第45話 それはすべての始まりだったものⅠ
私は暗闇の中でただ立っていた。もしかして夢を見ているのかしら。ずいぶん寝付きが早かったわね。自分でも分からなかった。ちゃんとベッドで寝ていると良いのだけど……
右手には先ほど堕天使から貰った銀色の鍵があった。こんな何もない無の世界の暗闇でそれだけが光り輝いている。
「しまった。使い方を聞いておくんだったわ」
見渡してみても扉なんてどこにもない。扉がないから鍵穴もない。私は早速頭を抱えて唸った。けれどこうしていても何も始まらない。私はやけになって叫んだ。
「扉があるなら開きなさい! 目の前に出てきてよ!」
パアン!
あろうことか叫んだ瞬間鍵が音を立てて弾けてしまった。欠片を拾おうともがいても銀の粉は霧散していく。あとには何も残らなかった。
「あ、あああどうしよう……あら?」
気がつくと目の前に真っ白な扉が現れた。これ、かつての私の寝室ね。懐かしいわ。
けれど今はその扉は厳重な鎖で覆われていてとても開きそうになかった。鎖から微かに感じるのは私以外の魔力。
「これが封印の魔法……?」
きっとこの目の前にある重く冷たそうな鎖が、先ほど堕天使が言っていた記憶操作の魔法なのだろう。私一人の力だけではとても開きそうにない。けれど、
「お願い。私にすべてを見せて。このまま終わりにしたくないの」
おそるおそる鎖に手を伸ばした。そっと触れるとあの銀の鍵みたいに弾けるような音を立てて霧散していった。成功してほっと胸をなで下ろす。
「さて、と」
ゆっくりと私は扉に手を置いてぐっと力を込めた。本物の扉のように重い。私が入れそうなほどまで開けて、あとはそのまま中に滑り込むようにして入った。
光溢れる世界の中、私は自分の記憶探しの旅を始める。
「姫様。嘘はいけませんよ」
「そうですわ。貴女は一国の姫ですのよ」
――嘘じゃないわ。本当よ!
「困った方だ……お転婆に虚言が加わるとは」
「王族の方がこんなことを言いふらしていると知ったら世界が混乱しますわ。どうか」
「そうだな」
――なによ! やめてお願い!
「姫様ご安心を。いろいろお勉強して世界に触れれば、そんなおとぎ話も忘れてしまいますわ」
――おとぎ話じゃないのに! ねえ、私ほんとうに……!
頭が痛い。今度は光が眩しすぎて何も見えない。けれど頭の中を何人かの声が駆け巡っているのを感じた。
ああ、どこかで聞いたことがある気がする。どこだろう。誰だろう。私、きっと思い出してみせるわ……
そう心に強く誓ってぎゅっと目を瞑る。そのうち地に足が付く感触がして、私はおそるおそる目を開けた。
***
目の前に広がっていたのは王宮と裏山の間、森の守人がごくたまにしか見回りに来ないような王宮の死角ともいえる荒れた庭だった。山は木々が鬱蒼と生い茂り、野生動物の気配もする。
ここって、たぶん魔界とつながるゲートのある場所のはずよね……
私が昨日来たときより荒れ果てていた。ゲートとなる魔法陣もない。これ、何年前の記憶なのかしら。
けれど、なんだか不思議ね。私は以前もこんな夢を見た気がする。辺りを見回してみた。自由に周りを見ることができたけれどこの場から一歩も動くことはできなかった。心なしか身体も透けている気がする。私はこの記憶の住人ではないから自由に動けないのだわ。これはいわゆる神の視点といったところだ。
ブオン!
急に目の前が光り輝いたので驚いた。あら、声が出ない。私はただ見ているだけの存在なのね。
「おい行くな! まだ完全につながったワケじゃねえんだぞ!」
「先代が滅ぼされた人間とやらの世界だぞ。一秒でも早く見に行くべきだ」
「好奇心も大概にしろよお! どうなっても知らねえからな!」
光の先でとても聞き覚えのある声が二人分響いている。ああ、その頃も仲良しなのね。
「まだ軍の準備もできてねえから、はしゃいで一人で暴れんなよ!」
「分かっている……ぐうっ」
これはとてもはしゃいでいる魔王さまだ。しかし、光の中から現れた魔王さまは先ほどのはしゃぎぶりからは想像できないほどボロボロの血まみれになって出てきた。
どうしてそうなったの?
「ククク……百年ぶりにこじ開けたのは良いが想像以上のダメージだな……身体がねじ切れかけた」
……あっ、そういう。
もう私は我慢の限界だった。過去の記憶の中の魔王さまなのにツッコミたくて仕方ない。どうしてそんなに後先考えないのですか? 堕天使もやめとけって言っていたのに、そんなに人間界に来るの待ちきれなかったのですか? しかも瀕死のように見えますけれど楽しんでますね。
言葉にできないってこんなに苦しいなんて。過去の話ということを忘れるくらい、魔王さまの見た目も中身も私の知るそのままの魔王さまなので親近感が湧いてしまうけれど……
「ふむ、これでは容易に動けんな。都合良く目の前に城があるのに落とせんとは」
やっぱり先ほどの堕天使の言葉は聞き間違いではなかった。魔王さまは、初めて人間界に来たときはここを侵略しようとしていたらしい。
恐ろしい。もし魔王さまがこんな向こう見ずではなく、万全に準備をした状態で乗り込んでいたらこの王宮なんて数秒で落とされてしまう。あ、それは経験済みだったわね。私を連れ去るときも数秒で侵略していたわ。
魔王さまはつまらなそうに王宮の城壁を見つめてため息をついていた。
不思議で仕方ない。過去に魔王はおろか魔物一匹たりともお城に侵入してきた記憶も記述も無いのに。もしかしてこのままあきらめて帰ってしまったのかしら。
「きゃあ! だいじょうぶなの!?」
遠くで女の子の短い悲鳴が聞こえた。見回して確認すると、建物の隙間から幼い私が飛び出してきたところだった。七、八歳くらいだろうか、幼い私は何のためらいもなくこちらに向かって全力疾走してくるところだった。
……こんないかにも怪しい血まみれの大男に。
ちょっと!? 我ながら意味不明な行動に驚きを隠せない。危ないわよ!
「チッ、口封じする魔力も惜しいな」
いかにも不機嫌そうな顔で魔王さまはだるそうに右腕を挙げた。まずいわ、ああいえ、今私がこうして生きているのだからこの殺気がダダ漏れの狂犬魔王さまにこの場で殺されなかったのだけど! ハラハラして見ていられない。これは過去の話だから、結果が分かっているということだけが救いね。でなければ心臓が持ちそうにない。
「まってて! 私、回復魔法を習ってきたのよ!」
「は?」
「これは大仕事ね!」
「いや、数日も放ればこの程度……」
「だめよ! こんなに血がいっぱいは“ちめいしょう”って言うのよ!」
今、私が動けるならため息をついてこの場に崩れ落ちているところだった。
魔王さまが魔王さまなら、私も私だった。一瞬で顔の緊張が緩みたじろぐ魔王さまに幼い私は迷いなく駆け寄る。そうして今しがた憶えてきたのだろう弱々しい光の回復魔法をドヤ顔で連発する私を見て、戸惑いつつ魔王さまの右腕は元の位置に戻っていった。
もう、これはいつもの私たちの空気だわ。なぜだかとてもおかしくなって、私は二人の姿をみてにやつくのだった。
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