第6話 魔法の発芽

 身体から発せられる熱が、止まらない。


 まるで内側から焼け焦げていく感覚が、彼に襲い掛かってくる。


 熱い。痛い。熱い。痛い。


 もがいてももがいてもその熱は収まらなくて、思わずかきむしりたくなるような衝動に駆られる。


 けれど、その気持ちを必死に抑えながら、彼は必死に耐え忍ぶ。


 なにがあっても、ここで負けるわけにはいかない。


 せめて、不安で押し潰されそうになっている彼女を助けるまでは、絶対に。


 すると、その想いが通じたのか、熱が嘘のように引いていく。


 身体が楽になると、荒んだ呼吸は落ち着き始め、混濁していた意識はゆっくりと沈み始める。




 純は、ゆっくりと目を覚ました。視界がぼやけて、周りの景色がよく見えない。


「あれ……ここは」


 純が体を起こしながら目をこすると、その手の甲が濡れ、自分が泣いていることに気がついた。


 純はそのことに驚きつつも両手の甲で涙を拭い、辺りを見渡した。


 ここは純の部屋だ。他には誰もいない。


 その瞬間、部屋のドアが開いた。


「お、ようやく起きたか」


 入ってきたのは、臆人となんだかむすっとした表情をしている楓だった。


「ようやく……? え、ようやくって……!」


 先日の気づいたら三日も寝ていたこともあって、純はまたもや長い間寝てしまったのではないかと焦りだすが、それを臆人は否定した。


「お前が寝てたのは四時間くらいだよ」

「四時間……」


 純はそう聞いて窓の外を見ると、外はもう真っ暗だ。


「なんで僕……」

「お前が屋上で倒れたのをここまで連れてきたんだよ」

「屋上……」


 そこでようやく、突然の激しい痛みで倒れこんだことを思い出す。そしてそれと同時に、告白しそびれたことも。


「そう、だったんですね。ありがとうございました」

「礼なら楓に言え。こいつは看病までしたんだからな」


 そう言われて楓を見ると、なんだか不服そうな顔をして椅子に座っている。


「あ、ありがとうございました、紅葉さん」

「まぁ、それはいいけど」

「それは?」


 すると臆人が面白がるように楓を指してこう言った。


「あぁ、こいつな、あんまりにも必死で看病している様子を純の母親に見られて、彼女だと間違われたんだよ」

「言わなくていい!」

「あぁ、そうだったんですね……なんかすいません。でも、勘違いされるほど必死に看病してくれてたんですね」

「いや、必死というか、集中してただけよ。熱を上手く引かせるためにね」

「熱を……?」


 そこで、眠っていたときに嘘のように熱が引いていったことを思い出す。


「あれは紅葉さんがやってくれてたんですね。あれは本当に助かりました。あれがなかったら、もしかすると僕、熱に負けてたかもしれません」

「そ。良かったわね。熱に負けてたら死んでたわよ」


 飄々とそんなことを言った楓に、純はハッと息を呑む。


「死んでたって……そんなの、なんで」

「そこからは俺が説明してやるよ」


 そう言ってきたのは臆人だ。臆人は床にあぐらをかくと、純にこう訊いた。


「それより純。体調のほうはどうだ?」

「あ、うん。体調は問題ないよ。というか、逆に良いくらい」


 そうなのだ。先程から妙に身体の調子が良い気がする。まだベッドの上なので気のせいだという可能性もあるが、とにかく体が楽なのだ。


 そう――この感覚は、異世界に行ったときに似ているようで。


「なるほどな。なら純。ここに立って全力で高く跳び上がってみてくれないか?」

「え……? あ、うんわかった」


 臆人は床を指差してそう言うので、純もそれに従い、ベッドから起きて床に立った。


 そして言われるがままに、上に高く跳躍した。


「う、うわ――!」


 すると、宙に浮いた身体は天井付近まで跳び上がり、危うく天井に頭をぶつけそうになった。そのまま身体をわちゃわちゃと動かして床に落下する。


 それもかなり高いところから落ちたが、ほとんど痛みを感じない。


「な、なにこれ……!?」


 純は自分の身体をあちこち見つめて動揺しているが、臆人にその様子はない。むしろ、やっぱりか、といった様子だった。


「え、これ一体どうなって!?」

「……そうだな。その前に俺たちについて軽く説明するか」


 臆人はそう言って説明を始める。 


「俺たちが魔界から来て、しかも魔法が使えるってことは純も知ってるよな?」

「ちゃんと見たことはないけど……」

「まあそれはいい。でだ。簡単に言うと、俺達は人間じゃないんだよ」

「人間じゃない……?」


 臆人にはっきりそう言われて、ようやくそのことに気づかされる。


 魔界からきた魔法が使える人間なんて存在しない。つまり、彼等は人間ではないのだ。

 

