第44話 鍵を開けるのは自らの意志で


 コンコン、コンコン……


 規則的に繰り返されている音で意識が戻ってきた。どのくらい眠ってしまっていたのだろう。時計を見るのも億劫だった。

 なんだろう、なぜかノックの音が聞こえる。この部屋は扉も窓もないので外から干渉できないはずなのに。


「ん……」


 鳴り止まないノック音が気になって私はもぞもぞと起き上がった。あのまま寝てしまったからきっとすごい寝癖だわ。もうどうだって良いけれど。

 辺りを見回す。誰も居なかった。耳を澄ます。どうやら転移魔法陣から音が聞こえるようだった。

 一体誰がノックをしているのだろう。この魔法陣が反応をするのは私と魔王さまだけなので、犯人は必然とこの部屋に入れない魔王さま以外の誰かということになる。そもそも転移先は魔王の玉座の間なのでそんなところに気軽に入れて、なおかつノックができる手が生えている魔物なんて一人しか居ない。


 ――でも、もし違ったら?

 先日のダークエルフでの一件を思い出す。もし予想と違うモノがいたらどうしよう。そうやって悩んでいる内にもノックの音は規則的に鳴り続けている。

 けれど、この音は私が反応するまで永遠に鳴り続けている気がする。そう思えるほどあまりにも長い時間、決まったリズムで鳴り続ける音に私の覚悟も決まった。息を呑んで転移魔法陣の中に足を踏み入れる。発動の際の視界のちらつきも最早慣れたものだ。


「ふう、一生出てこないかと思ったぜ」

「……また敵が騙してきてるとしたら、と迷ってしまって」

「そっか。そういやあの見た目詐欺ジジイと手口が一緒だったな」


 良かった。予想したとおり堕天使が魔法陣にしゃがみ込んでノックをしていたみたい。私と目が合うとやれやれといった顔でゆっくり立ち上がった。

 なんだか煙たいわ。少しむせ込んだ。ふと彼の背中を見ると美しかったはずの六枚羽根が埃まみれになっていた。


「埃だらけだけど、どうしたの?」

「あのあと思い出したことがあってなあ。久しく使ってなかったから俺の部屋まるごとひっくり返して探してきたんだ」

「へえ」

「なあ、ちょっと長話しても良いか」

「もちろん良いけれど……」


 魔王さまは行方知れずだし、私も何をしたら良いのか途方に暮れていたところなので時間は有り余っている。私が即答すると堕天使は少し意外そうな顔をして頭を掻いた。失礼ね、私は貴方にそこまで意地悪してないじゃない。


「俺さ、姫サマがそうやって色々思い出して怖がったり、俺たちの守備をこれ以上疑われないようにさ、ダークエルフの件が片付いたあと魔王サマに隠れてあんたの記憶をちっとばかしいじって忘れてもらおうと思ってたんだよ」

「お、お気遣いどうも……未遂で良かったわ」

「未遂っつうか不発だったんだよなあ。俺の腕が鈍ってたんかとショックだったんだが」

「ええ! やっちゃってたの?」


 余りの酷さに思わず嘆きの叫びが口から飛び出してしまった。ちょっと、笑って良い場面ではないのだけど。堕天使のクスクス笑いは止まらない。

 人の身体は勝手に作り替えて、人の記憶を勝手に消そうとして。当人に事前説明して承諾を得るということをここの住民は知らないらしい。思わず眉間にしわが寄る。

 そんな人権無視のご本人は特に悪びれもせずにニコニコしながら話を続ける。


「もしかしたら、あんたはもう既に記憶操作の魔法をかけられてんじゃねえかと夕べ思ったんだよ。人間の脳みそは繊細だからそう何度も記憶操作や忘却の魔法を受け付けねえんだよな。しばらく人間をたぶらかしてねえから忘れてた」

「酷い近況報告は要らないわ」

「まあまあ、もしも姫サマが誰かに記憶を弄られてたとしても、だ。人間の根本的な記憶は完全に無くなるわけじゃない。何かの拍子で断片的に思い出したり、俺みたいな奴が解除してやる事もできるからな」


 誰にいつ魔法をかけられたか心当たりは? とさらに聞かれて私は首を傾げた。そもそも記憶操作なんて高度な魔法を扱える魔法使い自体がものすごく貴重なので思い当たらない。強いて言えば王宮仕えの魔法術士の最高指導者くらいかしら。そんな人に私は数度もあったことないし。

 とあれこれ思い出していると堕天使に手を出すように言われた。右手を差し出すと何か小さくて硬いモノが手のひらに転がる。よく見ると銀色に光る小さくて脆そうな鍵だった。どこの部屋のものか見当も付かない。


「なにこれ」

「記憶操作の魔法を解く鍵。俺の予想が正しければ、きっと効果があるはずだ」


 もしかしてこれを探すために部屋を大捜索していたのかしら。目線を堕天使に戻すとなんとも得意げな顔と目が合った。


「とはいえ封印してるほどの記憶だ。あんたにとっちゃ思い出したくもないトラウマモノなのかもしれねえ。だから、」


 そっと、私の手に堕天使の手が乗る。そのまま鍵を強く握らされた。失くすなってことね。私は大きく頷いた。


「本当に知りたかったら、記憶の鍵は自分で開けな。それを胸に抱いて寝るとイイ夢が見られるぜ」

「ありがとう。じゃあ、また部屋に戻るわね」

「ああ」


 私に封じられた記憶があるのなら必ず探し出さなくちゃ。多分、それはきっと魔王さまに関係のあることだ。そう信じて私は踵を返して魔法陣を踏み直した。魔王さまに吸われた体力がまだ戻っていなくて身体は少しだるい。今なら疲労でもう一度寝直す事が出来そうだった。


「願わくば、――」


 転移する瞬間に堕天使が何かを口にした。それが何なのか最後まで聞くことができずに私は寝室へと運ばれてしまうのだった。


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