第7話 指導とお見舞い
臆人の指導は翌日の放課後から始まった。
指導場所は純の部屋で、純は部屋の中心に立たされ、臆人は椅子に座っている。
「じゃあまずは、身体に魔力を巡らせる魔力循環から始めるぞ」
「お願いします!」
魔界から来る刺客から身を守るため、純は気合を入れて指導を受ける。
まず最初に行われたのが、身体に魔力を流す魔力循環と呼ばれるもので、魔力を流すことによって身体能力を大幅に強化することができる。
これは魔人が戦闘を行うときには必ず使用しているもので、ほぼ無意識に発動しているという。
この行いを、純は発動させることから始めていかなくてはならない。
「大切なのは、ちゃんと流れをイメージすることだな。イメージするものはなんでもいい。川でもいいし、滝でもいい」
「イメージ……」
このイメージに関して、純は一つだけ心当たりがあった。
それは、純が倒れたときに夢に出てきた蝋燭に灯ったあの燃え盛る火だ。あれは多分、上手く身体を流れなかった魔力なのだろう。あの熱は、今でも忘れられない。
だからこそ純は使えると思った。自分の身をも焦がしかねないあの火を、逆に利用してやるのだ。
「お、意外と早かったな」
臆人は読んでいた漫画を閉じて――読んでいたのはキングダムだ――、すんなりと魔力循環を会得した純に不敵な笑みを溢す。
「ま、まあね。て、ていうか、身体が異常に熱いんだけど」
「魔力が流れてる証拠だ。うし、そのままその状態を維持してみろ」
臆人がどこからか持ってきたストップウォッチのボタンを押してなにやら時間を測り始める。
「い、維持って……こ、これ……け、結構……」
「喋ると余計疲れるだけだぞ」
「う、うぐぐぐ……」
力むようにして固まっている純の額からは大粒の汗が滲み始め、それは顎を伝って床に落ちていく。
数滴垂れたところで、純は身体中の力を抜いてその場に倒れこんだ。
「し、死ぬ……」
「大体一分ってとこか」
ストップウォッチのタイマーを止めて、臆人はふむ、と唸るようにそう言った。
「純。お前以外に才能あるかもな。半魔人としては、だけど」
「う、嬉しくない……ていうか、身体に上手く力が入らないんだけど」
「初めて身体に魔力を流したからな。その反動だ。時期に良くなる」
「なんか、初めてジムに行って身体を鍛えた後みたい……」
「ちなみに目標はこの魔力循環を三分維持させることだからな。頑張れよ」
「他人事みたいに……」
「まあ、他人事だからな」
こうして純は三分間魔力循環を維持できるよう、寝るまでの間休憩を挟みながらこの魔力循環を何度も繰り返して身体に慣らさせていくよう努めた。
その結果として。
「すー……すー……」
翌日の授業のすべて爆睡する羽目になった。
そしてそれは、それから三日間も続くのだった。
「まったく、また寝ているのかあの子は……」
すやすやと机に突っ伏して眠っている純の様子を見て、教師は小さく溜め息を吐く。
そしてそのまま、何事もなかったかのように授業を再開し始めたのだ。しかも、すべての授業の教師がだ。
これには、ある事情があった。
「まあ、あの事故で不眠症になっているんだから、仕方ないか……」
誰が流した噂なのか――予想はつくが――、純は交通事故にあって以来、夜に眠れなくなってしまうという精神病を患ったと広まったのだ。
それが功を奏してか、純の態度に眉を顰める教師は多かったが、誰も純を注意することはなかった。
そのおかげで、純は授業中に体力を少なからず回復させることができた。
だが、そんな純にも気掛かりなことが二つあった。
一つはクラスメイトに対してだ。
クラスメイトは、純の精神病を心配してか休み時間よく声をかけてくれる。ノートを見せてくれたり、励ましてくれたり、はたまたよく眠れると評判のCDを貸してくれたりと、色々世話を焼いてくれるのだ。
その温かさに、なんだか騙しているようで気が引けてしまう。
