第7話:かみ・あう(Coming Out)
姉は交通事故に遭い、息を引き取る瞬間に立ち会えなかった。
親も仕事で手が離せず、あたしも友達とのお出かけを切り上げてから向かったけど、それでも間に合わなかった。
交通事故はタクシーにはねられたそうで、はねた運転手は誰かを乗せていたそうだけど、タクシー側の都合で誰なのかは教えてくれなかった。
その乗っていた人もお見舞いに来ていたそうだけど、あたしたち家族が到着する前に帰っていたらしい。
遺品は両親が引き取り、姉の部屋に置いたまま。
両親は忙しい日々が続いているのと、部屋に入ると思い出してしまって泣き崩れそうなあたしが手を付けなかったから、部屋は今もそのままになっている。
一週間ほど食事も喉を通らず、さんざん泣きはらした。
まだ、姉のことを思い出すと胸の奥がチクッと痛む。
姉妹としてはかなり仲がよかったと思っている。
それが仕事の忙しさに押されて、姉妹なのに顔を会わせる機会は減っていった。
そんな時に交通事故の一報が入ってきた。
「まだ…手を付けたくない…」
あたしは姉の部屋を隔ているドアの前でそうつぶやいた。
屋敷に戻って、持ってきた小物等を自分の部屋に並べる。
リビングを見ると
けど隆紫の姿はどこにもなく、靴もなかったからどこかへ出かけているのだろう。
日は高く昇り、お昼が近くなっていた。
隆紫に電話をかけてみるけど、出る様子がない。
まあいいか。お昼はいらないってことにしておこう。
ちゃちゃっとお昼の準備をして、少し早めのお昼にした。
午後は普段あまりできない勉強をして過ごす。
そして夕方になった頃…。
ピロン
メッセージを受信した音が鳴る。
『今日の夜はいらないから食べて寝てろ』
…偉そうな口調だけど、今日も遅くなるのかしら?
ふと、ある可能性が思いついた。
隆紫が帰ってきたらちょっと試してみようかしら。
夕食を済ませて予習をしている頃…
夜の
あの大きさの車なら、隆紫が乗っているはず。
少し試してみたくなって一階に降りる。
ガチャッ
玄関のドアが開け放たれる。
姿を現したのはやっぱり隆紫。
少し疲れてる様子なのが気になるけど…。
「起きてたのか」
「おかえりなさい。ご主人様」
「今日はメイドの仕事しなくていいと言ったはずだが」
「そうだったね」
横を通り過ぎる隆紫。
あたしが気になっていたことは無かったけど…。
「香水の移り香、しっかり処理してきた方がいいわよ」
「あ?」
「どなたと会っていたのかは知らないけど」
もちろん香水の移り香は嘘。
「あの距離で移るなら相当…」
言いかけて、隆紫は口を閉ざした。
二階へ上がる階段に足をかけた時…。
「疲れたからもう寝る。お前も寝てろ」
と言い放ち、部屋に籠もってしまった。
あの距離…ということは留守にしてるのはデート…というわけじゃなさそうね。
それなら、どこに行ってるのかしら…?
