第37話 話を聞いて


 私たちが魔界へ帰還したのは日が落ちる寸前だった。危ないわ、もう少しで門限を過ぎるところだった。


「ありがとうございます姫。目的達成できたのは奇跡だよ」

「それは良かった……なんだか貴女、スライムに似てるわね」

「ど、どこが!? あんな食い意地ドジっ子と私が!?」

「なんだかその、懐き具合が」


 食い意地ドジっ子……言い得て妙ね。確かにその通りだわ。ゲートを通るのも三回目となると慣れたもので、体の不調もなくラミアと談笑できるほどだった。またこうして彼女とお出かけできるかしら。姉妹のようで友達のような距離感がとても楽しかった。

 さて、とゲートを抜けて魔王城の中庭に足を踏み入れた。あっちの草木とは清涼感が違う。黒々とした芝生を踏みしめると乾いた音がした。まあここのも嫌いじゃない。


「じゃあ魔王さまの間に戻りましょうか、ってきゃあああ!」

「いやあああ私もなのおお!」


 一息ついた瞬間にどこからともなく強い力で腕を引かれた。突如現れた空間の穴に吸い込まれる。あまりの強さに体が浮き、とっさにラミアを掴んでしまい道連れにしてしまった。この空間の穴はもしかしなくても絶対そうだ。


「遅すぎる」

「ひ、ひええ……」


 気がつけば魔王さまの玉座で、膝の上でしっかりと抱きかかえられていた。ラミアは雑に解放されたのかすぐそこの床に情けない格好で放り出されている。

 いつになく不機嫌な眼差しに体の芯から震え上がった。とてつもなく怒っている。


「門限は守りました……」

「時間を守れば何をしてもいいのか?」


 魔王さまの眼がだんだんと鋭くなっていく。おっとこれは。思わず目を反らすとあごを掴まれて無理矢理向き合わせられてしまった。


「私に何か言うことは?」

「な、何をそんなに怒っているのですか」

「……そうか、分かった」


 分かってない。絶対これは分かっていない。瞳孔が極限まで小さくなって見開いた目が血走っている。どうやら逆鱗に触れてしまったようだ。なにか、なにか解決策は……


「お前の体中から人間の男の気配がする。感動の再会の喜びでも分かち合ったようだな。王家の者か? それとも恋仲か?」

「ええっ!」

「姫とはいえ私を裏切るのは承知しない」

「待って待って、少し待ってください!」


 詳細は違うけれど私が青年に抱きかかえられたのは本当だ。そんな気配まで感知できるのかと恐ろしくなった。どうやら人間界は見えてはいないけど、帰ってきた私の体から色々なことを察することができるらしい。恐ろしい、恐ろしすぎる。

 この絶体絶命から切り抜ける方法は一つしか無い。とりあえず早口でまくし立てられているに入りたい。しゃべらせて欲しい。私は震える体を奮い立たせて魔王さまの膝の上で力一杯暴れた。けれど思い切り手足をばたつかせて抵抗するも難なく押さえつけられてしまった。


「非力だな、暴れても無意味だ」

「誠意を持って一から説明します! 今日あったことをすべてそのまま話します!」

「まだ暴れるか」

「なので、きゃうっ」


 私の両手首が魔王さまの右手に捕まってしまった。力の差はもちろん知っているけれど、片手でこんなに簡単に押さえ付けられてしまうなんて。ぐい、と私の胸元に固定されて体が縮こまる。その間も魔王さまは血走った目で睨みつけてくる。逆効果だったみたい。

 あまりに強い力で押さえ付けられているせいで手首の先がうっ血して色が変わってしまっている。痛い、痛いわ。


「お前は男と会って抱き合った、それが真実だろう? それ以上何がある。あまり逆なでするな」


 より一層低い声で私を罵る姿が信じられない。今までも少し危うい場面はあったけれど私の話はちゃんと聞いてくれていたのに。

 何よ、なんで最初からそんなに怒っているの。よく話も聞かないで何も知らないまま怒るのよ。私自身も怒りがこみ上げてきた。涙腺も崩壊してぼろぼろと涙が溢れてくる。怒りすぎて感情が高まっているのか、魔王さまが怖いからか、嫌われて悲しいからか、涙の理由は分からない。何かを言おうとしてもしゃくりあげてしまって言葉にならない。


「なんっ……で、聞いてっ、くれないのおっ……ひっく」

「……」

「違うって……言いたいの、にっ……言わせてくれなっ、い」

「違うのか」

「違うっ!」


 涙で顔がぐしゃぐしゃになっているのに両手を塞がれているので顔を隠すこともできない。感情が高ぶりすぎて自分がどうにかなってしまいそうだった。


「……そうか」


 それに反して魔王さまはいくらか自分を取り戻したようで、いつもの声色に戻っていた。涙で視界が歪んでよく見えないけれど、もう眼も見開かれてはいない気がする。

 私は全然心の整理が付かないのだけど。どうしてくれるのよ。


「離して、ひっく……痛い、ですっ」

「すまない」


 押さえ付けていた力が弱まるとすぐに私は振りほどいて、その両手で私の顔を隠して泣いた。急に血流が戻ったせいで両手がじんじんする。掴まれた手首もまだ痛い。

 泣きすぎて目頭も鼻の奥も痛い。しゃくりあげ続けて喉も痛い。心臓が締め付けられているかのように痛い。全部が痛すぎて、もう何も考えることができなかった。


「すまなかった。話を聞こう。なあ」


 背中をさすられて抱きしめられても、私はしゃくりあげながらうずくまることしかできなかった。




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