けれど流石に本当のことを打ち明けることは出来ないので、純はその好意を受け取り――ノートは本当に助かるし、CDはかけて寝たらよく眠れた――、そこは素直に感謝した。
それでもやっぱり、嘘をついていることに負い目を感じるのだ。
そしてもう一つ気がかりなこと――それは、美愛が風邪で休んでいることだ。
風邪になった原因は、どう考えてもあのとき雨に打たれたからに違いない。
そう考えると、残り少ない学校生活を休ませてしまって、本当に申し訳ない気分になる。
つい先日、臆人に魔法で彼女の風邪を治してやれないか訊ねたところ、お前の魔力じゃ無理だと一蹴されてしまった。
なので、とにかく早く風邪を治して、学校に復帰してほしいと願うばかりだ。
それに――美愛の目の前で倒れてしまったことや、あの中途半端な告白もまだなにも美愛に伝えきれていない。
それがなんだか、もどかしかった。
まあとにかく、いまの純にできることは、来たる魔界からの刺客から身を守る術を身につけることだけなのだが。
そう考えて、今日も純は放課後は一直線に家に帰る。
魔力循環に関しては、とりあえず目標であった三分間の維持そのものはできるようになった。けれど、維持するだけで身体を動かすこともままならないので、とにかく試行回数を増やして無意識にでも維持できる状態にならなくてはならない。
純は気合を入れて自室へと入って行った。
部屋に入ると、いつものように臆人が先に来ていて、だらだらと漫画を読んでいる。キングダムは読み終えたのか、今度読んでいるのはワンピースだ。
というか、つい先程まで純と一緒に授業を受けていたはずなのに、どうして一直線に帰って来た自分よりも臆人のほうが早いのか、その理由は聞かなくてもわかるので聞いてない。
「ねぇ、臆人。今日も魔力循環の練習?」
そう聞きながら、身体をストレッチさせ、魔力循環するための準備運動に入る。準備運動して始めるのとそうじゃないのとでは、翌日の疲れ具合が全然違うことに、昨日気がついたからだ。
だが、臆人は予想外の言葉を吐いた。
「いんや。今日は違うことをやってもらう。純にとってはとても大事なことだ」
臆人はそう言って、読んでいた漫画を閉じた。
閉じた漫画から覗かせた表情は、なんだかにやにやと笑っていて、純はその瞬間嫌な予感がした。
「なあ純。奏多はいま、風邪で学校を休んでるよな?」
「……うん、まあ」
「それは誰のせいだと思う?」
それは、答えが分かり切っている問い掛けだった。
「……それは、僕のせいだけど」
自覚はしているが、臆人にこうしてはっきり言うのはなんだか癪だったので、目を逸らして言った。
「そうだよな。なら、お見舞いに行くのが筋じゃないか?」
「え!? い、いや、そ、それは無理……」
お見舞いに行くということは、美愛の家まで会いに行くということになる。
そんなの無理だ。できるわけがない。
「風邪を引かせた張本人がお見舞いにも来ないなんて、そう思ってるかもしれないっていうのにか?」
けれど臆人のなにやら含んだ言い方に、あっと言う間に純の心は揺らいだ。
「え……そう思ってるってこと? まさか、魔法で調べたの!?」
もしそうだとするなら一大事だ。早速謝りに行かねばなるまい。お見舞いに行くのだから手土産が必要だ。
「おいおい、まさかそう思ってるから行く、なんて浅はかな考えしてるんじゃないよな? そんな情けない」
大袈裟に首を振ってやれやれと肩を竦める臆人。挑発だということはもちろんわかっているが、それでもイラっとくる。
「べ、別にそういうわけじゃないけど……」
「じゃあどうする? 行く? 行かない? もし行かないんだとしたら薄情な人だとレッテルを貼られるかもしれないけど」
「行くよ! 行きます! 行かせていただきます!」
弄ばれている。純は臆人の面白がる様子を見てそう思った。
けれど同時に、これは臆人なりの優しさなのかもしれない。
