第8話:とら・あえ(Thrust Away)
ふう…。
続いて
先ほどのこと。
「明先くん…どういうこと?」
「これから話すことは、誰にも口外しないことが条件だけどね」
「人の口に戸は立てられないって言葉、知ってる?」
少し意地悪そうな顔で返した。
「知ってるよ。僕は単に絶対口外するなとは言わないよ。口外するのは自由さ」
「どういうこと?」
「確か君の父は
「っ…!」
一瞬怯んだ薫に、追い打ちをかけるべく口を開く隆紫。
「さらに向こうの学校で君に関してあらぬ噂を撒かれたら、さすがに居たたまれなくなるよね。あっちには僕の知り合いが何人かいるから、どうとでもなる」
さらりと薫に脅迫を始めた。
隆紫ってこんなブラックさを持っていたなんて…。
「…わかったわよ、絶対誰にも言わない」
隆紫はにこりと笑い、後ろに黒くて胴長な車が到着する。
「ざっと話すけど、それは車の中でね」
車の中で、ざっくりしたことを隆紫が自ら話をした。
それで明先グループに入ったこと。
融資の条件としてあたしが隆紫のメイドになったこと。
ひとつ屋根の下で暮らしていること。
それを聞いた薫はさすがに驚いてたけど、納得した様子だった。
最後に、薫へもう一度釘を刺してから車を降りて学校へ足を運んだ。
………帰ったらまた隆紫に怒られるんだろうな…。
「茜、ちょっといーかな?」
「…いいわよ」
薫に連れられて、人の少ないところへ移動した。
「朝の説明で今までのことはほとんどが
「何よ?」
「なんで彼のお世話なんてやることになったの?」
そう。これは前からあたしも抱いていた疑問だった。
薫はなかなか頭がきれる人で、仮にこれを聞かれていたとしても話の内容はぼんやりしているからごまかしようもある。
「知らないわよ。あたしが知りたいくらいだわ」
「まさか夜な夜な…」
「それは今の所無いわ。むしろ微妙な距離を置かれてるくらいよ。部屋は内鍵がかかるし。多分だけど、あたしの反応を見て楽しんでるだけね」
これなら納得できるところは多々ある。
キスマーク以外で素肌の接触は禁止、ということで同意を得た後に服越しでお尻に触ってきた時は、触りたいからじゃないことは明らか。
あれは心底頭にきた。
それからも何かとあたしの反応を楽しんでいるとしか思えない言動や行動がある。
それよりも疑問なのは、なぜ明先側から
明先グループがあれだけの規模なら、自社で全国の運送網を全部整備できるはず。
「今考えてること、当ててあげよーか?」
「何?」
「その答えがわかるわけじゃないけど、なんで自前の全国網を作らずに取り込むことを選んだか」
っ!?
ハッと息を呑む。
鋭すぎるわ。まるで心を読んでいるかのよう。
「どうしてわかったの?」
「かんたんな推理よ。体目当てでもない。規模から言えば自前で足りるはず。けど自前にしなかった理由は明らかにしなかった。となると残る謎はそれくらい」
確かに大企業の多くは他社を取り込んで新しい分野に乗り出すことは珍しくない。
でも、だったらなんで全国展開を完了してる他社には手を出さず、あえて全国展開間近のうちを選んだのか。
考えても疑問の結論は出なかった。
何事もなく学校が終わり、帰ることにした。
……足取りが重い。
帰ったら、また怒鳴られることはわかってる。
敷地に入ったものの、離れへ入る足が止まってしまう。
「何してんだ?そんなとこで」
聞き覚えのある声が後ろからかかった。
しまった…隆紫が今帰ってきた…。
遅かれ早かれだし、覚悟決めよう。
「ごめんなさいっ!同居がバレてしまいましたっ!」
頭を下げて隆紫に謝罪する。
「ああ、そのことか」
あたしの横を通り過ぎて、離れに入っていった。
まずい…これはすっごい怒ってる…。
「待って!隆紫っ!」
「どうした?」
あたしも離れに入って、靴を脱いでいた隆紫を呼び止める。
「本当に、どう詫びればいいのかわからないけど…あたしたちの家族を見捨てるのだけは…」
聞き終わるより早く、隆紫は階段を上がっていってしまった。
まずい…とてもまずいことになってしまった。
もしかするとお父様の立場も…。
夜になって、食卓を囲むあたしたち。
「それでね、薫からいろいろ聞かれたのよ。車で話したことについて」
「………」
返事をしない隆紫。
「隆紫が薫には隠すつもり無いようだから細かく説明したの」
「………」
何を言っても隆紫は表情一つ変えず、返事すらしてくれない。
今日は諦めて、黙ることにした。
なんとか話だけでもさせてくれるようにしないと、もしかしたら…。
『使えないやつだ。お前はもういらない。明日からは実家に戻れ』
なんて言われかねないっ!
