第四章 姫、覚悟を決める

第40話 それは百年前のこと


 それは今から百年前、俺が魔界に堕ちてきてすぐのことだった。その頃は人間の勇者とやらが魔王を討ち滅ぼしたばかりで魔界は混沌に満ちていた。その流れで俺はどさくさに紛れて天界から堕ちてきたのだ。

 これで晴れて堕天使だ。俺を縛る物は何もない。そう思ってはいたんだが、ここでもやはり俺は異端の存在で。魔界の瘴気を吸っても背中の六枚羽根は依然純白のままで、そのせいでこの薄暗い世界で酷く目立った。


 ――めんどくせえなあ。

 俺は特にすることもなかったので突っかかってくる魔物すべての喧嘩を買って散らしていた。堕ちたとはいえ元は位の高い天使だったワケでその浄化の力は並の天使を凌ぐものだ。俺が手をかざすとどいつも一瞬で溶けて無くなった。


 いつまでそうしていただろう、初めての暴虐に浮かれていたのがだんだんと飽きてきてついには嫌気が差してきたときだった。俺の足下からが湧き上がってきた。

 それは例えるなら闇そのもの。闇を凝縮したかのようなドロドロとした沼水が湧き上がり、ついには人の形を成して色付いていった。死人のように青白い肌に真っ黒な髪。その間から鮮血の様に赫い瞳が燃えていた。


「へえ、まさか魔王誕生の瞬間に立ち会えるなんて光栄だな」

「貴様は何だ」

「今しがた堕ちてきたんだ。よろしく頼むぜ」


 やべえな、魔王の居ぬ間に暴れ回っちまった。縄張りを荒らされて怒りかねない。だがその心配をよそに魔王は俺をつまらなそうな目で見て、すぐに辺りの景色を見回した。まだ生まれたてでぼーっとしてんのか?

 逃げようかどうか迷ったが好奇心に負けた。話が通じるか試してみる。


「まあでも稀代きたいな種族だよな、魔王族ってのはさ。身体が滅びたらまた次の身体が地底から生えてくんだっけ?」

「正確には身体も魂も先代とは別物だ。私は身体を持たぬ邪神の偶像化であり、邪神そのものの意志を反映する。しかし邪神にとって私は人形でしかない」

「そっかよ。で、そのお人形さんはどうすんだ? こんな滅びかけの混沌の世界で」

「貴様は私の領地で何をしている」

「こいつらさ、いちゃもんつけてきたからいじめてたの。問題ある?」

「ないな。弱い方に問題がある」


 話しかけてみたのは正解だった。案外話の分かる奴だったので安心する。さっきは逃げるかどうか悩んでいたが、正直こいつからは逃げられないだろう。俺を敵視していたのなら木っ端微塵にされそうなほどの魔力を感じる。こうして対面しているだけでもピリピリと肌が焦げ付くように痛い。実際に俺の後方に隠れていた雑魚が視線だけで絶命していた。


「そやつらは邪神を信じず新興宗教とやらを布教している不届き者たちだ。私も今から本拠地を制圧するところだ」

「生まれたばっかでもう分かるのか?」

「私は魔界のすべてを見通せる」

「へえ、おもしれえ」

「共に来るか? もっと面白い物を見せてやろう」


 そう言ってこいつは遠くの山を指さしたかと思うと、「あの山の頂上まで付いてこい」とだけ言って転移魔法で消えてしまった。仕方が無いので俺も羽根の力で瞬時に空間を裂いて移動する。行ったことのない場所をこれで移動すんの大変なんだがなあ。たまに着地点がずれて迷子になるんだが、今回は上手くいったので良しとする。到着したら目の前で魔王が仁王立ちして俺を待ち構えていた。


