第9話:おん・とく(Want Talk)

 数日が経ち、春休みに入った。

 学年末考査は無難に乗り切って進級が決まった。

 メイドの仕事もやっとペースが掴めてくる。


隆紫りゅうじ、朝ごはんだよ」

 黒のドレスに白のフリル付きエプロンを身にまとい、いつものとおり起こしに行く。

「おはよう、あかね

 あたしのご主人様はとても意地悪。

 ミスで同居がバレちゃった後に、見放すような素振りを見せながらあたしの態度を見て楽しんでいた。

 見放されないよう、必死になっているあたしの姿を。

「それで、もうキスマークは付けなくていいの?」

「ああ、最初から薫に嗅ぎつけられて協力を得るまでのきっかけにするだけだったからな。それに、これ以上周りにこの同居を知られるのはまずい」

 となると、この先隆紫が触れてくるのは服越しだけなんだ…キスマークを付ける以外で素肌に触れるのはダメってお互い同意しちゃったから…。


 はっ!


 何がっかりしてるのよあたしっ!

 喜ばしいことでしょっ!

 顔をブンブンと振り、両頬をパチンと叩く。

「何やってんだおまえは?」

 突っ込まれるけど

「なんでもないよ」

 と答えた。


 朝食を終えると、あたしは片付けに入る。

 隆紫は春休みに入った後でも毎日どこかへ出かけていってる。

 そうなると、離れにはあたし一人だけになる。

 中二階の渡り廊下から母屋に行けば人はいる。

 けど基本的に母屋とは関係を持たないと隆紫に言われているから、よほどのことがなければあちらに行くことはない。


「ほんと、隆紫ってばいつも何してるんだろう?」

 リビングに掃除機をかけながら独り言が口から漏れた。

 隆紫が出かける時はほとんど猿楽さるがくさんの運転する車に乗りこんでる。

 帰ってくるのは例外なく夜。

 その間にどこで何しているかは全くわからない。

 春休みと言っても、あたしの日常は繰り返すだけ。

 掃除、洗濯、食事やお風呂の準備…。


 ピンポーン♪


 ふと、呼び鈴が鳴った。

 ん?誰か来る予定あったかな?

 電話は出ちゃダメだけど、来客対応はよかったはず。来客は「まずない」とは言われたけど。

「はーい」

 あたしはのぞき穴の存在を忘れてそのままドアを開けてしまった。

「やほー」

かおるっ!?」

 そこには、笑顔で佇む薫がいた。

「ほんとーにメイド服着てるんだ?」

 かあっ!

