第4話:さす・じれ(Suspected Dilemma)

「で、あんたは何で車なのよ?」

 ジト目で言い放つ。

 あたしは屋敷を出て、学校へ向かっている途中で隆紫りゅうじを乗せた車をあたしの横で停まり、開いた窓の向こうにはそれがいた。

 運転手はここからじゃ見えないけど、どうやら執事の猿楽さるがくさんらしい。

「そりゃ御曹司おんぞうしだからね」

 あたしは車の中に手を突っ込んで…


 パチンッ!


 隆紫にデコピンをお見舞いした。

「ってー!何しやがるっ!?」

「猿楽さん、どうぞお先に送っていって差し上げて」

「了解した」

 運転手はやっぱり猿楽さんだったらしい。

 ほとんど聞こえてこないくらいのエンジン音だから、タイヤのコーッという音だけを残して走り去った。

 まあいいけど。あたしだって隆紫の顔を見てるとイライラしてくるし。

 出る前に場所を確認してみたけど、学校までは実家より少しだけ近くなった。

 その代わり駅は少し遠くなる、という位置にある。


 特にこれといったこともなく、学校に到着する。

「おはようございます」

「やあおはよう。茜くん」

 あんただけに挨拶したわけじゃないけどね。

 気取った顔でいつもの調子で挨拶してくる隆紫。

 けどその仮面を剥がせば、傲慢で偉そうな態度なのはもう知っていること。

 続々とクラスメイトが登校してくる度に挨拶を交わす。

 …そういえば、何か足りない…というか忘れてる気がする…。

「おはよー!」

 あっ!

 蝶名林ちょうなばやしかおるがいつもより遅れて顔を出してきた。

 そうだっ!それがあったんだっ!

 いつもあたしの家の近くで合流してたんだ…。

 それが、隆紫の家から来たから合流できなかった。

あかね、今日はどうしたの?いつもの時間に来ないから待ってたのよ」

「ごめんなさい。今日は親の都合で早く出てしまいましたので…」

 意識して、たおやかな仕草で謝る。

「そうなんだー。別に約束してるわけでもないし、勝手にわたしが待ってただけだからいいけどー」

 昨日はゴタゴタに巻き込まれてすっかり忘れてたわ。

 隆紫はあたしのそんな態度を、面白くなさそうに見ていた。

 あたしが隆紫のメイドをしているのは誰にも秘密。

 だから普通に接することにしている。

「茜くん、親の都合とは何だい?」

 隆紫っ!あんた何あたしを困らせようとしてるのよっ!?白々しいわっ!

