第3話:でぱ・すく(Departure School)

 というのが、昨日までの話。

 それでも朝は来るし、登校の時間もやってくる。

 別に朝が弱いわけでもないし、家事も家族が不在にしてることが多いから慣れたもの…だけど。

「なんで朝からこんな格好しなきゃならないのよ…そしてさらに…」

 起きてから登校の準備をするまでは、フリッフリのメイド服を着せられる。


 コンコンコン


 返事がない。ただのしかばね…じゃなくて、ただのお寝坊のようだ。

 毎朝、隆紫りゅうじを起こしにいかなければならない。

 本当に屍へと変えてやろうかしら…。

「入るよ」

 返事がなければドアを開けてよいことになっている。

「ほら、起きて」

 揺すってみるけど、起きる様子がない。

「起きて!」

 もっと揺すってみても目覚めそうな気配は見えない。

「ほらっ!起きてっ!」

 あたしは隆紫を抱きかかえるようにして上体を起こす。

 体は密着し、隆紫の顔があたしの首元にしなだれかかる。


 ちゅうっ…


 あたしの首元に吸われるような感触を覚える。

「ちょっ…!」

 慌てて隆紫の頭を遠ざけるも…

「なんでここにつけるのよ~っ!!」

 慌てて付けられたキスマークの位置を壁鏡で確認する。

「へっ、お前は僕のものだ。僕のものをどうしようとも僕の勝手…」


 バスンッ!!


 クッションを思いっきり振りかぶって隆紫の顔を叩いた。

「おまっ…ご主人の僕に…」

「うるさいっ!これ!見られたらどう言い訳すればいいのよっ!!」

 たった今付けられたキスマークは、ちょうどえりギリギリの場所だった。

 襟が少しズレたら見られてしまうような際どい位置。

「ならそのマークの代わりにメイド服来て学校に行くか?」

 ニヤニヤしながらとんでもないことを言い出してきた。

「バカッ!!あんたの思いどおりになんて、なってあげないんだからっ!!」

 あたしは怒ったまま部屋を出て、キッチンで朝食の準備をする。

 隆紫ってば、いちいち頭にくるわ。あたしの嫌がることばかりして。


 この屋敷はとんでもなく広くて、母屋には両親や家族が住んでいるらしいけど、なぜかこっちは離れになっている。

 離れと言ってもその大きさは一般的な家庭の家屋と比べてもまだ大きい。

 離れだけでもあたしの実家より広いってどういうことよ…。

 さらには中二階に通用路があり、母屋とつながっている。

 この離れにはあたしと隆紫以外に誰もいない。

 仮にも年頃の男女が一つ屋根の下という不安はあったけど、あたしの部屋は内鍵がかけられるようになっていて、多少は不安が薄れてはいる。

 確かにあたしは融資の条件としてメイドになるという、言うなれば買われた身だけど、譲れない一線だけは引かせてもらった。

 あたしの同意なく、キスマークをつける以外で素肌に触れることは禁止。

 体に一切触れるなとは言ってみたけどそこは譲ってくれず、結局妥協の末に素肌は触らないというところで落ち着いた。

 この話が決着した瞬間に、服の上からお尻を触ってきたのは心底頭にきた。

 それも触りたくて触っているわけじゃなく、あたしの反応を見て楽しんでいるだけというのが、余計に女のとしてのプライドを傷つけられた気分がする。

 でもお父様のため、我慢…我慢…。


 その離れにはひととおりのものが揃っていて、一階にはリビングにダイニング。和室と庭があり、二階は部屋が四つある。

 四つあるうちの一つが隆紫で、もう一つがあたしの部屋。

 あとの二つは使われていない。

 使われていなくとも手入れは行き届いていて、今までは執事の猿楽さるがくさんが掃除をしていたらしい。

 あたしが来たことで、これまで隆紫付きの執事猿楽さんが両親へ付き、あたしは猿楽さんの代わりにこの離れを手入れすることになっている。

 無駄に広いこのダイニングは、吊り下げスライド式の仕切りでリビングと空間共有のできる構造で、和室だけはアレンジ不可の完全個室という設計。

 ちょっとしたホームパーティなら十分使えそうな広さだった。

 ちなみに、あたしの自宅は全国展開間近の物流会社を営んでいるとはいえ、普通の家と大して変わらない大きさだったりする。

 どうせ家にあまりいるわけじゃないし、大きくすれば手入れも大変だからという理由だったりする。

 おまけに引っ越しの荷造りやら荷解きの手間を考えておかなければならない。

 そうした事情があって引っ越しはずっと延期のままになっている。

 そもそも物件探しにすら着手できていない。あまりに忙しい毎日を送っている両親は、それどころじゃない。

 少なくとも深夜に帰ってきて、早朝に出かけるという寝る間もないほどの忙しさ。

 当然引っ越しなんて後回しにされるわけで。


 朝食の準備を進める。

 そういえば昨日まではどうしてたんだろう?