 あたしは顔を真っ赤に染めて、自分の体を抱く。

「これは…」

「かわいーじゃない」

 どうせ隆紫のことだから、こういう恥ずかしがる姿を思い浮かべてニヤニヤしてるんだろうな。

「ありがとう。けどこれ絶対あたしに対する嫌がらせだと思うわ」

「嫌がらせ…ねー」

 何か思うところがあるのか、微笑みながら反芻はんすうした。

「ま、立ち話もなんだから、上がって行ってよ」

「そーするー」


 コトッ


 淹れたばかりの紅茶を出して、ダイニングテーブルを挟んで腰を掛ける。

「このお屋敷、すごく広いねー」

「掃除が大変なだけよ」

「そっかー」

 確かにこの屋敷は広い。

 離れにも関わらず、これだけであたしの実家よりも大きい。

 母屋には別のメイドやバトラー(執事)がいるそうだけど、あたしが来てから立ち位置が今ひとつはっきりしない猿楽さん以外は顔を合わせたこともない。

「掃除は一人でやってるのー?」

「一週間かけて一巡すればいいって言われてるわ。春休みで時間配分が掴めなくなってきたけど」

「そうだよねー。短めとはいえ、休みが続くからそうなっちゃうよねー。宿題もないし」

 そういえば、宿題が無いのに隆紫は部屋にいる時、どうも勉強しているっぽい感じではあったな。

 2年の予習でもしてるのかな?教科書もまだ無いのに。

 ………あれ?何か違和感が…。

「それで、ほんとーに彼とは何も無いの?」

「ありえないわよ。あたしは隆紫のお世話をする身だけど、それは奴隷じゃない。世話係としての尊厳を守らない場合はしっかり対応するって断ってあるわ」

 薫は紅茶の入ったカップを傾けて

「おいしー。これすごくいー茶葉じゃない?」

「知らないわ。届いてすぐ別の容器に入れて保管してるから」

「そーなんだー?」

「そういえば、薫はなんで来たの?」

 思っていた疑問をそのままぶつけてみる。

「たまたま近くを通ったから来てみたんだけど…めーわくだった?」

「ううん、日中は一人きりだからとても嬉しいわ。ちょっとお手洗いに行ってくるね」


 あたしは席を立ってリビングを後にする。

 薫はスマートフォンを取り出した。

 タスタスとメールを打ち始める。

 宛先は隆紫。

『言われたとおりに来てみたわ。ずっと一人にするなんてあんまりじゃない?』

 と入力して送信する。

『だから頼んだんじゃないか』

 短く、すぐに返事が来た。

『ところで今どこにいるわけ?』

『お前が知る必要はない』

 そうやり取りしてる間に茜がリビングに姿を現す。

「あ、待たせて退屈だったよね。ごめん」

「別にだいじょーぶだよー。それより、彼はどこ行ってるの?」

「それも知らないわよ。早く融資分を返済してもらって、この屋敷を出ていくことばかり考えてるわ」

 そう口に出したものの、胸の奥で何かチクリとした痛みを覚えた。

 薫はあたしのわずかな表情の変化を見て、一瞬だけ少し目を細めたことに気づけなかった。

「いつも何時ごろ出ていってるのー?」

「学校の無い日はだいたい8時くらいね。執事さんと車で出ていってるわ。どこに行ってるか知らないけど」

 それを聞いた薫は、ある決意が芽生える。

 でもそれを茜に伝えることはしない。

「茜ってほんとわかりやすい」

 喉まで出かかったその言葉を飲み込む薫。


 翌朝


「いってらっしゃい。隆紫」

「そうだ。連休の時は仕事を午前で切り上げていいぞ。少しは外の空気に当たるといい。日曜は従来いつもどおり自由に使ってくれ」

「わかったわ」

 少し柔らかい感じに変わった隆紫を見て、あたしは気持ちがほぐれていく。

 それでも隆紫との間に感じているこの距離感は


「出してくれ」

「かしこまりました」

 猿楽に出発指示をして、車は門を出ていく。

 その車を門の外から眺める一人の影があった。

「明日はあっちで張るかな」

 ブレーキランプが点き、見えなくなるギリギリで右に曲がった。

 一人の影は車が右に曲がったあたりまで歩いていく。

 曲がったところまで足を運んだものの、当然車は見る影もない。

 ヒュオッと風が吹き抜ける。

 車がさらに進んで曲がったであろう道を探してしばらく歩を進めていた。


 数日が過ぎ、短い春休みが終わろうとしていた。

 そんな昼下がり。


 ピンポーン


「はーい」

 今日も隆紫は車でどこかに出かけている。

 帰ってくる時間はまちまちだけど、日が沈む頃までに帰ってくることはない。

 玄関を開けてる前にインターホンで相手を確かめる。

 見知った顔だった。

「こんにちわ、薫」

「茜。こんにちわ」

 仕事は午前で切り上げていて、お茶の時間にしていたあたしは、薫をリビングに招き入れておしゃべりに興じていた。


「今日も彼はお出かけしてるんだ?」

「うん、毎日夜まで帰ってこないわ」

「彼がどこに行ってるかも知らないのよね?」

 隆紫は平日も土日もなく毎日出かけているけど、行き先は未だに知らないでいる。

「そうよ。言いたくないなら聞かないことにしたわ」

「そう。そのことだけど、何をしてるかは知らないけど、どこに行ってるかはわかったと言ったら…聞く?」

「えっ?」

 いくら薫を協力者にしたからと言っても、隆紫が自分から秘密を喋るとは思えない。となると…。

「いい。自分から話してくれるまで…」

「顔に書いてあるわよ。知りたいってー」

「………」

 あたしが黙る番だった。

 隆紫のことを知らなすぎることで、ずっとモヤモヤしているのは確か。

「聞きたくないなら耳塞いでて。今から言うわよー」

 ごくり、と喉を鳴らしてしまう。

 この静かな空間では、その音すら薫に聞かれてしまうのではないかと心配になってしまう。

 耳を塞ぎたい気持ちはあったけど、手が動かなかった。

「株式会社 明先みょうせんの本社ビル」

 なんとなく…そんな気はしていた。

 聞いたあたしは、自分でも驚くほど驚かなかった。

「信じたくなかった、って顔してるわよー。どーせわかってたんでしょ?」

「どうやって…行き先を知ったの?」

 答える代わりに質問で返した。これは肯定を意味している。

「かんたんなことよ。あの門を出た車がどっちに行ったかを確認して、次の日はその先で待ち伏せる。見える範囲から出ていったら、次の日にまた見失うギリギリのところで張る。こーして行き着いた先がそこだった。毎日行き先が違うなら使えないけどね」

 前に昼休みの後で授業に出なかったことがあった。

 あれは仕事の話をしていて授業に出られなくなったんじゃないかとは思っていた。

 隆紫が朝出ていって夜帰ってくる姿を見て、仕事に出ていく父や母と重なって見えていたことは事実。

 そして、朝起こしに行った時…偶然見かけた経営学の本。

 電話には出るな、と言われてたけど…電話はかかってくるとしたら仕事の話だから…?

