第42話 知らぬ間に変化するもの
「どう、か……王の……
「どうして!」
血の気が引きすぎて土気色になりながら、それでも騎士は自分の使命を果たすべく声を絞り出していた。私は迷わず駆け寄ろうと身を翻したけれど左腕を強く後ろに引かれてそれは叶わなかった。
「いたっ」
「どこへ行く」
振り返ると不機嫌な顔の魔王さまと目が合う。こうなることは予想していたけれどそれどころじゃないわ。何も言わずに睨み返すと心底つまらなそうな目で手を放した。私は弾かれたように騎士に駆け寄る。彼は人間界をつなぐゲートの前で一歩も動けず地に伏していた。前に誰かが人間はこのゲートに干渉できないと言っていた気がする。現にこの扉は今閉じている。なのに、どうして。
「どうして、どうやって来たの!? しっかりして!」
「こじ開けて来たか。そんなことができるのは……」
「一旦帰しましょう。お願い、本当に死んでしまうわ!」
顔を見ただけで分かる。ものすごく怒っている。けれど私が絶対に譲らないことは分かったようで、魔王さまは無言のまま人間界へのゲートを開いた。少しの浮遊感と揺れの後、周囲の景色が王宮の裏山に変わった。
「やはり行かせるべきではなかったな。失敗した」
頭上から流れてくる不満たらたらな声を無視して私は目の前の騎士に回復魔法を施す。久しぶりに使ったから、ではなくもともと才の無い弱い光が幾度も彼を包む。けれどそれなりに効いたようで彼の呼吸はだんだんと整っていった。それとは反対に何度も魔法を使った疲労で私の息が上がってしまう。才能が無いって嫌ね。一息ついて顔を上げると、真っ白な城壁にツタが登っているのが見えた。
「お前は誰にでも気軽にそうやって力尽きるまで魔法を使うのか」
「見殺しにするわけにはいきませんから」
心配してるのか嫌味なのか、ため息交じりのぼやきまで降ってくる。助けられそうなら助けるのって普通だと思うのだけど。頬を膨らますと両手で頬を押されてしまい中の空気が間抜けな音を出して抜けていった。真剣なんだから遊ばないで欲しい。地面に膝をついた私に覆い被さるように魔王さまもかがみ込んで騎士の顔を覗き込んだ。
「しかしこのしぶとさにゲートをこじ開ける器量……勇者の家系か」
「しぶとさって」
「……直系ではなく遠い親戚です。
「あっ意識が戻ったのね!」
「チッ」
土気色だった顔も今は血色が戻っていた。騎士は目を覚まして半身を起こしながら私たちにそう応えたのだった。
「魔界の空気については失念しておりました。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」
「もう過ぎたことは良いのよ。それより何か言いかけていたでしょう」
「そうでした! あの、」
「もう済んだのだろう。戻るぞ」
「嫌ですここで戻ったら気になって夜も眠れません!」
魔王さまに話を中断されてしまったけれど私も負けじと声を出す。こんな話の途中で終わらせられてしまったらずっと気になって何も手に付かなくなってしまう。魔王さまの眉間にしわが寄ることと引き換えに、騎士の話を聞く権利を獲得したのだった。
「姫様にどうしても謝罪したくて、俺の独断で乗り込みました。これには王家は一切関わっておりませんので」
「あら、でもさっき言伝って」
「はい。俺は我らが王を誤解していたのです。なので先日はあのようなことを」
「手短に話せ早くしろ」
うう、確かにこれ以上はまずい気がするわ。魔王さまがこれまでに無いほど顔の中心にしわを寄せながら低い声で唸るように言った。私は彼が騎士に手を出さないようにしっかりとその両手を私の身体に抱き込んで制止する。あまり制止の役目は果たしていないとは思うけれど、幸い魔王さまはされるがままになってくれている。
「先日のことを王に報告しました。そうしたらあのお方は姫様が生きておられたことに大層喜んでおられました」
「絶対生け贄にされたと思ってたわね」
「そしてすまなかったと。あの時はできるだけ国の、国民への被害が出ないことを優先してしまったのだと」
「まあそれが国の頂点に立つ立場としては正解よね。いい笑顔だったけれど」
「いい笑顔だったな」
今でも鮮明に思い出せる。絶望して助けを求める私を爽やかな笑顔で「たまには戻ってくるんじゃぞ~」と突き放したことは忘れられない。忘れられなくて、絶対に抜け出して驚かせてやると思ったほどに憎らしかったわ。
けれどそれが魔王城に来たばかりの頃の不穏で不安だった日々を生き抜く原動力になったことだけは確かだった。感謝しているかと問われれば、まあそうでもないのだけど。
この空気にいたたまれなくなったのか騎士は何度か咳払いをしてごまかした。
「……こほん。ぜひもう一度王に会ってはいただけないでしょうか。表面では取り繕って明るくしておられるお方ですが、本当は貴方のことをほんの少し口に出しただけで崩れ落ちてしまうほど気に病んでおられたのです」
だからって
「即答はできないわね。でも考えてみるわ」
「それは良かったです」
「良いはずがない。許可することはできない」
「こう言う人もいるから難しいわね。まあ気長に待っていてちょうだい」
「は、はあ……」
騎士は気圧されして上手く言葉が出ないようだった。それもそうよね、私の真後ろで牙を剥きながら殺気を飛ばしている魔王さまを見たら誰だって縮こまる。そういう私も以前この殺気を向けられて傷ついたもの。
これで本当に用は済んでしまった。これ以上ここにとどまる理由はない。無言で急かす魔王さまに応えて私も立ち上がった。騎士はまだ立ち上がる力は戻っていないようでそのまま声を上げた。
「姫様!」
「またね。いつになるかは分からないけれど、お父さまの顔は見に来るわ」
魔界につながるゲートが再び開いて、魔王さまが私の手を引いて迷い無く歩き出した。私にそれを断る理由はない。そのままついて歩く。
……はずだったのに。
「姫様はどうしてあの空気を吸っても大丈夫なのですか! 姫様は一体どうなってしまわれたのですか!」
思わず足が止まった。どうしてそんなこと言うのかしら。私は一体どうなってしまったのか、それは私もずっと前から考えていた。どうして魔界の空気を吸っても平気なのか、致命傷からの傷が簡単に癒えるのか、思考回路が魔王さまみたいになってしまっているのか。考えていて、けれどもう答えなんて一つしかないものだった。
「私はきっともう、人間ではないのよ」
だからさようならなの。
私は振り返って優しく彼に微笑んでから、人間界を後にした。
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