第6話:りた・はう(Return House)
「ドアはいいわ。自分で閉めるから」
ドアのハンドルに手を伸ばすけど
「そういうわけには参りません。この車で出ている限りはお乗りいただく方はすべて丁重にお送りする義務がございます」
と言って、
そのまま運転席へ移動して乗り込み、車は音らしい音も立てず走り出す。
「猿楽さん」
「なんでしょうか?」
真正面から聞いても答えてくれはしないだろう。
「
知っている。
こんなことは少なくとも一度もなかった。
「学校でのことは存じません。むしろご一緒にいらっしゃる
「昨夜みたいに猿楽さんが迎えに行ったのかと思ったわ」
「わたくしは迎えの時間以外、本社か屋敷で待機しています」
だめか。
どう切り出そうとしても、相当ガードが硬い。
彼から事情を聞き出すのは無理そうと判断して、雑談に切り替えようと考える。
「いつから隆紫に仕えているのかしら?」
前から疑問に思っていたことを聞いてみる。
「坊ちゃんが中学に入った時からでございます」
「そうなの?」
「前任はいたはずですが、お役御免になった後でわたくしがお世話を始めましたので、
答えきってすぐ、車は屋敷へ滑り込んだ。
「迎えに来ていただきありがとうございます」
「お礼でしたら坊ちゃんにお伝え下さい。わたくしは指示に従ったまでです」
「そう、お疲れ様です」
ドアを開けてくれた猿楽さんに会釈して、離れの玄関を開ける。
「遅かったな」
開口一番、隆紫が嫌味な口調で迎えた。
「いえいえ、ご丁寧に猿楽さんを迎えに寄越してくれたから早めに着いたよ」
「なんのことだ?」
「隆紫があたしを迎えに行くよう指示したことを猿楽さんに直接聞いたのよ。ついでに昨夜の行き先もね」
昨夜の件はもちろんハッタリである。これから引っ掻き回して本音を引き出そうとしているだけの前座にすぎない。
「あいつがそれを喋るはずはない」
「そうかしら。昼休みにトラブルの対応をしてた忙しい隆紫が、あたしにまで気を利かせてくれたのは驚いたわ」
話の内容に関連性はない。
けど、わずかなきっかけを作って惑わせて、そこに追加で惑わすことを匂わせることで口を滑らせてくれるようにしている。
あたしは隆紫の顔を見る。
…けど予想していた顔と違っていた。
「何を…知ったんだ?」
気取った学校で見せるか顔とも、黒いオーラを出している嗜虐的な顔でもない。
「さあね。教えてくれないから勝手に調べるだけよ」
しばらくあたしを見て
「調べても何も出てこないから、無駄だろうがな」
と言って二階へ上がっていった。
間違いない。何かを隠してる。あたしなりに確信した。
調べるにしても、あまり嗅ぎ回ると警戒が強くなるかもしれないと判断して、普通に仕事へ戻ることにした。
「隆紫、夕食だよ」
「今行くから下で待ってろ」
夕飯の時間になり、呼びに行くとすぐ部屋から出てきた。
「冷めないうちにどうぞ」
隆紫についてはわからないことだらけ。
どうしてあたしを
侍女にしておきながら、言葉遣いは普段の地が出ていても気にしない。
学校では偉そうに気取っているくせして、家の中では装う素振りすら無い。
あたしの地を他の人にバラさない。
嫌なことをするくせに、危ないところを助けてくれたり、困っているところにさり気なく手を差し伸べてくれる。
なんか行動に一貫性がなくてチグハグしてる。
それと、裏で何か重要な判断を迫られるようなことをしているらしい。
これらを結びつける線が何かあるはず。
夕食の間も会話をしたけど、それらしい話題は出てこないままだった。
今日は休みの日。
土日祝が休みの分、月~金までは5~6限まである。
コンコン
「朝ごはんできてるわよ」
「後で食べるから置いたままにしてくれ」
隆紫の部屋をノックして呼んだものの、そっけない返事だった。
「朝のうちにリビングも掃除したいんだけど?」
「なら今回はリビングの掃除をスキップしてくれ」
もう…。
勝手なのはいつものことだけど、なんでこう唐突で気まぐれなのかしら。
まだペースや勝手がわからず、離れの掃除は一巡すらしていない。
掃除をしているそんな時…。
「そうだ茜、日曜はメイドの仕事をしなくていい」
また勝手な…、とつい言いそうになったけど、完全に自分の時間を取れるのはありがたい。
「わかったわ」
けど、これで一日分多く掃除をしなければならなくなった。
「まだペースがわからんだろ。一ヶ月くらいはペース配分を掴むために使えばいい」
と思っていたら…
「
掃除をしているあたしの後ろから、脇下に手を伸ばしてきて胸を擦ってきた。
それも、哀れみと悔やみが溢れる心底残念そうな声で。
「言ったわよね隆紫…あたしはあなたのメイドといっても決して奴隷なんかじゃない。罵倒や虐待の
ぱちーん!
