第11話 思いもよらない助け

「ここが君の家?」

「う、うん……奏多さんの家と比べるとちっぽけだよね」


 純の家は美愛のお屋敷のような家と比べると、こじんまりとしていて地味だ。華やかさなんて微塵もない。


「そんなの関係ないよ。大事なのは中身だから」

「中身?」

「ほら、外見が良くても性格が悪かったらその人を好きになれない。そんな感じ」

「ふぅん」


 なんだか納得できるようなできないような気分になりながら相槌を打ち、家のドアを開ける。


「ちなみに親はいるの?」

「今日は出かけてるみたい。うちの親、休日はたいていどっか出かけてるから」

「へぇ。アウトドアなんだ」

「僕と違ってね。さ、どうぞ」


 純がドアを開けて美愛を招き入れようとするが、美愛はそこから動かない。


「どうしたの?」

「いや、その……君に一つ頼みがあって」

「頼み?」

「その……沢山走ったから、汗が凄くて」

「あぁ、別にそんなの気にしなくても――」

「気にするの! だからシャワー貸して! 早く!」

「はぃぃぃ!」


 美愛の迫力に気圧されて、純はとにかくシャワーを貸すことにした。


「お風呂場はあっちにあるから」

「うん、わかった」


 こうして美愛はシャワーを浴びにお風呂場へ。純は取り敢えず自室に移動する。


 自室に移動した純は、床をのたうち回った。


 どうしてこうなった。こんなはずじゃなかったのに。


 純は頭を抱える。とりあえず、いま美愛がシャワーを浴びている内に、内容を整理して伝えられるようにしなければならない。


 けれど、それを煩悩が阻んだ。


 それは、ある意味健全たる男子高校生の証拠だ。こんな状況、変な想像が膨らんでもまったく文句は言えない。


 そのとき、LINEの通知音が聞こえてきて、携帯を手に取る。美愛からだった。


 『バスタオルが欲しい』


 内容はそれだけだった。だが、これは要するにバスタオルを持っていかなければならないことにならないだろうか。


 またしても煩悩が元気いっぱいに活動を始める。


 純はお坊さんのような気持ちで引き出しから漁った新品のバスタオルをお風呂場まで持っていく。


 考えるな。考えるな。考えたら負けだ。そう念仏のように心の中で唱えながら、扉の前にバスタオルを置く。


「ここ、置いておいたから」

「わかった。ねぇ立山くん」

「なに?」

「変なところに隠れたりしないでね?」

「しないよ!」


 純は自室に戻っていった。まさか振りだったのでは、などと馬鹿なことを考えながら。


 お風呂から出てきて部屋にやってきた美愛の髪は、まだ少し濡れていて、艶めかしく光っている。


「さ、立山くん。話してもらおうか」


 そう言い切る美愛に、慈悲の心はなさそうだった。


 観念した純は、今の状況を一切ざらい話した。魔界に行くと五分と経たず死んでしまうこと、それを臆人と楓がなんとかしようとしていること、魔法が使えるようになったこと、そして――魔界に行ったことがきっかけで命を狙われていること、全部だ。


「……そう。それでいま、荒田くんと楓は魔界で原因を調査にし行ってるってことなんだ」

「……うん」


 美愛はきっと悲しむだろうと思っていた。だって、美愛が異世界に行きたいと願ったのがきっかけで、純は命を狙われることになったのだから。


 案の定、美愛の表情は暗くなり、純から目線を逸らすように俯いた。


「なら、この出来事は全部、私が原因ってわけだ」

「そ、そんなことありません!」

「てことはさ、私も魔界に行って同じことしたら魔法が使えるようになるってことだよね?」

「そのはずだけど……」

「なら、私を魔界に連れて行ってよ。それで、私も同じ力を手に入れて、同じように命に狙われる」

「そ、そんなのだめに決まってるじゃないか!」


 あの死の淵を覗いたような体験を、美愛にしてもらいたくないし、そもそもそれで魔法が使えるようになるとも限らないし、生きられるかも保障できない。そんなこと、させられるわけない。