 猿楽さんはもう母屋に詰めていて、離れであるこちらでは基本的に偶然会うことがない。

 いずれ猿楽さんとも話をしてみたいと思う。

「隆紫ー!ご飯できたよー!」

 声を張り上げて呼んでみたけど、返事している様子がない。

「隆紫ー!聞こえてるー!?」

 やはり返事がない。

 二階にあがってみる。

「隆…」

「うっせーな、聞こえてるよ。降りるから下で待ってろ」

 ドアから顔を出した隆紫が吐き捨てて、また部屋のドアを閉めた。

 …何よ、感じ悪いの…。


 数分してから隆紫は降りてきて、テーブルについた。

「おい、何やってんだよ。お前も食え」

「メイドは一緒の席で食べないものでしょ。仮にもご主人の隆紫と…」

「繰り言は後で聞いてやるから黙って座れ」

 …何をカリカリしてるのよ…そっちがその気なら…。

「………」

 無言で自分の分をテーブルに並べて座り、黙々と食べ始める。

「でよ、猿楽のやつが…」

 何やら隆紫が自分に起こったことを語り始めたけど、あたしは無言で相槌を打つだけで一切口を開いてない。

「…おい、聞いてるか?」

 こくり

 声を出さないで答える。

「おい、茜?」

 無言のまま目線を送った。


 チッ


 小さく舌打ちの音が聞こえたけど、あたしは気にせず箸を進める。

「何か言えよ、ぺちゃぱい」


 バシャッ!


 手元にあった水をぶっかけてやった。

 今のはさすがにカチンときたわ。口を出す代わりに手を出した。

「ご主人に何しやがるっ!」

 さすがに食って掛かってきた。

 食べ終わって、あたしは立ち上がる。

「お望みどおり、だけよ」

 呆気にとられた顔をしたかと思えば、うつむきいて肩を震わせている。

「ふ…ふふふ…そうかい…僕の言うことを逆らわずに聞くということか…なら」

「嫌よ」

 何か言いかけた隆紫に被せて先手を打つ。

 命令をしようと伸ばしかけた腕と指しかけた指の座りが悪そうに、そのまま固まった隆紫。

「あたしはあなたのお世話をするメイドってだけで、奴隷じゃない。筋の通らない命令を聞く気はないわ」

 そう。あたしは買われた身だけど、間違っても奴隷じゃない。

「それと、罵倒や虐待の類を受けた時はたとえあなたでも、しっかり対応させていただきます」

 そしてここにあたしの味方はいない。誰も助けてはくれない。

 前例を作って逆らえない空気になってしまう前に、こうして対策しておくことが必要と感じた。

 一人の人として、女としての尊厳を守るのは許されるはず。

 隆紫がまともな思考をしていれば、の話だけど。

 こうして試してみて、彼の器を測るつもり。

 どれだけ真剣に向き合う価値があるのかを。

 お父様が融資分を完済して迎えに来てもらうまでは、嫌でも一緒になければならないのだから、逃げずに向き合う。

「それで、どんなご命令するたまわるはずだったのかしら?