「ほう、転移ができるとは思わなかった。魔法ではないな」

「慣れ親しんだ場所じゃなきゃ不安定だけどな。一応空間飛びは可能だ」

「そうか」


 この魔王、力はとてつもなく邪悪なんだがなんか親しみやすいな。錯覚しそうになるが警戒を忘れてはいけない。

 魔王はそのあとは何も言わずに近くの洞穴へ入っていった。ここがそうなのだろう。俺もついて行く。

 正直な話、わくわくしていた。これからどんな凄惨な出来事が起こるのだろう、これぞ魔界! といえるほど無慈悲な場面に直面するのだろうと期待しながら薄暗くて汚い洞穴を進んでいく。どうやら奴らは揃って奥に逃げ込んでいるらしくとても静かだった。だがもうすぐ奥にたどり着く。ゆっくりと、けれど確かに近づいていく。


 ――そこで見たものは、俺の予想とはまるで違っていた。

 どんな残酷な場面も、凄惨さも何もなかった。そこにあったのは静寂だった。


 魔王は奥の部屋に足を踏み入れた。一歩、その一歩でその部屋にいたすべての生き物が息絶えたのだ。魔界の王の純然たる殺気はすべての生物の魂を焦がしたのだ。俺はその後ろで、自分まで焦げてしまいそうになりながら感動していた。


「ふむ、こんなものか」

「……なあ」

「む、まだ生きているのか」


 振り返った魔王は拍子抜けするほど間抜けな顔をしていた。なんだよ、俺もこいつらと一緒に死ぬと思ったのかよ。つれねえなあ。

 なあおい、数秒前までどんな顔してたんだ? どんな顔であの殺気を放ったんだ?


「これからさ、お前の城を造るんだろ」

「……まあ、一からではないが。そうだな」

「じゃあさ。それに俺も混ぜてくれよ」


 自分でも何を言っているのか分からなかった。何を言おうとしているのか。多分、俺は当てられてしまった。魅せられてしまった。


「いいだろ? 魔王サマ」




 ***




「堕天使さん! 堕天使さんってば!」

「……んだようるせえなあ」


 人がせっかく気持ちよくうたた寝してたってのにスライムの奴がキャンキャン騒ぎ立てるもんだから目が覚めちまった。不機嫌を露わに睨みつけると、スライムの後ろで姫サマが肩をすくめていた。


「ごめんなさい。起こさないようにしようと言ったのだけど」

「いいよ、どうせこのダメっ子は言うこと聞きやしねえから」

「姫さまがね! お菓子作ってくださったんですよお!」


 なるほど。こいつの体内が濁ってんのはそのせいね。どんだけ食わしたんだ。視線を落とすと俺の横にも焼き菓子の詰まったカゴが置かれていた。


「この間城下町に降りたときに流行りを教えてもらったの。口に合うか分からないけれど」

「合わなかったら魔王サマに殺される流れだろ」

「ふふふ」

「で、肝心の本命には渡したのか?」

「最初に渡したわ。多分喜んでいたのだけど……」

「けど?」


 姫サマがあごに手を当てて何かを考えながら言葉を濁したので思わず聞き返した。そこまで言われたら気になる。すると姫サマは想像の遥か上を越えたことを打ち明けたのだった。


「邪神さまの供物って、私なんかの焼き菓子でいいのかしら……?」

「ハア!? ……いや、まああり得る。多分大丈夫だ」


 あの時の「魔王は邪神の意志そのもの」という発言が偽りでないなら多分邪神サマもそういう思考回路なのだろう。まったくもって世も末だ。

 だが悪い気はしなかった。それは別に魔王サマの本質そのものが変わっていないからなのだろう。思えばあいつは最初から我が道を行くおとぼけ魔王だった。平和ボケしてそうに見えて案外あの殺気も健在だし。


「バチが当たらないと良いけど」


 そう真剣に呟く姫サマも最近は魔王サマそっくりの自由奔放さを身につけている。まあ以前からお転婆だったのだが、この頃はさらに堂々としてきたというか何というか。

 こういう日々も、まあこれはこれでいいかもしれない。俺はあくびをしながら焼き菓子をひとつかじった。







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