「あぁ。んで、俺達は自分たちのことを魔人って呼ぶんだ。純が自分たちのことを人間って呼んでるのと同じだな」

「魔人……」


 臆人は楓は人間ではなく、魔人。


 それがどうにも信じられなくて、純はただその言葉を繰り返すだけだった。


「ちなみに魔人と人間の差は魔法が使えるかどうか、もっというと魔法を使うための器官が存在するかどうかの差だけだ」

「そっか……それだけなんだ」


 純はそのことにほんの少し安堵する。こんな人間のような二人なのに、中身は全く人間と違うと言われたら、なんだか遠い存在になるような気がしたからだ。


「それでな、純」

「うん?」


 臆人はそこで言葉を切り、言いにくそうな顔をして純のほうを向く。


「あの熱に打ち勝ったお前は、見事に魔法を使う器官を手に入れ、魔人になったんだ」

「……へ?」


 自分が、魔人になった?


「ちょ、え? どういうこと?」

「どうもこうも、そういうことだよ。お前は人間から魔人になったんだ」

「魔人になったって……え、じゃあ僕は魔法が使えるの? え、てかこの身体の異常も魔人になったせい?」

「魔法は使えるだろうが、突然変異をして魔人になったから、魔力を貯められる場所がとてつもなく小さいんだ。

 だから魔法が使えるとって言っても、簡単な呪文を一発か二発使えるくらいだ。まあ要するに、半魔人ってところかな

 身体能力が高くなったのは魔人の影響だ。空気中に流れる微量の魔素を勝手に吸収して、純の力に変えてるんだ」

「……嘘でしょ?」

「それが、ほんと」


 臆人は肩を竦めてそう言った。


「というか、俺も初めてなんだよ。人間界から魔界にきて、魔法が使えるようになったやつは」

「そう、なんだ……てことはやっぱり、魔人になったのは異世界に行ったことが原因なの?」

「いや、それ自体は原因じゃない。原因は、あのとき純を襲った症状だ」

「症状……」


 それはおそらく純が異世界で熊と戦った後に、倒れたあれのことだろう。吐血し、眩暈や嘔吐などで死ぬ思いをした例のあれ。


 あれが、純を人間から魔人にした原因らしい。


「そういえば、あの症状の原因はわかったの?」


 先日聞いたときは、楓が調査中と言って詳細がわからなかったが、今はどうなっているのか。


「あぁ。楓が魔界で調べてくれたおかげでな。な?」

「まあ、仕方なくね」


 楓は頬杖をつきながらさらっとそう答える。


「そ、それで原因って」

「魔素中毒」

「魔素中毒……?」


 楓は原因だけ言ってそっぽを向いてしまった。どうやら説明は臆人に任せるらしい。


「魔素中毒ってのは、空気中に流れてる魔力の素を吸い込みすぎてなる中毒症状だ。ま、アルコール中毒みたいなもんだな」

「へぇ……ならその中毒症状で、僕は人間から魔人になったってこと?」

「そうなるな。ほんと、前代未聞、魔界がこれを知ったら天変地異が起こるぜきっと」


 臆人はやれやれと肩を竦めてそう言った。


「天変地異って……そんな大げさな」

「いや、それがそうでもないんだよ」


 すると臆人の表情は、なんだか物憂げな表情へと変わる。なにかを思い出しているかのように見えた。


「それに関しては僕はよくわかんないけど……じゃあさっき起きた熱は?」

「それは多分、魔力熱だろうな。感情が昂って、体内に溜まった魔力が外に出ようとするんだけど、上手く出されずに中で暴発したんだ」

「暴発……」

「んで、それを楓が外に逃がしてやってたんだ。俺にはそういう繊細なことはできないからな」


 けらけらと笑う臆人。


 だから紅葉さんが看病していたのか、と納得する純。


「ま、とりあえずこれで粗方説明を終えたと思うが、なんか質問あるか?」


 臆人にそう聞かれ、ほんの少し、純の頭の片隅にあった想いを、ここで口に出してみる。


「なら、奏多さんを異世界に連れて行くことは無理ですね。だって、異世界に行ったら魔人になっちゃうし、しかもあんな痛い思いを何度もしなきゃいけないし」


 話を聞く限り、魔素は空気中にいるとのことなので、それを避けて異世界に行くことはできないだろう。なら、美愛を異世界に連れて行くことは不可能ということになる。


「いや、無理じゃないぞ」

「え? で、でも……」

「魔素中毒を引き起こしてるのは意図的だからな。原因を排除すれば異世界には来れるようになるよ」

「意図的って……なんで?」

「人間を殺すためだろうな」

「殺すって……な、なんでそんなこと!」


 純は予想外の言葉に目を丸くする。