 ゴゴゴゴゴゴ…と謎の地鳴りがするほど、自分でも引きつった怖い笑顔になっていることを自覚する。

「…紅茶 れてこい。あとタオルも」

 姿勢を正してやや不機嫌な顔で続けた隆紫。

「かしこまりました」

 猿楽さんの真似をしてみるあたし。

 まあ一応及第点かな。聞き分けてくれはしたみたい。

 さっきあたしが先制しなければ、隆紫はおそらくいやらしいことを命令してきたに違いない。


「それで、あたしは何をどうすればいいの?あいにく猿楽さんとはほとんど会話してないから何もわからないのよ」

 朝食を終え、食器を片付けてコップに入れた食後の水をお互いに傾けながらテーブルを挟んでいる。

「掃除、洗濯、食事、まあ無いと思うが来客対応だな」

「なるほど。電話がかかってきた時は?」

「電話は出なくていい。というか絶対に出るな」

 …意外な強い口調で止められた。

「どうして?」

「お前みたいなガサツ女がここにいることを知られちゃ…なんだ?その構えは」

 わずかに腰を浮かせて回避行動の準備をした隆紫が問いかける。

 あたしはというと、水の入ったコップを持った手を少し後ろに引いていた。

「隆紫のスケジュール管理は?」

 めんどうだからもう呼び捨てにしてるけど、特に何も言われない。

「それも必要ない。自分のことは自分でやる。そもそもお前がどれだけ管理能力あるかもわからないまま任せられない」

 少しピキッとしたけど、ここは我慢ガマン。

「まあ他に頼むとしたら夜のお世話だな」

「それはベッドメイクに限りということでいいのかしら?」

「だから何でコップ片手に怖い顔して構えるんだお前は」

 また少し腰を浮かせて回避行動の準備をしたが、すぐに姿勢を正す。

 クイッと水に口をつける隆紫。

「というのは半分冗談として」

 残り半分は何よ?

 と思ったけどらちが明かないので、この際スルーすることにした。

「僕の部屋には許可なく入るな。朝起こしに来る時と緊急時を除いて」

「まあ、隆紫も男の子だもんね。女のあたしには見せられない秘密の一つや二つ…」

「つまみ出すぞコラ」

 ジト目でツッコミを入れる隆紫。

 事情はわからないけど、置いてある電話の対応と朝起こす時以外は部屋に入るな、ということは確認できた。

 掃除、というけど…この広さは実にしんどい。

「ああ、掃除は一週間で一回りできればいい。猿楽の時は僕が留守にしてる間もずっといるから毎日一回りしてもらったがな。あと外の掃き掃除は離れの周囲5メートルくらいまでだ。外壁は定期的に業者がやってるから不要だ」

 そっか。あたしは隆紫と同じで毎日学校があるんだし…一日で一回りなんてとても無理よね。

「他に質問はあるか?」

「出たら聞くわ。それはそうと、それがあなたの自然体というわけね」

「お前こそどこかのお嬢様かと思ってたけど、それがメッキの剥げた地というわけだ。すっかり騙されてたぜ」

「あれがあたしの目指してる姿ではあるわ」

 隆紫はそれを聞いて、脳裏に一人の姿が思い浮かんだ。

「まあ、あいつは海外に行っちまったし、当分戻って来られないだろ」

 と小さく息に乗せて誰にともなくささやいた。

 お互い、すっかりよそ行きの気取った空気は吹き飛んでいて、どことなくピリピリした空気が漂っている。

「一つだけ言っとく。これが地だなんて言いふらすなよ」

「あなたもね」

 バチバチと視線の火花を飛び散らせて言い合う。

 やっぱり隆紫は嫌い。

「あともう一つ」

「どこが一つだけなの?」

 あたしはすかさずツッコむ。

「うるせえよ、今思い出したんだから。茜がメイドとしてここにいることは屋敷の外では誰にも言うな」

「屋敷の中でなら誰に言ってもいいのね?」

「君は実にバカだな」

 言うなり隆紫は席を立って回避行動に移っていた。

 罵声の代わりに水を浴びせようと構えた腕を止める。

 もちろんその意図はわかっている。けどいちいち頭に来るから、こうでもしてガス抜きしないと爆発してしまいそう。

 それに、あたしの方こそ隆紫と一つ屋根の下で過ごしてるなんて知られたくない。

「いいな?」

 席を立った隆紫が偉そうに見下ろしながら問いただしてくる。

 あたしはコップをテーブルに置く。

「わかったからさっさと部屋に戻ってよ」

 こんなにも遠慮なく言い合う様子を見られたら、まるで仲が良いみたいに見えるじゃない。

 迷惑だわ。


 なぜか実家の部屋にあったものはいつの間にかあたしの部屋に運び込まれていた。

 別に見られて困るようなものは無いからいいけど。

 時間になって、学校の制服を着て支度をする。


 パン


 姉の遺影…写真は机の引き出しに一つ保管しておいてたから、それを遺影代わりに飾って祈りを捧げる。


「隆紫、そろそろ時間よ」

 すっかり名前の呼び捨てが定着していた。

 学校でこれが癖で出てしまわないよう気をつけよう。

「こっちはいいから先に出てろ」

「そうするわ」

 もう口論する気も起きないあたしは、ドア越しに聞こえた偉そうな口調にいちいち腹を立てるのも馬鹿らしくなってきた。

 一階に降りて外に出る。


 隆紫が外に出てくると、車が用意されていた。

「それでは隆紫様、参りましょう。お乗りください」

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