「そしたら、私は君が命を狙われてるのに何もできないじゃない」

「それは……」

「そんなの、辛すぎるよ」


 その言葉は嬉しいが、美愛はきっと自分を過大評価しているのだ。


「僕も、何もできないんだ」

「どういうこと?」

「魔界に行っても足手まといになるだけだし。この身を守ることしかできない。臆人たちの手助けもできないし、君を異世界に連れて行くこともできないんだ」


 純は言った。


「あと、僕たちにできることは待つだけ。二人が帰って来るのを待つしかないんだ」 



 そんな他愛もない雑談をしていた横で、突然黒い渦が口を大きく開けるようにして開いた。


「え?」


純は驚いたが、すぐさま我に返る。これは魔界と人間界をつなぐ扉だ。中から出てくるのは楓と臆人に違いない。


 案の定、先に出てきたのは楓だった。顔を俯かせたままゆっくりと出てくるので、髪が顔にかかって表情が見えない。


「楓……さん?」


なんだか異様な雰囲気を感じ取って恐る恐る声をかけると、楓はこちらを向いた。その顔は、いつもと変わらない。


 楓は黒い渦の前から早足で純に近づくと、その腕を取って問答無用で黒い渦のほうへ引っ張った。


「楓さん!? 何するんですか!」


携帯を取り落したことにも気づかず、純は必死で抵抗する。だが、楓の手を振りほどけない。


ずるずると純の身体が黒い渦に引き寄せられていく。


「離して! 離してくださいよ!」

「大人しくして」


ようやく口にした言葉は、純の言葉をぴしゃりと跳ねのけるような冷たい言葉だった。


なにか起きた――そう確信した純は魔力を循環させ、身体能力を高めて振りほどこうとした。


だが、それをもってしても楓の腕力には敵わなかった。


「強くなったと思った? たかが一兵士に勝ったくらいで」


どうやら楓は魔法で身体を強化しているようで、無理にでも連れて行こうとする決意がそこに見えた。


このままだとまずいと思った純は、攻める角度を変えた。


「臆人の姿が見えませんけど?」


それは楓の動揺を誘うのに十分だった。一瞬気が逸れた隙に、純は自身の腕だけを最大限身体強化させ、楓の腕を振り払った。


「無駄よ、どうせあんたは私には勝てっこない。人間と魔人じゃ相手にならない」

「どうしてこんなことをするのか、話してくれませんか?」

「知っても知らなくてもいいじゃない。どうせあんた、死んじゃうんだから」


楓の無慈悲な言葉に、胸が抉られるような気分を覚えるが、それには理由があるはずだ。


「……捕まったんですか?」


またしても楓に動揺が走る。感情が表に出るタイプで助かったと、純は心の中で思った。


仮に、臆人が捕まっていたとする。なぜ、楓は純をここまで魔界に連れて行こうとするのか。答えは簡単だ。


「臆人を解放するために、僕が必要なんですね」

「……そうよ」


観念したのか、楓は頷く。


「私は臆人のほうが大事。だから強引にでも連れて行くわ」


微かにあった迷いが消え、代わりに決意を灯した表情で楓は純を見やる。その瞳に、純は気圧されて後ずさる。


「さぁ、来なさい」


楓が純の手を取ろうとするが、純はそれを振り払った。


「あくまでも、抵抗する気ね」

「僕はまだ、死にたくありません」


すると、楓は無表情のまま息を吐くと、手を横にかざした。するとそこから一本の剣が顕現される。


「卑怯じゃないですか」

「言ったでしょ、強引に連れて行くって」


楓は本気らしく、静かに剣を構える。


「腕一本切り取ったら行く気になってくれるでしょ」


楓が動く。剣が上に跳ねて上段から純めがけて命を刈り取るように振り下ろされる。


「やめて!」


その刃は、飛び出してきた一人の女性の首元でピタリと停止した。


「奏多……さん?」


飛び出してきたのは奏多だった。腕を広げて、純を守るように立ちはだかった彼女の白い首元には刃がまだ置かれたままだ。刃が触れているのか、ツーと、血が首からうなじにかけて流れた。