隆紫はあたしにとってのご主人様だけど、しっかり断っておいたから遠慮なくその顔を叩いてやった。
やっぱり嫌いよ。隆紫なんて。
「そういえば、僕の印はまだだったな」
頬にあたしの紅葉印を浮かび上がらせながら、思い出してしまったらしい。
「…思い出さなくていいのに」
これは逆らうと学校にメイド服を着ていくことになるため、逆らえない。
「わかったわよ…さっさと済ませて」
あたしは襟を手繰り落として首筋を差し出す。
「今日はこっちにするか」
と言って、隆紫の顔が目の前に迫ってくる。
まさかっ!?
あたしは思わず突き飛ばそうとしたけど、ぐいっと抱き寄せる隆紫の力に逆らえず、せめてのもの抵抗をするしかなかった。
「ん…?」
隆紫はいぶかしげに顔を離して、あたしの顔を確認する。
あたしはとっさに唇を口の中に引き込んでしまっていた。
「ふん、唇には触れさせないってことか。まあいい。今日はこれで勘弁してやろう」
「隆紫…これは前もって決めたことにはない行為よ。だから…」
ぱちーん!!
本日二度目の平手を、さっきと逆の頬にお見舞いした。
前言撤回。
隆紫は嫌いじゃない。
大っ嫌い。
なんであたしの嫌がることばかりするのよ。
「前もって決めていれば
「そんなのあたしが同意すると思う?」
二回目に叩かれた頬を擦る隆紫へ冷静にツッコミを入れた。
「そのにこやかな笑顔が逆に怖い…」
隆紫は引きつった顔であたしを見ていた。
掃除の範囲が広くて本当にきつい。
一ヶ月はきっちり一巡するようなペース配分を掴むのはまだ先の話になりそう。
この後は特に問題もなく、一日が過ぎていく…と思っていたら…。
お昼頃…。
「茜、今日は昼いらない。これから出かけるけど、多分夜遅くなるから先に寝てていいぞ」
と、勝手なことを言い出した。
「わかったわ」
いずれにせよ、隆紫がいなければ意地悪されることもない。
内心ほっとしつつ見送ることにした。
リビングの窓から、猿楽さんが運転する車に乗り込む隆紫を確認する。
シーンと静まり返ったこの離れは平和なまま夜になり、隆紫はかなり遅くなってから帰ってきた。
外を見ると、やはり猿楽さんが運転しているいつもの車が車庫へ向かって走り去っていった。
隆紫、猿楽さんに運転を任せてこんな遅くまで何をしていたんだろう…?
翌朝…
「隆紫、朝ごはんだよ。起きて」
日曜はメイド仕事をしなくてもいいけど、何の気なしでメイド服を着ていることに気づかなかった。
それと朝ごはんだけは作ることになっていた。
部屋の前で呼んでも返事がない。
「入るよ」
あたしは隆紫の部屋に入っていく。
朝と緊急時の呼び出しに関しては返事が無くても入っていいことになっているから、あたしは部屋に入る。
ベッドを見るとそこに隆紫はいなかった。
「あら…」
隆紫は机に突っ伏して寝ていた。
その机には、教科書とノートが開かれている。机の奥には手作りの立て札があって『目指せ学年トップ!』と書かれている。
見えないところで努力している隆紫を思い浮かべて、ふふっと思わず小さく笑顔がこぼれた。
「これは見なかったことにしておいてあげるね」
背を向けて部屋を出ていこうとした時、ベッドに置いてある本が目に留まった。
随分と厚さのある本だから、いわゆる男の子用の本ではなさそう。
「これって…」
経済…いや、会社の経営に関する本!?
