第47話 それはすべての始まりだったものⅢ
そして最後の日。
小さな私が到着した時には魔王さまはもう立ち上がっていた。今までは座り込んでうずくまるばかりだったのに。本当にあのケガから完治したのね。
「どうした。酷い顔だな」
「ううえ、わだ……ひっく」
「……別れが恋しい、というわけではなさそうだな。魔法の礼代わりに聞いてやらんこともない」
遠慮なしに泣きじゃくる小さな私を彼はためらいなく抱きかかえた。力加減をちゃんと覚えたみたい。そのまま魔王さまは抱っこして私の背中を優しく叩き始めたのだった。
なんだかよく見る光景ね。人混みでぐずった子供を優しく抱き上げて連れて行くお父さ……はっ! 違うわ、私たちは親子じゃないの!!
しばらくそうしている内に、小さな私は「ありがとう」と言って降ろすようにせがんだ。涙も収まったようで、真っ赤な目で魔王さまをしっかりと見つめている。何を思ったのか彼はそんな私の前髪をかき上げた。
「額が腫れている。折檻でもされたのか」
「違うわ……階段から転げ落ちたの」
「そうか、活発な姫もいたものだな」
「やっぱり姫だってことはバレていたのね」
不機嫌そうに小さな私が頬を膨らませると魔王さまは面白がって人差し指でその風船を押しつぶした。情けない顔と音が無情にも晒されてしまう。
「私はね、間違った育ち方をしたんだって皆が言うのよ」
「ほう?」
「姉さまたちみたいに上品でおしとやかになれない私はおかしいって、お父さまもじいやも姉さまたちも言うの」
小さな私の目線がだんだんと下がっていって、ついには表情も分からないほど深くうつむいてしまった。震える声で、それでもしっかりと言葉を口にする。
「お姫さまなのにお庭を駆け回ったり、階段から転げ落ちたり、お城を抜け出して遊びに行ったり……」
「想像以上の行動力だな」
「そんなお姫さまは他にはいませんって、姉さまみたいにお姫さまらしい振る舞いをしなさいって」
「他人を模倣する必要も無かろう。それがお前の個性ならば」
「このままでは皆に呆れられて誰にも好きになってもらえませんよって……そう言われたの」
「ずいぶんな物言いだな。人間というのは型にはまる生き方を好むらしい」
自分には関係の無いことなのに、魔王さまも真剣に聞いてくれているらしい。感心しているのか呆れているのかあごに手を当てながらため息をついている。小さな私は土埃の付いたドレスの裾をぎゅっと強く握りしめた。
「皆の言うことを聞かないと嫌われてしまうわ」
「それで良いのか。お前はそれを望むのか」
「本当は嫌よ……でも、王子様もおしとやかな方が良いって。お姫さまに生まれたからには、国のためになる結婚をしてくれなければ困るって毎日言われるの」
「その歳でそうまで責められるのか」
「もういや……でも、私が悪いの。私が……」
ああ、そうね。そうだったわ。
かつて私は悩んでいた。私がやりたいことと、周囲が求めていることが大きく違うのはいつものことだった。今まで他人事のように見てきたけれど、この小さな私は私自身なのだ。当たり前なんだけど。そのことを今の今まで忘れていたのは何より魔王さまがいたからだった。彼がすべてを肯定するから、私は私でいることをやめなかったのだから。
そんな魔王さまはなにやら上の空で「国のためになる結婚……か」とかなんとかぶつぶつ呟いている。まさか……
「お前、私と結婚してみるか」
「んんん!!!?」
案の定、すまし顔でとんでもない提案を出してきた魔王さまに小さな私は腰を抜かして奇声を上げた。それもそのはずだ。この見た目年齢の差ははいくら何でも無理がある。まあ、財産目的で歳を召した領主に呼ばれてしまう令嬢もいるのだから無い話ではないのだけど。
「私まだ七歳なのだけど……」
「まあ待て、今の私はすこぶる機嫌が良い。すべて話してやるから考えるが良いさ」