「家の鍵を交換したのですが、合鍵が足りなくて…今作ってるのですが、できるまでは母が出るのに合わせてあたしが出る時間を少し早くすることになりました」

「そうなのか。ご家族も大変だね」

 振り撒かれるキラキラオーラを手で払いながら、気取った話し方の裏にある顔を思い浮かべて、思わずこみ上げてくる笑いを噛み殺す。


 放課後になり、あたしはまっすぐ帰ることにした。

 帰ったらメイドのお仕事しなきゃ。


「あっ、薫さん。ちょっといいかな?」

「なんでしょうかー?」

 先生に呼び出され、薫が足を止める。

「確か薫さんはくぬぎさんのご近所だったよな?」

「はい。そうですが」

「ならこれをお願いできるかな?」

 そう言って出したのは一枚のプリントだった。

「うっかり自分の机に置き忘れちゃって、渡しそびれたんだ」

「すぐ近くですし、構いませんよ」

 薫はプリントを受け取って学校を後にする。


「先生もうっかりさんだよねー」

 受け取ったプリントを届けるため、まっすぐ帰らずに寄り道をする。

くぬぎ…ここね」

 表札を確認する。


 ピンポーン


 呼び鈴を押して、出てくるのを待つ。

「あれ?先に帰っていったよねー…?」

 何度か呼び鈴を押すものの、家にひとけを感じない。

「まーいーか。家のポストにいれておこーっと」

 門扉を開き、玄関から家の中へある箱へ直接入れることのできるポスト口を開いてプリントを滑り込ませる。

「これでよし。帰ろーっと」

 ふと思い出したことがあって、玄関のドアを確認する。

 思い出したことと、今見ている状態はなぜか一致しないことを不思議に思いつつ敷地の外に出た。

 家を見ると普通に生活感のある一階があるけど、二階を見ると変に思うことがあった。茜の部屋は何度か来たことがある。

 道路に面した向かって右側。

 なぜか外から見ても生活感の無さそうな部屋に変わっていた。

 まるで空き部屋のように。

 でも確認のしようがないからそのまま道路に出て帰路についた。


 実家にあたしのプリントが投げ込まれたことなど知らず、あたしは離れの掃除をしていた。

 日が傾いてきて、夕食の準備を始める。

 相変わらず隆紫はあたしの嫌がることばかり言いつつ、額に浮かぶ青筋を自分なりに処理しつつ夕食を終える。


 ♪♪♪♪♪


 ポケットに入れてるスマートフォンから着信音が鳴っていることに気づく。

「こんばんわ、薫ちゃん」

「夜にごめんねー。今いー?」

「いいわよ。何かしら?」

「センセーから預かったプリント届けたんだけど、見てくれた?」

 え?

 しまった!

 薫はあたしが実家にいると思っているから、実家に届けられちゃったんだ!

 一瞬で状況を把握して青ざめてしまう。

「あ、プリントね。ポストに入れてくれたのかしら?まだポストは見てなかったわ。ありがとう。確認しておくわね」

 あたしは話を早めに切り上げて、電話を切る。

 まずいわね…これで明日内容を聞かれたらアウトだわ…。

 すぐ取りに行かなきゃ…。

 部屋に戻り、メイド服を脱いで普段着に着替える。

 一階に降りて玄関から外に出ると、街灯もまばらな闇が広がっていた。

 …怖いけど、これは明日に回せないから…。

 あたしは屋敷の外へ急いだ。


「ふむ…数字はだいたい想定どおりか…あとは来月にどう動くかだな」

 隆紫は自室で机に向かってモニターを眺めて独り言を呟いていた。

 ふと窓越しに外を見ると、なぜか茜の後ろ姿があることに気づく。

「こんな夜中にどこ行くんだ…?あいつ」

 席を立ち、窓越しにその後ろ姿を見送る。


 カチャン


 玄関の鍵を回して中のポストを確認する。

「あった…進路希望調査の紙だったのね」

 というか、これ他の人に届けさせるのはまずいでしょ…先生はどうにも配慮が足りないわね。

 再び玄関に鍵をかけて、足早に屋敷へ急ぐ。

 向こうからすれ違う人がいた。

 なんかガラが悪そうなヒョロイ人みたい。

 うつむきながら足を早める。

「なぁそこのねぇちゃん、こんな暗い中で一人かい?」

「………」

 通り過ぎた後で声をかけられたけど、黙って足を更に早める。

 近づいてくる足音を振り切るように足を前へ運ぶ。


 ガシッ!