お父様のために、それだけは何としても避けなくちゃっ!!
翌朝…
あたしは昨日の失態を取り戻そうと、朝食を一品増やしてみることにした。
増やしすぎると食べきれなくて余計に印象を悪くしかねない。
急いで支度を済ませて隆紫の部屋へ足を運ぶ。
コンコンコン
「今降りる」
と、短く返事はあったけど…これって絶対怒ってるよね…。
まずい…なんとか機嫌を直してもらわないと…。
「早めにね」
いつものとおりを振る舞いながらも、あたしは内心の焦りを隠しきれていない。
隆紫が降りてきて、リビングに顔を出した。
「おはよ」
「おはよう、隆紫…様」
どうしていいのかわからず、つい敬称をつけて呼んでいた。
挨拶だけはしたものの、黙って座る隆紫にあたしはハラハラしながら席につく。
前にメイドなんだからと食べ終わるのを待とうとした時に、あたしも座るよう促されたことはまだ継続して守るものだと認識している。
「今日ね、気が向いたから一品増やしてみたんだ」
「………」
返事はなかった。
「コーヒーだけど、お砂糖いる?」
「………」
これも返事をしてくれない。
あたしは何か話題をふって会話のきっかけを掴もうとするものの、すべて空振りに終わって焦りは募るばかり。
まずいよ…本格的に無視されてる…。
「ごちそうさま」
「お粗末さまでした…」
ますます気が重くなりつつ、食卓を後にする。
挨拶こそしてくれるけども会話はあれから一度もできていない。
なんとかしないとっ!
とはいえ、あたしにできることなんて知れてる。
朝ごはんのことなんて何も言ってくれなかったし、登校前の今も…。
って、そういえば毎日キスマークを付けるなんて意気込んでた隆紫が、今朝はまだそのことを話題にも出してきてない…?
もしかして…あたし…もう要らないなんて言われるんじゃ…。
ますます不安が募っていく。
歩いて登校のあたしは、隆紫より少しだけ早く出る。
出る時間になっても、隆紫は何も言ってこない。
のしかかる不安を背に玄関を後にする。
前は実家の前まで送ってくれたけど、薫に事情を知られた今は必要なくなった。
何事もなく学校へたどり着いた。
隆紫はまだ来ていない。
「おはよう、薫」
「おはよー」
変わらない薫の返事に、あたしはホッとする。
薫は事情を知ってるから相談してみようかな…。
「みんなおはよう」
家とは打って変わって気取ったいつもの様子で隆紫が入ってきた。
そして…そのまま席についた。
………え?
いつもはあたしを名指しで挨拶してくるのに、今日はしてこない。
まさかここでもあたしを無視するつもりっ!?
これは本当にまずい流れっ!!