あたしも部屋に戻って予習の続きをしていた。
数日が経った。
あれから隆紫は朝に実家まで送ってくれて、
相変わらず首筋のキスマークは襟で隠せるギリギリの場所に付けられていて、これ以上発見されるとさすがに言い逃れを続けられるとは思えない。
「ほんと、隆紫ってば毎回襟ギリギリに付けるんだもの…あたしがこうして困っているのを楽しんでいるのかしら…?」
仕方ないから登校した後にお手洗いへ駆け込んでコンシーラーで隠している。
用心深く周囲を確認してから処置をしている。
見つかったらごまかせない。
「まったく、これを追求されたら困るのは隆紫の方でしょう…」
容姿は学園でも随一ってくらいだし成績もいいうえ、家柄も羨望を受けるほど良さだけに彼は良くも悪くも注目されているし、好意を寄せる女生徒は多いものの、単に優良物件として見る女生徒も相当数いる。
唯一残念なのは
ドラマに出てきてもよさそうな鼻にかかった話し方と気取った言葉選びゆえに、彼の素行を知った後でも変わらず好意を寄せるのは優良物件として見る人くらいで、それ以外は敬遠する動きもある。
とはいえそれが素なのではなく、素の隆紫は他の男子とほとんど変わらない。それが演技であることは明らか。
なぜかあたしひとり以外の前では気取った口調に変わるちょっと変わった男の子。
そしてあたしには嫌がらせをしてくる。
家でやりとりしているノリが思わず出てしまいそうで危ない時が度々あるけど仕方ない。隆紫と一緒にいるのはどうにも調子が狂う。
いまさら素のあたしへ戻るわけにはいかない。
一度周囲に植え付けてしまったイメージだから、このまま演じきるんだ。
そう気合いを入れ直してお手洗いを後にする。
教室に戻ると、本鈴が鳴る直前で席に座っている人が多かった。
「うまく隠したねー」
ギクッとして振り向くと、薫だった。
「なんのことかしら?」
あたしは知らないふりをしてやりすごした。
「べつにー。なんのことだろうねー」
まずいな…薫には気づかれてる気がする。
焦っちゃだめ。
薫はそれを待っている。
前に薫の観察眼で秘密を暴かれたことがある。
突然、姉に降り掛かった不幸を必死に隠し通そうとしたけど、クラスで唯一と言っていいほど薫だけが察して寄り添ってきた。
そういえば…あの日前後に隆紫の様子が少し変だった気がする。
なんというか…元気がなかったような。
その後はどこか疲れきった様子もあった気がする。
少し前のこと…
姉の事故を知らされて、でも手が離せなくて、やっと終わったと思ったらすぐに両親が迎えに来ると言われ、待つことになってもっと時間ロスした。
日が傾き、空が赤く染まっていた。
「お姉ちゃん、大丈夫かな…?」
「病院からの連絡だと危ない状態だそうだが…無事でいてくれ…」
焦りを抑えた父の言葉に、あたしの不安は膨れ上がった。
車で病院へ向かうあたしたちは、途中で渋滞に捕まってしまい、時間と共に焦りだけが募っていく。
「ねえあなた、もしかしてわたしたちだけでも降りて歩きで向かったほうが早くないかしら?」
「バカを言うな。ここから歩いたら1時間は確実にかかる」
「でもさっきあっちを歩いてた人が見えなくなるくらいの進み具合で…」
そう。この渋滞を横目に見て歩いてた人はもう先へ行って見えなくなっている。
「裏道は…」
「通行時間規制があるから難しいだろうな。渋滞を抜けさえすれば早く着けるんだが…」
RRRRR♪
母の携帯に着信が入る。
「はい、
PI♪
携帯の終話ボタンを押して話を終わる。
「あなた、手術は終わったらしいわ。けどかなり危ない状態が続いていて…」
「もういい…すべては着いてからだ」
焦りを隠せない父の
途中で高速道路に上がろうとしたけど、混雑のせいか入口が閉鎖されていた。
こうしてあたしたち家族はいつ終わるとも知れない渋滞の中を沈黙して時間を共にする。
その頃…
「痛っ…」
姉は先程までそこにいた面会者が退室した後で、
面会のために入っていたのは、事故を起こした運転手と同乗者だったらしいことはかすかに覚えている。
運転手はタクシードライバーで、姉は自分がしたことの愚かさを今やっと後悔していた。
「焦った…報いかしらね…」
少し動くだけで激痛が走る。
あちこち麻酔が効いているのか、感覚のない箇所も多かった。
体を見ると、足が折れているのか両足にギプスが巻かれていて、頭にも包帯がぐるぐると巻かれている。
動くこともキツイくらい体がボロボロになっているのがわかる。
「これは…今夜…すら…もたない…かな…」