 香水の移り香があったことにして引っ掛けてみたけど、あれは会社で本当に移り香があるかもしれない…ということ?

 誰か女性と二人で会っていた可能性はあたしの中からすぐに消えた。あまりに頻繁すぎるから。

 なんとなく断片的だった隆紫に関するカケラは、薫の一言によってまるでパズルのピースみたいにしっくりはまっていく。


 わかっていた。


 けどこれで確定してしまった。

 隆紫は学生の身でありながら、大人たちと仕事をしているであろうことが。

 それも学校が休みであっても休みなく。

「多分だけど、仕事してるんだよね…」

「まー、ほぼ間違いないでしょー」

 となると、どうして仕事しているのか。それも土日祝関係なく休まずに。

 明先財閥の跡取りなら、今のうちに経営の勉強をするのは自然なこと。

 けど実際に会社へ入り浸っている理由がわからない。

 それでいて、学年トップの成績を出している隆紫は、帰ってからも学校の勉強をしているのであろうことは想像に難くない。

 そんなんじゃ…体壊しちゃうよ…。

 それでもわからないことがまだある。

 学校ではあたしにだけ名指しで挨拶していた。

 なぜあたしをこうしてメイドとして扱うのか。

 どうしてあたしが困ることばかりするのか。

 仕事をしてるなら、それを話してくれない理由は未だに不明。

 猿楽さんに口止めまでしているらしい。

 隆紫は自分のことを話さない。

 食事の時にはあたしの周りであったことを話もするけど、隆紫のことも話の流れで聞くようにしている。

 けどぼかされたり、はぐらかされて、ほとんど質問の答えになっていないまま会話を終わらされている。

 別に隆紫が会話の能力で劣っているわけではない。

 あたしがここに来た時は説明を面倒くさそうにしてたけど、立て板に水を流すようなスムーズさがあった。

 学校でも普通に話をしているから、頭の回転はいい。

 それを逆用しているのか、彼自身の話題になるといつの間にか内容を逸らされる。

 隆紫の話をしていたと思ったら、気がつけばあたしの話に置き換わっているのがいつものパターン。

 いろいろとぐるぐる考えていても結論は出ないってわかっている。

 けど考えるのは自分でも止められない。


「今日来たのはこれが本題。いろいろ思うところがあるだろーから、これで帰るねー」

「うん、伝えに来てくれてありがとう」


 薫を玄関まで見送り、ドアが閉まると再び静寂が離れを支配した。

「よし…」

 あたしはスマートフォンを取り出して画面に表示された地図へ住所を入力する。


 あたりは暗くなり、春の強い風があたしの頬を撫でる。

 髪は風に流されて真横へたなびく。

 ふっと風が収まり、流されていた髪は柳の枝みたいに下へ向いてまとまり止まる。

 逆の方向から吹いてきた風が髪を揺らし、一本一本の髪がくるくると紙縒こよりみたいに絡まってまとまっていく。

「もう…風強いわね…」

 大きな建物に遮られた風は、外側へ大きく回り込んで複雑な乱気流となって吹き荒れている。


「隆紫様、あの件は内容が固まりましたので手配はわたくしが進めておきます」

「ああ、任せた」

 隆紫と猿楽さんの声が聞こえる。

 あたしは胴長な車のフロント部分にしゃがんでいた。

 ビルにリアを向けているから、ビルから出てきた人には死角となって見えない。

 カツコツと靴音が響き、音は次第に大きなものになる。

 カション

 ドアの鍵が解除されたのを確認したあたしは、その場ですっくと立ち上がった。

「どうぞ、隆紫様」

 猿楽さんが後ろ座席のドアを開けて、隆紫が乗り込もうとしているところだった。

 暗いながらも、隆紫があたしの姿を確認した途端に目を見開いて驚いたがはっきりわかる。

「茜…か?なんで…ここに…」

「話が…したくて」

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