第4話 助けてくれた恩人

 真っ黒な世界の中心に、火の灯った蝋燭がある。


 その火は、段々と強くなり、次第に炎のように燃え盛り始める。


 そして世界は――その炎に包まれる。




 純はハッとしたように目を覚ました。


 視界の先には、真っ白な天井が映る。


 消毒液の鼻にくる匂いと、ベッドで横になっている感覚。


「ここは……病院?」


 純はなにがなんだかわからないまま上体を起こそうと身体に力を入れてみるが、酷く身体が重く、力を入れてみてもろくに動かない。まるで石でも詰められているみたいだった。


「純!」


 遠くのほうから自分を呼ぶ声がして――しかもその声に不思議と懐かしさを覚えながら、純はその声がするほうに顔を向ける。


 声の主は、病室のドアの前にいた。


「母さん……」


そこには泣きそうな顔でこちらを見つめる母――真理まりの姿があった。その後ろには父の小暮こぐれの姿もあった。


「よかった! 目を覚まして!」


 真理は目を潤ませながら一気に駆け寄ってくると、純に抱き着いてきた。


 その大袈裟までの喜び方に、純は戸惑いを隠せない。


「覚えてないのか?」


 その様子を見て取ったのか、小暮が近づいてきてそう言った。そう言う彼の顔も、安堵の表情に包まれていた。


「……うん」

「そうか。もうすぐ医者が来るはずだから、そこで詳しく聞いてみるといい。実際のところ、俺たちもよくわかってないからな」

「わかった」


 医者はすぐにやってきた。だが、一人ではなかった。


 医者の後ろには、スーツを着た強面の男がこちらを窺うようにして立っていた。


「よかった、目を覚ましたんですね」


 白髪混じりの年配の医者も、純を見るや安堵したようにそう言う。


「もう、目を覚まさないのかと思いました」

「もう……?」


 純がそう言うと、年配の医者はそっと後ろにいた強面の男と視線を合わせた。強面の男が頷く。


 それを合図に、年配の医者がもう一度こちらに振り返り、


「少し、よろしいでしょうか」



 両親は一度外に出てもらい、病室は純と年配の医者、そして強面の男の三人だけとなった。


 早速、強面の男が口を開いた。


「私は刑事の田辺たなべといいます」


 そう言って、慣れた手つきで警察手帳を見せると、すぐに胸ポケットにしまった。


「三日前に起きたこの奇怪な事件について調べています。早速ですが、お話を聞かせてもらおうと思いまして」

「刑事さん。まずは状況説明からさせてください」

「……失礼しました」


 年配の医者にそう言われ、刑事の田辺は軽く頭を下げると、そのまま押し黙った。


「あの……三日前って」


 純は年配の医者から話し始める前に、そのことが気になりそう口にした。


「その前に自己紹介を。私は医者の江藤といいます」


 年配の医者である江藤は、話し始めた。


 ことここに至るまでの顛末を。


 純がこの病院に運ばれたのが三日前。道端に倒れていた純を、通りがかった人が救急車を呼んだくれたらしい。


 それからすぐに警察に通報が入り、財布の学生証や保険証から身元が特定され、家族が病院に呼び出される。


 ここでの診断では、なにかの拍子に意識を失い、眠っており、時間が経てば目を覚ますだろうという見立てだった。


 だが、その後純は意識を失ったまま高熱を出し、


 なにが原因なのか医者も特定しようと躍起になったが、遂にはわからずじまい。


 最悪このまま眠り続けるかもしれないと、医者は家族にそう言ったらしい。


 そして家族がそう言われて絶望したその翌日、純はこうして目を覚ました。


 これが、目を覚ますまでの顛末だそうだ。


「そう……だったんですね」


 純にとってはただ寝ていたのでまったく見に覚えのない出来事でも、両親は気が気でなかっただろう。


「それで、どうして道端に倒れていたのかあなたは覚えていらっしゃいますか?」


 今度は田辺が口をついた。


「それは……」


 純はその問いかけに対してどう答えたらいいのかわからなかった。


