第5話

 外廻りから戻り、受注伝票を整理する。受注伝票といっても、この時期二、三枚で終わった。しかしいまはそれだけでもいいほうである。他の営業マンを見ても、受注伝票を書いている姿は皆無だった。多くが自分の立場を擁護する内容の営業報告書にペンを走らせている。

 背後の席の佐々木が私に小さく声をかけてきた。

「おい、岩間、どうだこのあと一杯飲みに行かないか?」

「ああ、いいね」

 私は佐々木の朝のひと言を思い出し、口元を緩めながらまんざらでもない顔をした。

 一時間ほどして私たちは、会社から少し離れた安居酒屋の暖簾をくぐった。二十四ある席の八割がたがサラリーマンで埋まっている。世の中は本当に不景気風が吹いているのかと疑った。

「なあ、佐々木。けさの俺っておかしかったか?」

 私はビールグラスを手にしながら唐突に訊いた。

「ああ。確かにいつもとどっか違っていたなあ」

 佐々木は高野の顔も見ないで、焼き鳥の串を歯でしごく。

「そうか……」

「何だ、おまえらしくもない。話したいことがあるんだったら、さっさと言ったらどうだ」

 佐々木はぶっきらぼうに言う。しかしその中にも自分に対する思いやりがなくはなかった。

「じつはな」

 そこまで言って、おもむろに煙草に火を点ける。やはり煙草をやめることは無理だった。

「何だよ、もったいぶった言い方をしてえ……」

 店の中は、会社帰りのサラリーマンが犇いている。それぞれが、思い思いの愚痴や恨みを話すために、それらが合成音となって、隣り同士なのに掌を耳にあてないとよく話が聞き取れないくらいだ。

「……きのうこんなことがあったんだ。おまえも知ってるように、営業会議でけちょんけっちょんに言われたあと、課長に呼ばれてとどめを刺すように叱責を受けた。気分がくしゃくしゃしてた俺は、仕事をすませたあと、ひとりで飲みに行った。そこまではよかったんだが、その帰りに嫌な物を見てしまった。突然目の前に人が振ってきたんだ」

 私は顔を寄せて、多少誇張した話を佐々木に聞かせる。

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