うじうじ悩んでないで会いに行け、きっとそういうことなんだろう。多分。
「よし。ならそのままデートに誘え。ここにチケットも準備してある。お詫びだって行ったら相手も断れないからな。あと、お見舞い用のフルーツも持って行け」
どこから出してきたのか、臆人の手には二人分の映画のチケットと果物が入った茶色の紙袋を持っていて、それを純の胸元に押し付けてきた。
「え、え……えぇ!? で、でーと? 無理無理!」
「純。逆転の発想だ。普通にデートに誘うんじゃない。風邪を引かせたお詫びとしてデートに誘うんだ。この建前があるかないかってのは凄い大きい」
「……いや、でも」
「引っ越しはもうすぐなんだろ。チャンスは、もうないかもしれないぞ」
その一言が、純の胸に深々と突き刺さった。
そうだ。彼女はもうすぐいなくなってしまうのだ。ならば、うじうじしている暇はないのかもしれない。
「わかった。やってみる」
「その意気だ」
そう意気込んだ純だが、そこではたと気づく。
「でも僕、家の場所知らな――」
「楓から聞いたメモがある。持ってけ」
用意周到とは、きっとこのことを言うに違いない。
なんだか手のひらで踊らされている気分になりながら、まあそうでもしないと行動できない自分の不甲斐なさに溜め息を吐きながら。
純は彼女の家へと向かった。
美愛の家は、自転車で三十分ほど行ったところにあった。
綺麗な住宅が建ち並ぶ一角に、それは一際大きな存在を放ちながらそこに建っていた。
美愛の家は有り体に言ってとても綺麗で大きかった。まるでお城を思わせるような造りで、純の家と比べたらその広さは二倍近く違うかもしれない。
こんな家に住む美愛はさながらお姫様だな、と白いドレスを着た彼女の姿を想像して思わず頬がにやけた。
けれど、白いレースのカーテンで閉められたガラス張りの窓からぼんやりと覗かせた積まれた段ボールの姿が純をあっと言う間に現実に押し戻した。
彼女はもうすぐ、ここからいなくなるのだ。家庭の事情という、子供には絶対に覆せない大魔王にさらわれて。
インターホンは、すぐに見つかった。
けれど、純はそこから延々とその場をうろうろし、一向にボタンを押せないでいた。
純の話によると、両親は共働きで夜まで仕事で帰って来ないらしい。なので、インターホンを押して出てくるのが母親、なんてオチはまずないはずだ。
なのだが、勇気がでない。いきなりお邪魔するのもあれだろうし、とりあえず用件だけ伝えてお見舞いのフルーツを渡してさっさと帰ればいい。それだけなのだが。
おそらく、近所の人からしたらかなりの不審者だと思われていたに違いない。
けれど、そんなことを考えている余裕は、純にはなかった。
そしてそれと同時に、うだうだとここで悩んでいる時間もなかった。
もう時刻は五時前。早くしなければ親が帰って来る可能性だってある。
親が帰ってきたらそれこそもう、パニックになることは間違いない。
そんなことを考えていたときだった。
「あら、どなた?」
振り返ると、買い物袋を提げた一人の女性が不思議そうにこちらを見ていた。
少し青みがかった髪に、多少皺が寄ったが綺麗な顔つき。その顔立ちは美愛を想起させるようで――。
純の思考は、そこで停止した。
するとその女性は、純が持っている茶色の紙袋を見て、あ、と嬉しそうに声を上げた。
「もしかして、お見舞いにきてくれたの?」
その笑った顔は間違いない。彼女は――美愛の母親だ。
「も、も、もしかして……奏多さんの?」
「母の、八千代です。さ、どうぞ」
美愛の母、八千代は朗らかに笑って家の門を開け、中に入れるよう道を開けてくれた。
この状況に対して、純はとりあえず「お、お邪魔します」と言って八千代に従い中に入るしかなかった。
そして家に入りながらこう思った。
母親いるじゃん!!!!!!
純は臆人を恨んだ。
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