 腕を掴まれた。

 すごい力…。振りほどけそうもない。

「へー、なかなかかわいーじゃん。体はこれからってとこだな」

「離してください」

 そっけなく返事をするけど、男は見下すような目のままあたしを見る。

「ならオレが安全なとこに連れてってやるよ。まあ朝には帰してやっから」

 掴まれた腕を引っ張られる。

「いやっ!!」

 ここは住宅街。大声を出そうと息を深く吸い込んだ瞬間…。

「悪いな。こいつは僕の侍女おんななんだ。悪いけどほか当たってくれ」

 肩に腕を回されて、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。

「え?」

 声の主を見ると、見れば腹の立つ隆紫だった。

「隆紫…」

 どうして、と出かかった言葉を飲み込み

「やだぁ、いるならいるって言ってよ」

 と切り替えした。

「あぁん?なんだてめーは」

 手を離してくれたものの、なんかまずそうな空気になってしまった。

「ヤサ男はおよびじゃねーんだよっ!」

 殴りかかる男の拳を隆紫は左手で受け流し


 ビュッ


 隆紫は右手の拳を振り上げて男に襲いかかる。

「もう一度言う。ほか当たってくれ」

 振り下ろした拳は、男の顔に触れるか触れないかの寸止めだった。

「か…」

 腰を抜かした男はその場でお尻を着いてへたり込み、見下ろす隆紫をまるで大きな鎌を振りかぶった死神でも見てるかのような怯えた目で見上げていた。

「行くぞ」

 隆紫はあたしの手を握り、屋敷へ向かって歩き出す。

「あの…隆紫…」

「話は後だ。黙ってろ」

 その握る手はゴツゴツとしていて頼もしさを感じてしまう。

 普段は嫌な人だけど、今だけはとても魅力的に映る自分がいて、少し複雑な気持ちになった。


「バカかてめえはっ!?」

 屋敷に、離れへ戻って玄関に入った途端に浴びせられた一言。

「もしあそこで僕がいなかったらどうするつもりだったんだっ!?」

 言い返す言葉が見つからない。

「何があったのか知らないがな、夜に女一人で出歩くもんじゃないっ!!」

 確かにそのとおりだった。

 けどあたしがここでメイドをしていることは誰にも知られちゃいけないことだから、そのためにあたしは実家に届けられたものを取りに行った。

 ほんと、タイミング悪かったな。


「ごめんなさい。心配をかけました」

「で、何があったんだ?言ってみろ」

 リビングに場所を移して、どっかと座った隆紫がふんぞり返って聞いてきた。

「実家に、友達がプリントを届けていたと連絡があって、明日になってもそのプリントの内容を知らなかったら…ここで住み込みしてることをバラすことになっちゃうから…」


 はぁ…


 大きくため息をつく隆紫。

「だったら次からは言え。夜、出歩くことになるなら取りに行かせる」

「でも…」

「これは命令だ。もうこのことで議論はしない。今日はもう寝てろ」

 隆紫は立ち上がってリビングを出ていく。

 慳貪けんどんな態度だけど、あたしのことを心配してくれたんだ…。

 普段意地悪なことをしてくるし、怒りたくなるようなことを言ってくるけど、あたしを放っておかずに助けてくれた。

 そもそも、なんであたしをメイドに指定したんだろう…?


 結局この後は仕事をする気分になれず、寝ることにした。


 そして翌朝

「隆紫、起きてる?」

 いつものとおり起こすため部屋に行く。

 もう面倒くさくてすっかり呼び捨てになっている。

 昨夜は夜中の出歩きは厳しく禁止された。でも呼び捨てに関しては何も言われないから、呼び捨ては別に構わないのだろう。

「起きてるから下に降りてろ」

 乱暴な言い方で追い返されるけど、少なくともあたしを気遣う気持ちがあることはわかっているつもり。

「早く降りてきてよね。片付かないから」

 あたしが持っているメイド像とは、常にしとやかで静かな物腰、丁寧な口調で呼ぶときは「ご主人様」という感じ。

 けど今のあたしは何一つそれに当てはまっていない。

 こんなのでいいのかな?

 こうなった原因はわかっている。

 わけもわからず呼び出されて、怒った状態で事情を聞いて、その上で納得できないままメイドの仕事を引き受けたから。

 今更上品を装う必要もなくなって、隆紫からはそれを求められてもない。

 それで取り繕うことなく、ここでは素のあたしがでているというわけ。

 お互いに学校では素の態度を誰にも教えないこと、という条件でこうして一緒に過ごしている。

 もし事前に全部わかったうえで来ていたら違っていただろう。


 その頃…

「いつもの30分前…か」

 薫が実家の前へ来て、家から出てくるはずの人を待っていた。


 そんなことも知らず、あたしは隆紫と朝食を一緒に食べ終わって後片付けをしていた。

「隆紫、あたし先に出るから」

 片付けも終わり、制服に着替えて準備する。

「せいぜいボロ出さないよう気をつけな」

 あんたがボロ出させようとしてるくせに何をいうか。

 今朝も襟で隠れるギリギリのところにキスマークをつけられてしまい、どうやって隠そうかと思っていた。

 絶対に狙ってやってるわね。それであたしの反応を見て楽しんでいる。

 本当に悪趣味だわ。


 ピンポーン


 薫は実家から出てくる人がいないからと、呼び鈴を押していた。

 しーん…

 家から出てくる人がいないことを確認してから薫は学校へ向かう。


「おはよー」

 薫はまだ人影まばらな教室に入って、茜がまだ登校してないことを確認する。

「おはようございます」

 少しして、あたしは薫のいる教室に入っていく。

「おはよー、茜。ところで今日は何時に出たの?」

「ん?今日はいつもより少しだけ早くに出たわよ」

「そー?ちょっと早めに寄ってみたんだけど、誰もいなかったみたいだけどもっと早く出てたのかな?」

 …まずい…これは確実に疑われてる。

「諸君、おはよう」

 キラキラオーラを振り撒きながら隆紫が教室に入ってきた。

「おはようございます。明先さん」

「ふっ、自分から名指しで挨拶してくるってことは、僕の魅力に気づいてしまったのだね」

 んなわけないでしょ。

「いつもあなたが名指しで挨拶してくるから、お先にご挨拶をと思いまして」

「茜、明日は一緒に登校しましょー」

 なおも話を引っ張ってくる薫。

「え?いいけど、時間は親に合わせることもあるから、何時とは決めにくいのよ」

 この流れはかなり不利ね…。

 なんとかしないと…。

「いいよー。なら早めに待ってるわね」

 ああ…これは本格的にまずいわ…。

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