そうつぶやいて痛む体に鞭を打ち、事故の瞬間まで持っていたカバンをなんとか手繰り寄せて書類の一枚とペンを取り出す。
「あの件は…もう無理だけど…せめてあのことだけは…」
少しでも動くと激痛が走る体で上体を起こして手を動かす。
「やっと着いた…」
焦る気持ちを抑えながら、車から降りて病院の通用口で事情を話して中に入る。
病室の前に着いたものの…中の様子が明らかに暗かった。
顔を隠すように引かれていたカーテンをどけると…
「…そんな…」
「くっ…」
「うそ…でしょ…?」
姉の顔には白い布が掛けられていた。
間に合わなかった。
「
母が必死に呼びかけるも、返事はない。
桜というのは姉の名前。
「お姉ちゃんっ!お姉ちゃんっ!!」
横たわる体を揺すっても、熱を失った体が…肌がすべてを物語っていた。
父はその場で立ち尽くして涙を流している。
土日、祝日と連休の間で姉のお通夜を済ませて、次の登校日は普通に登校した。
必死に姉を失った悲しみを隠していたけど、薫はかなり正確に何が起きたかを察していた。
そっと差し伸べてくれる手と気持ちに感極まったあたしは、薫にだけ事情を話したつもり…だった。
壁の影に隆紫がいて、けど隆紫は特に何かを言うこともなくその場を後にした。
けどそこに隆紫がいたことを、あたしは知る由もなかった。
数日の間、隆紫はいつものうざいくらいのあたしに対するちょっかいは鳴りを潜め、隆紫自身もあたしの目から見ても明らかに疲弊し始めていた。
朝は本鈴直前に滑り込んできて、休み時間になるとすぐにどこかへ姿をくらまし、放課後になるとダッシュで迎えの車に飛び乗る。
そんな隆紫の慌ただしい
姉が進めていたはずの大きな仕事というものは、父も母も内容を知らなかったため、何もできることはなかった。
どうしても必要なことなら向こうから連絡が来るはず、と忙しい日々を過ごしながら待っていたが、それらしい連絡は一つも来なかった。
仕事が忙しい中で両親は姉の葬式を終え、あたしは少しずつ立ち直っていき、隆紫は再びあたしにちょっかいを出し始めてきた。
そんなある日だった。
拉致されて連れて行かれた先が、苦手に思っているクラスメイトのメイドになる話だったあの事件が起きたのは。
変わったことは特に起きず、日が過ぎる。
薫から向けられている疑惑の目はかなり薄れた。
そんな朝
「おい、行くぞ。早くしろ」
「ちょっと待って!」
隆紫に急かされて、あたしは慌てながら身支度を整える。
玄関を出ていつもの
「猿楽さん、よろしくお願いします」
「はい。出発します」
スーッと走り出した車は、本当に静かな車内空間を演出していた。
タイヤが道のアスファルトを蹴飛ばす音以外、静かなものだった。
以前にお父様のお手伝いをした時に乗ったトラックはエンジンもガロガロとうるさくて、道の段差を拾った時なんてガクンと舌を噛みそうになったことを覚えている。
その点、この胴長な車は外の音すらまるで分厚いコンクリートの壁を通して聞こえてくるような遮音性能を備えている。
これ一台で会社のトラックが買えるくらいの金額なんだろうな…。
そんなことを考えていると…。
「茜様、着きました」
程なくあたしの実家前に着いた。
住み込みで隆紫のお世話をしてるけど、こうして毎日あたしの実家に来ているから、住み込みというより泊まり込みな気がしている。
家の門扉を開いて…ふと気配を感じたあたしは周りを見渡す。
げっ!
そこにいたのは薫だった。
門扉の内側、塀の陰に隠れていた。
「なんで…あんたが明先さんの車に乗ってるのよ…」
「なんのことかしら…?」
「おかしいと思ってたのよー。玄関の鍵を変えたばかりって割にはずいぶんと使い込まれてたしー、道路に面してる茜の部屋は中がすっからかんになってたしー、いつも一緒に登校してたのが突然忘れて先に行ってたりー」
しまった…用心してたつもりが、穴だらけだったわ…。
「どーしても言わないつもり?」
「なんのことか知らないから、言う言わないという話じゃないわよ」
「これでも?」
言って、見せてきたのはスマートフォンで撮った、あたしが車から降りてくる瞬間の写真だった。そこには隆紫の顔もしっかり写っている。
しまった…これじゃもう言い逃れできないっ!
「どーしても言わないつもりなら、これをばらまくわよ」
仕方ない…。
覚悟を決めたあたしは、事情を話そうと口を開きかけた瞬間…。
「それについては、僕の口から話をしよう」
そう言って現れたのは、車の乗って走り去ったはずの隆紫だった。
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