第10話
「わかりやすく言うと、誰もが知る死神というやつだな」
「その死神がなぜ俺のところに……?」
素朴な疑問を投げかける。
「先日、あんたは、ある男が自殺する場面に遭遇しただろ?」
「ああ、した。やはりあの男は自殺で死んだのか――」
私は呟くように言った。
「そうだ。でもあの男は、可哀想だが遅かれ早かれ死に至る運命にあった。わしはあの男と一年近く付き合ってきた。といっても、男のほうはわしの存在を知る由もなかったがな」
「それでは俺の質問の答えになってないだろ?」
私は目の前にあった煙草の函から一本抜き取ると、ライターを擦った。目の前のガラスの灰皿には、芋虫のようになった吸殻が犇きながら横たわっている。
「そうだ。まあそう焦らずにわしの話を聞け。あの日あの男が死んでしまうと、わしは次の死人予備者をさがさなければならなくなったが、かと言ってそうたやすく見つかるものでもない。そこに現れたのがおまえさんだったというわけだ」
シーマの話し方はどこまでも冷静沈着だった。
「……ということは、この俺が死人予備者と?」
煙草を揉み消してシーマの顔を覗き込んだ。近くで見てもやはり目は糸のようで、鼻や口はないに等しかった。何度見ても好きになれない顔だ。
「そうではないとは言えん。人間いつかは死に至るからな。でも心配をするな、おまえさんのところに来たのは、次を見つけるまでの腰掛けじゃ。しかしお望みであれば、いつでもあの世に連れてってやるさ」
シーマがこれまで何人の死に携わってきたのか知らないが、すこぶる健康な私には関係のないことだ。ただ、この全身を蝕む熱っぽさだけが気になる。
「とんでもない。俺にはまだやりたいことが山ほどある。そう簡単に死ぬわけにはいかないんだ。そんなことは別として、ひとつ訊きたいことがある」
「何じゃ」
シーマは恬淡とした口調で訊き返す。
「あの男は、なぜ自殺をしたんだ?」
「ふむ、訊きたいというのは、そんなことか。まあ話せば長くなるから、かい摘んで話すと、あの男は自動車の部品を拵える町工場を経営していた。知ってる通り、なかなか厳しい業界で、自動車メーカーというのはえげつないくらい安い単価で発注をし、蛇の生殺しのように下請けを利用するんだ。もし単価のことでひと言いおうものなら、次に出てくる台詞は、『この単価でできないのならば、手を引いてもらって結構です。仕事を欲しがってる会社は他にもありますから』と、言葉づかいは一見丁寧に聞こえるが、言っている内容は、態のいい恐喝だ。
これまで会社を続けてきた経営者は、社員のことを思うとそうは簡単に辞めるわけにはいかない。発注する側はそこを突いてくるんだな。だから、元請がそうだとしたら、その下請けはさらに厳しくなるのは当然だ。それでもあの男は歯を喰いしばって頑張ってきたのだが、一年ほど前からどうにもならなくなり、そこにきて金融危機の煽りを喰らい、とうとう自分の命で清算するという形になった、というわけだ」
「そうなんだ……」
私はそれを聞いて身につまされる思いがした。
サラリーマンの私には、経営難しさを考えたこともないし、しようと思ったこともない。しかし、これまで幾度も経営者の苦悩というものを耳にしたことがあるが、何かの縁で知った男がそうだと聞かされると、なぜか他人事のように思えなかった。それと、彼の死を面白半分に推理したのが、ぴたりと合致したこともその要因のひとつである。
「急に元気がなくなったじゃないか」
シーマは、無遠慮に悄然となった胸の中に入り込んで来る。
「きょうは躰の調子が思わしくないから、もう寝る。だから、いい加減に帰ってくれないか」
言い捨てて椅子から立ち上がり、玄関の鍵を確かめて戻ると、シーマは黙ったまま正面を向いて坐っていた。その様子を
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