「薫…ちょっといいかしら?」
「いいわよー。何?」
「ここじゃちょっと…」
察した様な薫は、教室の外へ付いてきてくれる。
「どうしよぉ…隆紫に嫌われちゃったかも…」
誰かに聞かれてしまわないよう、ひとけの少ないところで薫に切り出した。
「何があったの?」
「実は…」
昨日、薫に事情を打ち明けたあたりから隆紫の態度が一変したことを話した。
「…わかったー。明先くんにそれとなく聞いてみるねー」
学内でもスペック重視の優良物件として知られる隆紫だけど、気取った言動に行動が玉に
もっとも、それはなにかの意図があって気取った演技をしているだけ。
家じゃこんな気取った姿は微塵もない。むしろ嫌味で意地悪なブラック隆紫に変わる。
それと、スペック重視とはいえ気を寄せる女の子は少なからずいるものの、誰かと付き合ったという話は聞いたこともない。
中には学年一と言われる人気の女子から告白されたという噂はあったけど、それ以来何も騒がれている様子もないから、おそらく断ったのだろう。
思い返してみると、ほんとにあたしは隆紫のことを全然知らない。
知ろうとも思ってないせいなんだけど。
今、あたしが知っている隆紫と言えば…学校ではわざとらしさを感じる気取った口調だけど、家の中では普通に肩の力が抜けた普通の男の子と変わらない喋り方をしていること。授業をサボってでもやらなければならない何かを抱えていること。さりげない優しさがあるものの、あたしにはなぜかとても意地悪なちょっかいを出してくること。財閥の後継者として必要なのか、経営に関係する本を読んでいること。学校が休みの日でも運転手の
………本当に隆紫のことを何も知らない。
知らない部分が多すぎる。
他のクラスメイトと比べれば表と裏の顔があるのを知っているというところで大きな差があるかもしれない。
でもひとつ屋根の下で過ごす中で、もっと知るべきだと思う。
隆紫に仕える身として。
それに、今見捨てられたら家族が路頭に迷ってしまう。
絶対にそれだけは避けなくちゃならない。
朝が来た。
朝食を済ませて後片付けも終わった頃、登校のため制服に着替えようと思った時に思い出した。
部屋を出ると、トイレに行っていたのか隆紫がそこにいた。
「ほら隆紫、いつものするんでしょ?薫にはもう知られちゃったけど、大勢にバレちゃまずいんだから襟で隠れる場所にしてよ」
あたしは一つだけボタンを外して首元が見えるよう襟をめくる。
しかし…。
表情を変えずにスッと横を通り過ぎてしまった。
「待って!」
小走りで先回りして隆紫の足を止めさせる。
首元にキスマークをつけるのは隆紫にとって物足りないなら…。
本当は嫌だけど…。
「今だったら…いいわよ………唇にしても…」
あたしは覚悟を決めて上を向きつつ目を閉じる。
わずかに感じる目の前の威圧感というか、存在感が消え去った。
目を開くと、隆紫は背を向けてあたしから遠ざかっている。
もう…あたしにできること…万策は…尽きた…。
「隆紫、お願いっ!話を聞いてっ!!」
あたしの必死な呼びかけに、背を向けたままの隆紫は肩を震わせ始めた。
「ぷっ…あはははははっ!!もうだめだっ!!これはたまらんっ!!」
そう言って、思いっきり笑い始める隆紫。
「安心しろ。見捨てたり融資の件を変えようなんて気はない」
振り返った隆紫の顔は、心底笑いを抑えられなさそうだった。
一体…どういうことなの?
「お前の必死な姿をもう少し楽しもうと思ったけど、こりゃ
ここにきて、あたしはずっと隆紫にもてあそばれていたと気づいた。
ぷぅ、と頬を膨らませて隆紫を睨む。
「ひっどぉい、あたしを騙したのねっ!?」
「実はな、薫にはどのみち教えるつもりだったんだよ。協力者は必要だと思ってね」
「え?」
「考えてもみろ。お前一人だけじゃ何をやらかすかわかったものじゃない。わざとバレるように仕向けていたってわけだ。おまけに薫くんはかなり勘が鋭いからな」
何をやらかすか…に対して真っ向から否定できない自分が情けない。
「で、薫くんにはもう協力するよう取り付けてある。口止めは脅迫まがいだったけど、協力はあくまでも薫くん自身の意思に任せて同意を得たから安心しろ」
な…なんだ~…。
気を利かせてくれたけど、その意地悪さは相変わらずなのっ!?
「で、だ。今だったら唇にキスしてもいいんだよな?」
隆紫は目の前に来て、腰に手を回して問いかけてきた。
イラッ!
「もうしないわよっ!バカッ!」
隆紫のぶ厚い胸板に両手を当てて、思いっきり突き飛ばした。
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