「なんであんたがこんなところに」

「いいからそれ、どけてよ」


美愛は刃を首元に当てられていても、一歩も怯まなかった。


「殺せないでしょ。だって、震えてるし。だから、刃が当たったんでしょ」

「殺せるに決まってるでしょ! だってあんたは人間なんだから! 魔人が人間に負けるはずない!」


まるで自分に言い聞かせるように吠える楓に、純はこう言った。


「それで、臆人が喜ぶと思ってるんですか?」

「それは――!」

「臆人は人間が好きなのでしょう? だから人間界にいて、僕たちを助けてくれる」

「臆人が人間が好き? そんなわけないでしょ」


楓が馬鹿にするようにそれを鼻で笑った。


「だってあいつの父親は、人間に殺されたんだから」

「人間に、殺された?」


驚愕の真実に、純は驚きを隠せない。それをあざ笑うかのように楓は話し始めた。


「言ったわよね、人間が王を殺したって。それはあいつの父親が人間界から魔界に連れてきた人たちなの。その罰としてあいつの父親は処刑された。あの城の連中にね」

「そんな――」


純は言葉に詰まる。まさかそんな過去が臆人にあったなんて。


なら、臆人は人間を恨んでいた? 父親が処刑された原因の人間を。


「もしかするとあいつはあのとき父親が閉じ込められていた牢獄と同じ場所にいるかもね。ご丁寧に、人間のせいというのも同じに」


せせら笑うように言った楓は、じろりと美愛の後方にいる純をねめつける。


「それでどうする? この話を聞いても往生際悪く反抗するつもり? 臆人は人間を殺しても喜ぶことはあっても悲しくなることはないわよ」

「それは……」

「ねぇ、どうしてあなたはそこまでするの?」

「……好きだからよ。すべてを捨ててもいいくらいにね」


当時まだ八歳になったばかりの楓は、心底自分の家庭環境に嫌気がさしていた。


楓はそこそこ名の知れている貴族の娘だった。魔法、勉学、頭脳すべてにおいて群を抜いていた。他の追随を許さなかった。


美貌にも優れていた彼女のもとには、もう将来を決める旦那を決めようと躍起になっていた。一族繁栄のため、よりよい貴族になるため、両親は奔走した。しまいには、一族全員が祀るようにして、素晴らしい未来へと導こうとしてくれた。


それが途方もなく、楓には苦痛だった。


どうして自分の思い通りにさせてくれないのか、一族の繁栄なんて、自分は願っていない。そんなのどうでもいい。勝手にやってくれといった感じだった。


一族はみんな、優しかった。誰も彼女を悪い道に引きずり込もうとか、いいようにしてやろうとか、考えなかった。本気の善意は、たまに悪意よりも悪辣になる。


楓は息苦しかった。自分の一挙手一投足で家族が自分に気を遣うのも。それを仕方ないと割り切るその想いも取っ払いたかった。


だから楓は家を出た。逃げるようにして貴族の街から平民の世界へ。けれど、生きていけるはずもなかった。


身よりも、知恵も何もない世界。勉学はほとんど役に立たない。自身の手で切り拓いていくしかない。そこに、楓は生きる意味を見出したのだ。


綱渡りをするように生活をつづけたある日、楓は失態を冒して追い詰められた。その美貌により、いいようにしてやろうと迫りくる平民に、逆にいいように使ってみぐるみをはいでやろうかと考えた。


そこに現れたのが臆人。彼をみた瞬間、楓は心臓を射抜かれた。


「もう、私にはあいつしかいないのよ」

「わ、私だって! 私だって、その!」


そして美愛はこう言った。


「想いの強さはあなたにも負けないんだから!」


美愛が爆弾発言したその瞬間、


目の前に、黒い渦が現れた。


「これ」

「私じゃない! 誰か来る! 隠れて!」


純は慌てるようにしてクローゼットの中に入ろうとして。


「よせ。私は敵ではない」


凛と澄ました声が聞こえて、純は振り返った。


黒い渦から出てきたのは、とても清潔そうなまだあどけさなの残る青年だった。真っ白いローブに身を包み、彼は辺りを見渡した。


「ここが人間界か。初めてきた」

「あんたは――!」


楓が一瞬のうちに剣を顕現させ、臨戦態勢に入った。体勢を低くし、息を荒くさせながら目を離さない。


「だから私は敵ではないと言ってるだろう」

「馬鹿なこと言わないで! だってあんたは!」

「この世には権力のなさに途方も暮れている王もいるのだよ」

「王?」


そこでピンときた。臆人が前に話していた。ウォールライト王国の国王――それはまだ若い青年だと。


そしてこうも話していた。国は荒れていると。


「もしかしてウォールライト王国の……」

「国王、イルナ=クアンティカだ」


イルナの空気はたしかに王の風格を備えているように見える。だが、気高く見えれば見えるほどその体の顔つきの少年っぽさは拭えない。


「何しにきたの」

「一つ、交渉したい」


イルナは凛とした表情でいった。


「ヴォルグを一緒に助ける。その代わり、私の国を救ってくれ」

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