第4話

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 次の日の朝、目が醒めたとき、躰に嫌な気怠さを感じた。

 二日酔いのせいかとも思ったが、どうやらそうではなさそうだ。頭痛があるわけでもないし気分が悪いわけでもない。しばらく蒲団の中で目を瞑って考えていたが、思いあたる節はない。

 ぐずぐずとしながら蒲団を出ると、真っ先に郵便入れに朝刊を求める。いちばん最初に見たかった記事は、もちろんきのうの投身事件のことだ。はやる気持を抑えて記事をさがす。ところが、三面のどこをさがしてもそれらしき記事が見あたらない。絶対に載っているはずだと思い、隅から隅までもう一度念入りに目を通したが、やはりどこにも載ってなかった。

 いつもより時間が少し遅い。駅の立ち食いソバを掻き込みむと、三十分ほど満員の地下鉄に詰め込まれ、釈然としないまま出勤する。十分違うと駅で見る顔ぶれがまったく異なる。今朝に限ってはすべてがよそよそしいものになっていた。

 私は、私立大学を卒業して四十三才になる。独身で、事務機販売の営業マンである。能力がないと言われれば返す言葉もないが、万年係長の椅子から脱け出すことができないままだ。

 在学時代の夢とはまったく違うものになってしまってはいるが、いまではそんなことすべて忘れ、時間の経緯がもたらした現在の自分の立場をまっとうしようと努力している。

 きのうも午後の会議で上司から散々厭味を聞かされた。内容は当然直近二週間の売上成績についてである。上司の立場もわからないことはないけれど、この金融危機というご時世に設備投資をしようという企業なんてあるわけがない。

 しかしそれを打破するのが自分の置かれている立場だと再認識したとき、きのうの投身男のことがふたたび蘇ってきた。あの男も自分に近い境遇にあったのではないか、という思いが脳裡を過ぎった。

 そのとき、同僚の佐々木史宏ささきふみひろが声をかけてきた。自分としてはいつもと同じ接し方をしているつもりだが、はたからはそうは見えなかったようだ。

「岩間、どうした、体調でもわるいのか?」

 その言葉に、私ははっとした。それまでまったく普段の自分でいると思っていた。

「えッ、そんなことないよ。俺はいつもと同じだ」

 私は狼狽しながら答えた。

「ならいいけど、何か悩みがあるんだったら、遠慮なく言ったらいい。力になれるかどうかはわからないけど、けしておまえの不利益になることはアドバイスしないつもりだ」

 佐々木は、まるで私の気持を見透かしているような助言だった。

 私は佐々木に会釈を送ったあと、車のキーを手にして外廻りに出かけた。そう言っても、目指す顧客があるわけではない。いまは空鉄砲でも撃たなければならないところまできている。そこで獲物を収獲できたものが生き残れるという図式になっている。

 ハンドルを握りながら、きのうの上司に浴びせられた小言を思い出した。

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