 黒い渦に捕らわれて、異世界に行って熊のような化け物と戦っていました、と言っても信じてもらえるはずがない。


 なので純はこう答えることにした。


「すいません……あんまりよく覚えてなくて」

「……わかりました。またなにか思い出したら、教えてください」


 まったくわかった様子のない田辺が、今度は胸ポケットから名刺を取り出し、純に差し出す。名刺の端に電話番号がかいてある。ここに電話しろということなのだろう。


「わかりました」


 純がそれを受け取ると、用はもう済んだとばかりに田辺が立ちあがり、「失礼します」とだけ言ってさっさと病室を出て行ってしまった。


「すいませんね。ちょっと、無愛想で」

「……お知り合いなんですか?」

「えぇ、まあ。何年も医者をやってるとね」

「そうなんですね」

「それより、今日はもうお休みください。夕方頃にまた来ますから」

「わかりました」


 こうして純は夕方頃に検査を受け、とくに問題がないと診断され、翌日にはもう退院することになった。


 翌日、からりと晴れた空の下、純は家へと帰宅した。


 久々の我が家に安堵した純は、すぐさまベッドで横になりたいという衝動に駆られた。


 今まで散々病院のベッドで過ごしていたわけだが、病院のベッドと自室のベッドでは癒される格が違う。


 純は自室に入ったらベッドにダイブしてやろうと考えながら、颯爽と自室のドアを開けた。


 そこには――ベッドの上で漫画を読んでだらりとしている荒田臆人の姿があった。


 臆人は読んでいた漫画から目を離すと、軽く手を上げた。


「よ。お帰り」

「え、臆人!? なんでここに!?」

「いいだろ友達が来てたって」

「いやそこじゃなくて! なんで勝手に! ていうか散らかってる漫画片してよ!」


 純はベッドの下に散らかっている漫画と臆人を交互に見ながらそう捲し立てる。


「まったく、命の恩人に対して言う言葉じゃないなぁ」

「え……命の恩人?」

「あのマグマの群れ、追い払うの大変だったんだぞ」


 臆人はけらけらと笑う。


 だが純はそれとは裏腹に深刻そうな表情をしながらあのときの出来事を思い返そうとする。


 そういえばあのとき、意識が無くなる前、誰かが自分に声をかけていた気がする。


 もしかして、それが――


「そ。あのときお前を助けたのは俺だ。感謝しろよ、純」


 相変わらずの軽い口調で話す臆人に、純は言葉を失う。


「なら臆人は……異世界の人? え、でも……」


 純の頭は混乱する。彼と仲良くなったのは中学一年生のときだ。そしてこれまで彼は普通に学校に通い、授業を受けている。


 これはいったいどういうことなのだろうか。


「まあ俺、中学に上がってからほとんどあっちに行ってなかったからな。実質もうこっちの人間みたいなもんだな」

「あっちって……異世界のこと、だよね?」

「異世界というか魔界だな。で、こっちは人間界」

「つまり臆人は、魔界に住んでて、中学に上がってからはこの人間界に住んでるってこと?」

「まあ、そういうことだな。ちなみにあっちでの名前はヴォルグっていうんだよ。かっこいいだろ?」


 臆人はドヤ顔でそう言うが、全然笑う気にも驚く気にもなれず、ただ呆然とするだけだった。


「ま、驚くのも無理ねぇよな。つか、俺も驚いたんだぜ。まさか魔渦まかが開くとは思ってなかったからさ。しかもそれを開いたのが純――お前だったんだからな。最初は目を疑ったよ」

「そっか……本当に君は、この世界の人間じゃないんだね」


 純がぽつりとつぶやいたその言葉に、臆人は初めて顔を俯かせた。


「悪かったな。騙してて」

「いや、それは別に……ただ、呑み込めないだけで」

「……そうだよな。ずっと仲良くしてきた友達が違う世界の人間だったなんて、そんな簡単に呑み込めるわけないよな」


 臆人はそう言うと、純に語りかけるように話し始める。


「でもな、これだけはわかっててほしい。俺は純のことを本当に仲のいい友達だと思ってるし、これからもそうあり続けたいと思ってる。そこに、違う世界の人間だから、なんて考えは微塵もない」


