第36話 お労しや


「手荒な真似をして申し訳ありませんでした」


 そう言って降ろされたのは王宮の門の近くだった。城下町から結構距離があったはずだけど、すごいスタミナね。ちょっと息が切れてしまっているけど。

 それから青年は私に小さな石を手渡してきた。綺麗な碧い石に魔力を感じる。


「これって」

「護石です。これを所持していると大抵の魔物には気づかれなくなります。あの手下の目くらましになるでしょう」

「でも、そんな悪い人たちじゃないわ。今もきっと心配してるかも」

「………そんな姿に、されてもですか」


 青年は今にも泣きそうな顔をしていた。そうか、今の私は魔王さまそっくりの髪と瞳の色に変わってしまっているのだった。


「これは一時的なものというか、変装だから大丈夫よ!」

「俺は、いや俺たちは王宮騎士失格です。騎士長が戦意喪失したと聞いて怒りより先にあきれ果ててしまいました」

「……あっ」


 思い出した。この人は王宮の近衛騎士だわ。休日だったのか私服姿だったので全然分からなかった。そういえば魔王さまに連れて行かれた日にも中庭で会っていた。


「今の王宮では貴女の話題をすることを固く禁じています。まるで姫様が最初からいなかったかのように皆が振る舞っているのです。それが、俺には耐えられない……」

「そう……」

「今の平穏は偽りです。貴女を犠牲にして成り立っているだけの」

「大丈夫よ」


 興奮して震えている青年の両肩に手を置いて落ち着くように説き伏せる。彼は何度か深呼吸をして、我に返ったのかその場にひざまずいた。


「犠牲だなんて思っていないわ。それでこの国は平和だし、お父さまたちも元気ならそれで良いじゃない」

「良くありません!」

「私、そんなに酷い待遇じゃないのよ。むしろここにいた頃より自由だし」

「本当ですか……?」


 騎士ともあろう者が涙でぐしゃぐしゃになりながら情けない顔で私を見上げる。ちょっとだけ嬉しくなって、私はそれに微笑みで返した。


「ありがとう。貴方だけでも、私を忘れないでいてくれて」

「ひ、姫様」

「それにしてもお父さまも酷いわね。私に感謝してるかと思ったら忘れてるなんて」

「……」

「今日こっそり会いに行こうと思ったけれど、せっかく忘れて気持ちよくなってる所に水を差すのも悪いしやっぱりやめるわ」

「お、怒っていらっしゃいますね」

「別に? ……ぷっ、あはは」


 別にそこまで怒ってもいなかったけれど、彼に恨み言を聞いて欲しくて「忘れて」を多めに使って訴えてみた。案の定青ざめてしまったので笑いがこらえきれない。

 そんな私の姿を見て安心したのか、青年はやっと笑ってくれた。


「本当に大丈夫なのですね」

「もちろんよ。この護石は返すわね。あまり心配かけるとまずいから、早くラミアと合流しないと」

「……あの、最後に一ついいですか」

「なに?」


 青年はゆっくり立ち上がると、まっすぐ私を見つめた。返された護石を握りしめ胸に手を当てている。一呼吸置いて彼は穏やかな笑みで言った。


「貴女に仕えていた日々は俺の宝物でした。とても楽しかったのです。どうか、お元気で」

「ありがとう。その言葉、忘れないわ」


 その言葉に私も精一杯の笑顔で応えた。もう急がないと。私はまた城下町の喧騒に向かって走り出したのだった。


 もう振り返ることはない。




 ***




「ああああああ姫様ああああああ!!!」

「ちょっと声が大きいわよ!」


 私たちが走ってきた方向を追ってきたのだろう、城下町まで着く前にラミアがよたよたしながら泣き崩れていた。慌てて抱き起こすと、すごい表情をしている。一言で言うと大惨事ね。


「良かったっ……ああっ、ご無事であああ」

「もう大丈夫よ? 心配かけてごめんね?」

「私ほんとダメな子だあ……本当は姫様とはぐれたときすぐ魔王様に報告しなきゃいけなかったのに……お仕置きが怖くてできなかったあああ」

「可哀想に……」

「私の判断が遅かったばっかりに姫様に何かあったら……ああでもこの失態を犯した時点で私はうわあああ」


 ラミアは半狂乱で道をものすごい速さで転げ回っている。ああ、その鞄の中の本たちは大丈夫かしら。追いかけようとして途中でやめた。


「黙ってましょう! ちゃっちゃと図書館行ってすぐ帰りましょう!」

「良いの?」

「魔王さまは人間界まで見えていないのでしょう? なら黙ってれば問題なしよ!」

「姫様は天使ですか……? 堕ちてない方の天使ですね……」

「だから早く正気に戻って」


 ここは王宮の近くなので人通りがないとはいえ万が一誰かに見られたら大変だ。正体がばれなくても不審者扱いで捕まるのは目に見えている。

 私は急いでラミアを助け起こして服に付いた土埃を払ってあげた。まだぐずついている彼女の手を引いて、今度は私が先導を切って歩いて行く。


「ほら、図書館はこっちよ」

「はいいい」


 元気出して、と数回言い聞かせる内に私自身も誰を励ましているのかよく分からなくなってきた。ラミアに元気がないのも確かだけれど、私も元気が空回っている気がする。これは自分自身に言っていることなのかも。ほんの少しだけ笑えてしまった。


「もう私には帰る場所なんて無かったのね」

「なにか言った?」

「なんでもないわ」


 急がなきゃ。私はさらに歩く速度を速めたのだった。

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