第10話 刺客との闘い

 純と美愛は急いで映画館へと向かっていた。


 映画館は三階にあり、エスカレーターを上って少し奥に進めばすぐに見えた。


 二人は映画館が見えた途端、足を緩めた。


「よかった、なんとか間に合いそうだね」


 美愛がホッとした様子で振り向くと、純もまた後ろを振り向いていた。


「どうしたの?」

「え! あ、いや、なんでもない!」


 純は慌てた様子でそう言うと、また後ろを振り返った。明らかに様子がおかしい。


「誰か、知り合いでもいたの?」

「あ、いや、そうじゃなくて……ごめん。映画遅れちゃうし、行こっか」


 純は何でもない様子を取り繕いながら、美愛の前を歩き始めた。


 そんな純に、美愛はなんて声をかけていいのかわからなくて、ただ黙って彼の後ろについていった。


 受付でチケットを買い、入場口の前まで来る。


「チケットをお見せください」


 入場口の前で店員にそう声をかけられ、純は先程渡された観賞用のチケットを取り出す。


 そして、それを渡そうとしたときだった。


 ぞわりと、凍えるような寒気が純を襲い、思わず持っていたチケットを落としてしまう。


「あ……」


 落ちたチケットを拾おうとして、手を伸ばしたその手は――なにかに怯えるように震えていた。


「立山君、大丈夫? 顔色が……」


 屈んでいる純の顔を、美愛が心配そうにのぞき込んでいる。


 その視界の端に、それは見えた。


 純の額に、冷や汗が流れてくる。


 来た。ついに来てしまった。よりにもよってこんなタイミングで。


「ごめん、奏多さん。映画、行けなくなった」

「え――」


 その瞬間、純は美愛の手を取って、入場口とは逆側のほうに走る。


「な、なに! どうしたの!?」


 映画館を抜け、人通りの多い道を二人で走り抜ける。肩がぶつかって嫌な顔をしている人もいたが、気づかないフリをした。


 美愛は突然のことに驚いていたが、手を振り払うこともせず純に付き従う。


「ごめん奏多さん、巻き込んじゃうかも」

「巻きこむって……」

「おいてめぇ! 目付いてんのか!」


 イラついた若い男の声が後方から響く。


 美愛が後ろに目をやると、その視線を向けられているのは自分達ではなく後方から追いかけてくる黒い装束を身にまとった男だった。


 フードから覗くその顔は、悪辣に微笑んでいて、じっとこちらを見ながら追いかけてくる。


 その走り方は歩いている人に全く配慮がなく、我を押し通すようにまっすぐ通行人を物ともしない。


「な、なにあれ!」

「とにかくここを出る! 電車に乗れれば、僕たちの勝ちだ!」


 純は美愛の手を強く握りながら、通行人の合間を縫うようにして前に進んでいく。


 だが、それは通行人に体当たりをしながら真っ直ぐ進む黒装束の男にじりじり距離を詰められていってしまう。


「まずはエスカレーターで二階まで下りる!」


 エスカレーターが見えてきた。


 だが、黒装束の男ともだいぶ差が詰まってきていて、このままではエスカレーターで捕まる。


 そう思った純は、ある行動に出た。


「奏多さん、その、ごめん!」


 純は握った美愛の手をぐいっと自分に引き寄せると、そっと左手で彼女の首に手を回し、右手で膝を抱えるように持ち上げた。


「ひぃあ!?」


 美愛は急にお姫様だっこのように純に持ち上げられたことに驚きながらも、とにかく落ちないように純にしがみついた。


「いっけぇ!」


 純は体内の魔力を循環させ、一時的に身体能力を上げた。


 そして、エスカレーターの前まで来るとそのままエスカレーターを飛び越えるように跳躍した。


「ひぃやぁ!?」


 エスカレーターをそのまま飛び越えた純は、その足で二階まで降り立つと、美愛をゆっくりと降ろした。


 そのタイミングでまたしても美愛の手を引いて走る。


「奏多さん、まだ走れる!?」

「う、うん!」

「じゃあ急ごう!」


 純が次に目指しているのは二階にある改札に一番近い出入り口だ。


 とにかく一旦外に出て改札を通れば相手も追ってこれないはず。


 そう思いながら後ろを振り返ると、追ってきていると思っていた黒装束の男の姿が見えない。


「あれ、どこに――」

「中々豪胆な男だなぁ! まさかエスカレーターを飛び越えるとは思わなかったわ!」


 その声は――眼前から聞こえてきて、振り返る。


 そこには舌なめずりをした痩せこけて蒼い顔をした男がニヒルに笑って立っており、その袖がはためいた。