 臆人は力強くそう言った。


「うん。わかった」

「おう。ありがとな」

「いや、お礼を言うのはこっち。ありがとね、助けてくれて」


 もしあのとき臆人が助けにきてくれなかったら、純はここで今みたいに笑い合うことなんてできなかったはずだ。


 それを思うと、本当に臆人には感謝している。


「けど、あれはなんだったの? 何の前触れもなく死にそうになったんだけど」

「あぁ、そのことか」


 臆人は、まあ聞いてくるよな、みたいなはぐらかすような顔をして、こう言った。


「それがさ、原因がまだわかんないんだよ」

「え、わからない?」


 とっくに原因がわかっているものだと思っていたので、純は思わず聞き返す。


 すると臆人が面目ない顔を浮かべる。


「あぁ。いま俺の仲間が調べてる最中なんだ。もう少し探ればわかるとは思うんだが」

「そうなんだ……仲間って魔界の人?」

「魔人でいいよ。魔界に生きてるから魔人」

「じゃあ、その仲間も魔人なの?」

「そうだよ。で、クラスメイト」

「へぇ……え!?」


 さらりと臆人が言ったので聞き逃しそうになったが、寸でのところでそれを拾い上げる。


「クラスメイトって……え、八束中学のだよね?」

「もちろん」

「え、誰……?」

「それは行ってからのお楽しみ。ま、すぐ気づくと思うぞ。あいつわかりやすいから」


 そう言ってけらけらと笑う臆人だが、やがて真剣な表情へと変わっていく。


「さて、ここから本題に入るとするかね」

「本題って……?」

「魔界に来た理由を訊きにきたんだ。魔渦が現れたってことは、こっちにくることを願ったんだろ?」


 ほぼ断定的に聞かれたその問い掛けに、純はこくりと頷くしかなかった。


「やっぱりそうだったんだな。……理由を聞かせてくれないか?」

「聞いてどうするの?」


 すると、臆人は一瞬逡巡したように目を伏せると、やがて決心したように顔を上げ、純を見た。


「できれば、お前を異世界に招待したいと思ってる」

「僕を、異世界に?」

「あぁ。もちろん、あれが解決したあとに、だけどな」


 それは、願ってもない言葉だった。


「だから、聞かせてほしい。どうしてお前は異世界に行きたいと望んだのか」

「……それは、いいんだけどさ」


 なんだか、臆人がもの凄い真剣な顔をして理由を尋ねてくるが、純としての異世界に行きたいと願った理由は、とてもシンプルで、真っ直ぐなものなのだ。


「その、そんなに大層なことじゃないから、気楽に聞いてほしいんだけど」


 すると一瞬唖然とした様子の臆人が、我に返ったように破顔した。


「いや、悪い! ちょっと色々考えちまって!」


 臆人はなにかを必死に隠すように笑っていたけど、きっと触れてはいけない部分なのだろうと思い、純も一緒に笑った。


「えっと、それがさ――」


 純は、美愛が異世界に行きたがっていること。そして、その彼女のために異世界を見つけようと考えていたことを打ち明けた。


「――と、いうわけで、多分、僕が色々考えてたせいで、その、魔渦?が開いちゃったんだと思う」


 やや恥ずかしくなりながらも説明を終えた純。なんだか照れくさくて臆人と目が合わせられない。


 そして臆人はというと、


「……ぷは! じゃあなにか? 好きな人をどうやって異世界に連れて行こうか考えてたら、本当に異世界に行く扉が開いちゃったと。そういうわけか!」

「まぁ……そうだね」

「いや、考えもしなかったわ! そんな理由!」

「うるさいなぁ! いいだろ別に!」

「さすが! 二年半も片想いしてるだけあるわ! 発想が! アホだ!」


 あまりに面白いのかベッドの上でのたうち回っている。


「しょうがないだろ! もう転校するまで日がないんだから!」


 二学期が終わればもう会えなくなる。そうなる前に、この状況を打破したいのだ。


 すると、笑い転げていた臆人がふとなにか思いついたかのように「あ」と声を上げると、まるでいたずらを思いついた子供のように無邪気に笑う。


「なら、純。異世界で告白しろよ。あそこは最適だろ?」

「……え」


 臆人の一言で、純も恥ずかしがるのを止め、想像してみた。


 あの高台。見晴らしのいい景色を背に愛の告白をする。告白をした瞬間、周りにいた魔物や花たちが踊り始め、空を色とりどりの鳥が駆ける。


「ロマンチックかも、しれない」


 あくまで想像の中では、異世界で告白するのはロマンチックだった。


「うし、ならいっそのこと式も挙げるか! あの近くに式場もあるしよ」

「いやいやまだ告白が成功するかもわからないんだから気が早いって!」


 とかいいつつ、そんな光景も想像してしまい口元がにやける自分もいるのだが、そう言われた臆人の顔が、何言ってんだこいつ、みたいな顔で見てくる。


「なに、お前告白が成功するかどうかで悩んでんの?」

「え、そりゃそうでしょ!?」

「……はぁ。そんなだからお前はまだ童貞なんだよ。しゃっきとしろ」

「ど――!? ってそれは臆人もだろ!」

「うるさい! ともかく! 俺があの原因を探って解決して、そんでもってお前ら二人を異世界に出迎える! そこで、お前は奏多に告白しろ! いいな!」

「言われなくても!」


 というわけで方針は決まった。


「さて、まあそんじゃ、俺は帰るとするけどよ」


 平然と窓に足をかける臆人。きっと入ってくるときもそうやって入ってきたのだろう。


 窓枠に足をかけた臆人が、頭だけ純のほうを振り返って、じっと見つめる。


「忠告しておくことが二つある。一つは――あんまり感情的にならないこと」


 純が人差し指をピンと張り、続いて二本目を立てる。


「二つ目は、黒服の男に気を付けろ、だ」

「……なにそれ?」

「まあ、じきわかる。じゃあな!」


 臆人はそれだけ言うと、窓からぴょんとジャンプして、もうすっかり暗くなった夜の世界に消えていった。


「感情的にならないことと、黒服の男……」


 その忠告がなにを意味するのかいまいちピンと来なかったが、一応胸に留めておくこととして、純はそのままベッドにダイブした。


 そして、気づけば深い眠りについていた。


 

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