そう言って長話を始める魔王さまは本当に機嫌が良さそうだった。小さな子供相手に楽しそうに両腕を広げて邪悪な笑みをたたえている。この絵面はどう見ても童話の中の悪い魔王そのものだった。小さな私が頭から食われそうだ。
「私は一切お前を否定しない。好きなだけおてんばの限りを尽くせば良い」
「お、おてんばの限りって」
「それに、私と結婚すればこの国と言わず世界のためにもなるだろう。こんなに有意義な婚儀もないだろう」
「せ……世界?」
「好きこのんで妻の故郷を滅ぼそうとは思わんだろうが。それに人間の成長はめまぐるしいと聞く。十年もすればお前も立派な大人になるだろうさ」
「えっと……?」
「私は魔王だ」
「……!?」
「驚きすぎて声も出ないか」
突飛すぎる話が連続して、頭の処理が追いつかなかったのか小さな私は口を半開きにして目を見開いたまま動かない。呼吸も止まってる気がする。ぺちぺちと魔王さまが頬を叩くとやっと意識を取り戻したのかビクンと身体を大きくのけぞらせて我に返った。
「まあ、なんだ、その。先代が討ち取られた人間とやらの力を試しにまたひとつ戦争でも仕掛けて遊んでやろうと思っていたのだが」
「それは知りたくなかったかも……」
「お前のような面白い者を
「え、っと」
「この世界が嫌なら私がお前を持ち帰ってやろう。お前が悲しむのなら、この世界も手出しはしない」
まるで沼底に沈んだ探し物をすくい上げるかのように、魔王さまは小さな私の両脇に手を入れてゆっくりと持ち上げた。その眼差しは驚くほど穏やかなものだった。私も見入ってしまう。
「もう滅ぼさなくて良いの?」
「なんだ、滅ぼすほど世界が憎いか」
「ち違います嫌です! ……でも周りの人とか、もうすでに決まっていることとか、そんな簡単に変えて良いの?」
「良いに決まっている。私は魔王で、私は周りに縛られはしない」
「自分の生きたいよう生きるべきだ。そうは思わないか?」
――どくん。心臓が痛いほど鼓動を打って主張しくる。
この台詞、あのときも。いいえ、何度も聞いたことがある。私が私を見失わなかった、ずっと私の中にあった言葉。
貴方の言葉だったのね。
「なんだか……現実的ではないわ」
「お前は
「……私、このままでも良いの? 皆に合わせなくても良いの?」
「ああ、責任は私が取ってやろう。お前が好きなように生きれば良い」
魔王さまは小さな私をそっと地面に降ろした。手が離れる間際に私はその腕を捕まえる。互いの額がくっつくほどの距離で、私たちは見つめ合った。
「……十年だ。十年で魔界を平和な世界に作り替えてやろう。今は少し血なまぐさいからな」
「信じてもいい?」
「信じろ。私は嘘は言わない」
「……あのね。私ね、初めてだったのよ。このままで良いって、私のままで良いって言ってくれた人」
そこまで一息で言って、数秒沈黙する。一つだけ深呼吸をして微笑む。これは私の覚悟で、私の選択だったのだ。
「だから、貴方と結婚してもいいよ」
魔王さまは当然だとでも言うような不敵な笑みを浮かべたかと思えば、すぐに腕を離して背中を向けてしまった。いつの間にか地面に浮かび上がる魔法陣に手を突っ込んで、無理矢理ゲートを開いている。
「そうと決まればやることは山積みだ。早速戻って取りかからねば」
「行ってしまうのね……ねえ、本当に、また会える?」
「“約束”しよう、小さな姫よ。また必ず迎えに来ると」
パアン!
そう言って振り返りもせずに魔王さまは目がくらむほどの光と共に去ってしまった。もうこの場には魔王さまも、地面に流れた血の跡も、魔法陣も何もない。
魔王さまがいたという証は何もなかった。けれど、
「約束よ。私、約束は守る人間だもの」
けれど小さな私は確かな思い出を胸に、魔王さまが消えた先をいつまでも見つめていたのだった。
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