 ならもしあのとき臆人が助けに来なかったら、自分は死んでいたのだろう。そう考えただけでぞっとする。


「人間を恨んでるからだよ。俺達の国はな」

「人間を恨んでる……? 待ってよ。僕の前にも魔界に人間は来てたの?」

「来てたよ。なにせ、人間が魔界を行き来するための専用の扉があるくらいだからな。まあ、もう昔に封印されちまったけど」


 平然とそう言う臆人に対して、純は唖然とするばかりだ。


「それ、ほんとなの?」

「あぁ。もっとも、前は魔法で人間に緘口令を敷いて、人間界に帰っても口外しないようにしてたらしいけどな」

「そうなんだ……でも、なんで人間を恨んでるの? 俺達の国、とも言ってたけど」

「人間を恨んでるのは魔界じゃなくて俺達の国なんだ。俺達の国は、人間の手によって一度滅ぼされかけたんだ」

「滅ぼされかけた?」

「人間が魔界にくると身体能力が向上するのは知ってるよな?」

「うん」

「それを逆手に、人間たちは俺たちの国を乗っ取ろうとした」


 臆人はなんの感情も乗せず、ただ淡々と喋る。


「幸い、国そのものは乗っ取られずに済んだが、国王は死に、国中は混乱した」

「死……」

「今はその息子が王をやって国を立て直しているところだ。でも、俺と同じくらいの歳だからな。上手くはいってない」

「だから……」

「あぁ。もうこんなことが二度と起きないよう、正規ゲートを封印し、もしイレギュラーに人間がこの地に来てもすぐ死ぬように、国の魔素の濃度を高めた」

「正規ゲート?」

「さっき言った人間が魔界を行き来するための専用の扉のことだ。魔界ではそう呼んでる」

「へぇ……なんか、全然信じられない」


 今までの話を聞いて、純はこれを全部鵜呑みにすることはまだできそうになかった。あまりにも非現実的すぎて、現実のものとは思えないのだ。


「まあ、そうだろうな。俺も話を聞いたときは驚いた」

「ふうん。誰に話を聞いたの? 父親とか?」


 すると臆人は一瞬瞠目して固まった後、「まあそんなところかな」と言葉を濁すようにそう言った。


「それでな、純。お前はこれから命を狙われる羽目になると思う」

「……はい?」


 臆人から突然に命を狙われる宣言をされ、純は目を大きくさせたまま固まる。


「言ったろ。異世界に行ったら人間が死ぬようにできてるって。なら、死ななかったやつはどうなるか」

「……で、でも、こっちにいるなら安全だよね?」

「いや。間違いなくあいつらはこっちまで来るはずだ。魔界の存在を知られて、大人しくしてるはずがない」


 臆人は真剣な表情でそう言った。そこまで言い切っているのだから、敵は人間界に姿を現わすのだろう。


「な、ならどうしたら……」

「んなもん、魔法で追い返してやればいい。今のお前の一番の武器だ」

「武器って……でも、全然使い方が」

「大丈夫だ、純。そこは俺がちゃんと指導してやるからよ」


 臆人は純の肩の手を乗せ、しっかりと純の目を見てこう言った。


「もう――誰も絶対に死なせやしない」


 その瞳があまりにも真摯で、思わず気圧されそうになった純は、ただただ何も言えず、臆人を見つめ返すばかりだった。




 つかつかと足音が薄暗い城内に響く。歩いているのは、武骨な男だった。右目に眼帯をし、腰に鞘を差して歩く姿は毅然としていて、まさしく剣士のそれだった。


「ここにおられましたか、ダルア伯爵」

「おまえは、タークか」


 ダルアと呼ばれた髭を蓄えた初老の男は、城内の玉座にふんぞり返っている。それを、タークが面白そうに眺めている。


「そこは王が座る場所ですよ」

「あんな小童を王とはわしは認めておらん」

「認めるもなにもありません。王は王です」

「ふん、冗談の通じないやつめが。それより、人間が来たとは本当か?」


 相も変わらず玉座にふんぞり返っているダルアに、タークはもう指摘することを止めた。話をするだけ無駄だ。


「えぇ。逃げ帰ったことまでも本当です」

「忌々しい……即刻殺せ。容易いだろう?」

「王にはこのことは?」

「言うわけなかろう。あやつはただ虚構の王として君臨しておればいい。真の王は私なのだから」


 ふっふっふ、と意地汚い笑みを浮かべる初老のこの男に、タークは思わずため息を吐きそうになる。本当にあなたは、その小さな玉座にふんぞり返って満足しているのがお似合いだ。


「では、仰せのままに」


 タークは去っていった。

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