第13話
左手に葉巻、右手にウィスキーグラスを持って、ソファの背凭れにすっかり身を任せてくつろぐ。まるでイギリス人にでもなったみたいな気分だった。
ウィスキーのグラスを二、三度口にしたとき、隣りの部屋から何かの回転音が低く高く交互に聞こえてきた。私は耳をそばだてる。
「気にしないほうがいい。あんたにはなおさらだ」
私は男の言っていることがまるで理解できない。
「俺には……? それって、どういうこと?」
「だから、放って置けばいいんだよ。そのほうがあんたのためだ」
男は隣りの様子をまったく気にすることなく、涼しい顔でウィスキーを舐めている。気にしないほうがいい、と言われるとやたら気になりはじめた。私は葉巻をガラスの灰皿に投げ入れると、やにわに立ち上がり、隣りへのドアと思えるほうに歩み寄った。
「やめろ!」
これまで穏やかだった男の口調が急に荒々しいものに変わった。私は男のほうを振り向く。男は眉を顰めて鬼のような形相になっている。だが私は委細かまわずドアの取っ手に手をかけた。
ドアを開けた瞬間、部屋の中の光景を見て驚愕した。
薄暗い明かりの中に、シーマがいつもと変わらない表情のまま、右手で小型のチェーン・ソーを持ち、左手は椅子に縛って身動きできないようにした女性の髪を掴んでいる。女性は猿轡をはめられ、くぐもった声でしきりに何かを訴えている。
この部屋でいま行われようとしていることは、いちいち説明されなくてもわかった。私はシーマにすぐにやめるように言う。しかし、シーマは私の言葉に耳を貸そうともせず、坐ったままの女性の膝より少し上あたりにチェーン・ソーを持って行った。
「やめろ! やめろったら、やめろッ!」
私は見るに耐えられなくなって大きな声で言う。
シーマは猟奇的な顔で私を一瞥すると、ふんといった表情でチェーン・ソーの刃に目を向け、そのまま一気に右脚に降ろした。
女性の甲高い悲鳴と、私の叫び声が部屋中にこだまする。シーマは素知らぬ顔のまま右脚を切断しつづけた。ミンチ状になった脚の肉と、血しぶきが混じってあたり一面に飛び散る。あまりの凄絶さに思わず掌で視線を遮った。
チェーン・ソーの音がやみ、部屋の中が静かになる。ただ女性の呻き声が低く聞こえるだけだ。
「なぜそんな惨いことをするんだ? この女性が何をしたというんだ?」
私は必死になって縛られている女性を助けようとした。
そのとき、私は自分の目を疑った。その女性というのが、いまいちばん気になっている杉元亜香音だったのだ。頭の中の秩序が乱され、同時に思考回路も烈しい音と共にショートした。
ともかく彼女を助けようとしたとき、ふたたび回転音が聞こえはじめた。音のするほうに顔を向けると、シーマがこちらに近づいて来るのが見えた。私は身構える。しかし、ターゲットは私ではなかった。シーマは彼女の髪を掴んで顔を上に向けると、閉じた目蓋の上にチェーン・ソーを持って行った。
「やめろ! 頼むからやめてくれ」
私は彼女を救うために大きな声で叫ぼうとした。ところが、何度も声を張り上げようとしても咽喉から声が出てこない。
まどろっこしさに身悶えしたときに、はっと目が醒めた。
おかしな夢だった――。首の周りがじっとりと汗ばんでいた。
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