隆紫は明先家の跡を継ぐであろう身。
経営について勉強していても不思議はない。
そういえば、昨夜はどこにでかけてたんだろう?
昼くらいから深夜にかけてずっといなかった。
それで帰ってきて、何時までなのかは知らないけど、そのまま学校の勉強をして力尽きて寝たわけで…。
あたし…こうしてひとつ屋根の下で暮らしておきながら、隆紫のことはほとんど知らない。
メイドは単なるお世話係。
とはいえ、主人のことをロクに知りもせず今に至ってる。まだ一週間も経ってないから仕方ないとはいえ、あたしは隆紫のことを知ろうともしてない。
学校では気取った口調で話しかけてくる。
こうしてあたしをメイドとしてこきつかうし、意地悪なことをして惑わす。
夜に抜け出して、不審者に絡まれた時に助けてくれた。こうして試験期間でもないのに寝落ちするほど勉強をしている隆紫が。
そして猿楽さんと車で出かけて遅くなった隆紫。
何か…何かが抜けている。
隆紫について、大事な何かを見落としている。
あたしは肝心な何かを知らないままでいる。
けど、聞いても教えてくれそうにない。
猿楽さんに聞いてみたことはあるけど、猿楽さんは口が固くて何も教えてくれなかった。
隆紫…いったいあたしに何を隠してるの?
一度モヤモヤし始めると、もう止められそうにもない。
次々に湧いてくる疑問に対する答えがないまま、あたしは悶々とするしかなかった。
「疲れてるようだから、寝かせておくかな」
でも答えはないから、手にした経営学の本はその場に戻して部屋を出ていく。
ぱたん
ドアを閉める。
むくりと机から起き上がる隆紫。
ベッドに置いてある本を手にして
「まずったな…これを見られたか…あいつに気づかれなきゃいいが…」
気まずそうに本棚の引き出しを開ける。
そこには経営の本、物流の本、経理の本、人事の本…様々なビジネス書籍がびっしりと詰まっていた。その中へ手にしている本を差し込む。
ぐっと拳を握りしめて、口元をきゅっと引き締める。
「あれを知られるわけにはいかない…そして僕の気持ちも…」
隠すようにしまっている本の引き出しを元の位置へ戻す。
「もう一眠りしてから降りるか」
隆紫はベッドに飛び込み、目を閉じた。
「起きてこないなら、先に食べよう」
自分で作った朝ごはんを、毎朝一緒に食べる相手がいないまま手を付ける。
あたしは隆紫を嫌いという目で見続けてきた。
いちいち鼻につく気取った喋り方。
それだけであたしは絶対に仲良くなれないと思っている。
メイドとして一緒に住むなんてありえないとさえ思った。
いざ一緒に住んでみると、どうも腑に落ちないことがあれこれ出てきた。
なんで気取った様子が家では無くなるのか。
あたしの本性を誰にも言ってなさそうなこと。
もっとも、本性を言いふらすなら、なんで知ったのかと追求されるだろうから言わずにいるのかもしれない。
けど、あたしをどうでもいいと思っているなら、夜に出歩いたあたしをわざわざ助けになんてこないはず。
どういうことなんだろう…。
食べながら思い返してみると、次々に疑問が出ては答えが見つからないまま堂々巡りしてしまう。
猿楽さんと出かけたことも気になる。まさか勉強するためのお出かけじゃないだろうし、学校で授業をサボって何をしていたのかも気になる。
食べ終わって、朝ごはんにラップをかけておく。
起こしに行って起きなかったという書き置きも残す。
いつの間にか癖になっているメイド服を脱いで、普段着に着替える。
「あたし、なんでメイド服着ちゃったんだろう…?」
今日はあたしが自由に時間を使ってよい日だから、家に置き去りなままのものを取りに行こうと思い立つ。
何事もなく実家へ着き、いくつかの小物等をバッグに詰める。
「一週間ぶり…か」
やっぱり留守よね。朝は早いのかな。
用事を済ませて家を出ていこうとした時に、姉の部屋を横切った。
「………」
お姉ちゃん…。
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