 今日から新学年。

 学年トップで進級した隆紫と、平凡な順位で進級したあたし。

 あれだけ遅くまで仕事しておきながら学年トップなんて信じられない。

 よほど夜遅くまで勉強してるのかも知れない。

 いつものとおり朝食を済ませて、そろそろ登校の時間がくる。

 昨夜みたいな嫌悪を含んだ態度は見えなかった。

 やっぱり、疲れてただけだったのかな…?

 この時のあたしは、隆紫の気持ちが余計にわからなくなる事件が待っていることなど知る由もなかった。


「それで、どーなったの?」

「どうもしないわよ。隆紫に仕事してることを問い詰めたら認めたけど、それ以上のことは何もわからなかったわ」

 始業式が終わって、薫と先日のことを思い出して話をしていた。

「そっかー。さすがに明先本社に忍び込むのは難しーから、仕事するようになったきっかけを調べるのなんてもっと無理だわー」

「でも会社に行ってるってこと確認してくれて助かったわ。余計にモヤモヤしちゃってるけど、何も知らないよりはずっといい」

「うん、じゃーまた明日ねー」

 薫とは帰る方角が途中から反対になる。


「ただいま」

 離れの玄関を開けて帰宅の挨拶をする。

 ………。

 あれ?

 隆紫はいつも車で帰ってくるから、あたしより先に着いてるはず。

 下を見ると、隆紫の靴がない。

 まさか…帰らずそのまま会社に行ってるの?

 最近、隆紫ってば根を詰めすぎてない?

 思わず手にしたスマートフォンのアドレス帳から隆紫を引っ張り出しては、発信ボタンを押せずに肩を落とす。

 そんなことを繰り返している。


 結局夜まで戻ってこなかった。

 その間、あたしはやきもきしながら、ソワソワして待つしかない。

 夜の10時を回った頃、離れの前に胴長の車が横付けされた気配を感じて、あたしは玄関の内側まで迎えに出ていった。

「おかえり…」

「ただいま。また寝ずに待ってたのか」

 あたしは、かける言葉がみつからないでいた。

 横を通り過ぎても、振り向かずにその場で立ち尽くす。

「…隆紫、あたし…迷惑…かな…?」

 答えることなく、階段の手前まで足を運んでいた。

「言われた仕事をしてくれていれば、それでいい」

 たん、たん、と階段を上っていく。

 やがてパタンとドアの閉まる音がずっと遠くから響いて耳に飛び込んでくる。


 隆紫が必要としているのは…多分あたしじゃない。

 夜遅くなっても翌日の生活を乱さないよう、自分のことをお世話してくれる人…。

 忙しすぎて、この離れを代わりに手入れしてくれる人…。

 誰でもよかったんだ…。

 たまたまあたしが都合よく現れて、融資する交換条件として選ばれただけなんだ…。


 隆紫は部屋に戻り、カバンをベッドに放り投げる。

 ゴウン!

 拳を壁に叩きつけて険しい表情に変わる。

 絶対勝てたはずの勝負に、自分以外の意思により負けを選ぶしかなかったアスリートのように。

「なんで…あんな言い方しか、できなかったんだ…僕は…最低だ…」

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