 そしてそこから顔を覗かせたのは、カッターナイフだった。それが、容赦なく純の首元に襲い掛かる。


 純はそれを、寸でのところで魔力循環を行い、避けた。


「……なんかお前、やけに動きいいなぁ。しかも、突然」


その黒装束の男は、蒼い顔をしながらこちらに疑るような視線を向ける。


「お前、まさか――」


 その瞬間、純がポケットから取り出したのは、携帯だった。


 カメラを素早く起動させ、それを相手に向ける。ボタンを押してシャッターを切る。


 シャッター音と共にフラッシュがたかれる。


「うぐ! なんだ!」


 そのフラッシュに動揺した隙に、純と美愛は素早く横切り、出入り口まで向かう。


「あぁ、くそ! うぜぇなやっぱこの世界は!」


 黒装束の男は、歯噛みしながら純の後を追う。


 純はとにかく無我夢中で出入り口まで走った。


 幸い、この異常な光景でフロアにいる人達は呆けた様子で三人の様子を見守っている。一種の、アトラクションを見ているような感覚なのかもしれない。


 そのおかげか、皆道を開けてくれるので、二人はその開けた道を全速力で駆けた。


 出入り口が見える。


 とりあえずここを出ればあとは改札を潜れば――。


「させねぇよ」


 その願いも儚く、またしても黒装束の男は、急に目の前に現れた。気を抜いていたわけじゃない。本当に目の前にいきなり現れたのだ。


「もしかして、魔法――!?」

「ご名答」


 黒装束の男は、勝ちを確信したようにほくそ笑んだ後、思いきりカッターを薙いだ。


 その刃を純は魔力循環で避けるが、一歩遅く、頬にカッターの刃が通る。


「た、立山君! 血が!」


 美愛の悲痛な叫びが聞こえてくる。けれど、ドーパミンでも働いているのか、今の時点では痛みは感じない。ただ、血がどくどくと流れる感触だけが、頬から伝わってくる。


「近くにきてようやくわかった。お前、魔法が使えるのか?」

「だとしたら?」

「なおさら、殺す」


 黒装束の男のカッターが純の首元に突きつけてくる。


「ここで殺したら捕まりますよ!」

「それでお前が死ぬなら安いもんさ。魔界はそういうとこだ」


 黒装束の男の刃はもう純の喉元に突き刺さろうとしている。


 それを、彼は斜め前に全身することでそれを避けた。


「な!?」


 まったく予想していなかった純の行動に驚いたのもつかの間、純の身体が黒装束の男の懐に潜り込んだ。


「はや――!」


 黒装束の男は反射的に身体を後方に逸らそうとする。


 身体が後ろにずれたら、目の前にあるのは人間の一番弱い部分――鳩尾が開く。


「やぁ!!」


 純はその開いた彼の鳩尾を魔力循環させた拳で突き立てた。


「ぐふぅ!!」


 黒装束の男はそれをもろに食らい、そのまま地面に転がった。すぐに起き上がる様子はない。


「奏多さん! 行こう!」

「あ、うん!!」


 美愛は地面に派手に転がっている男を一瞥した後、純の後をついていく。


 出入口を駆け抜け、改札をそのまま潜り抜ける。そしてホームへ上がると、ちょうど電車がやってきた。


「乗ろう!」


 純は電車のドアが開くやいなや飛び込むように乗り込み、まもなく『ドアが閉まります』という機械音と共に、電車のドアがしまった。


 電車が動き出す。その瞬間、安心感で一気に腰が抜けた。


「い、生きてた……」


 純は安堵して手すりにもたれかかった。乱れた息を整える。


 それは美愛も動揺で、膝に手をついて一心不乱に呼吸をしている。


「奏多さん、大丈夫?」

「だ、大丈夫……多分」


 美愛はかなり疲れた様子でそう言った後、ちらりとこちらを見た後、その手がふと純の顔に伸びて、いたわるように頬に触れた。


「え――いたっ!」


 瞬間、ピリッとした痛みが純を襲う。


 そこで純は頬に怪我をしていたことを思い出す。


「これ、かなり深そうだし、消毒しないと……」

「あ、いやこれくらいなら全然!」

「君の家、ここから近いんだよね?」

「え!? あ、うん、まぁ……」

「じゃあ、手当てしてあげる。君の家で」

「え、いやそこまでしてもらわなくても!」

「いいから、させてよ。君も、勝手にお見舞いに来たんだから」


 そう言われると断れなくて、純はすごすごと頷くのだった。


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