第30話 地面が蒸発するほどの謝罪
「うわあああああん姫さまぁ! 姫さまぁああ!」
「うるせえんだよもうちょっと遠慮しろ」
「びべざばぁぁああああ」
「もっとうるさくなりやがった」
スライムが謎の液体を垂れ流しながらこちらへと這いずってくる。そんなに水分を出しちゃって大丈夫かしら。スライム自体も縮みそうだけど、何より謎の液体を浴び続けて床が悲鳴を上げている。溶けて床が底抜けしなければ良いけれど。
「そんな泣かないでスライム。貴方も床も蒸発してしまうわ」
「ご無事で良かったですううう」
「まあ、無事じゃなかったんだがなあ」
「そうなの?」
「心臓を一突き。もう少し遅かったら邪神サマの晩飯になってたな」
「ひええ……」
ぎゅ。まるで私の身を隠すように抱きすくめる魔王さまを尻目に堕天使はまっすぐに私の目を見つめてきた。にやにやと意地悪な顔はいつも通りだったけれど目だけは笑っていない。鋭く睨みつけられて身がすくむ。
「ご、ごめんなさい。もう少し気を付ければ良かったわ」
「ん? いや姫サマは悪かねえよ。こっちの守備に穴があっただけだからなあ」
じゃあなんでそんな睨みつけてくるのよ。とてつもなく悪い顔してるじゃない。
「なあ姫サマ。怖かったか?」
「おい貴様」
「まあまあ。で、どうだ」
「もちろん怖かったけれど……」
今ではそんなことより貴方の顔の方が怖いのよ。そう言いかけてやめた。余計恐ろしいことになりそうだった。
「もしかしたら夢に出ちまうかもしんねえし、ことあるごとに思い出してつらくなるかもなあ」
「まあ、ないとは言い切れないけれど……」
「そこで、だ。俺は結構そういう心の治療すんの得意だからさ、あんまり酷かったら治してやろうと思って」
「大丈夫よ」
「即答すんな」
「貴方堕天使だし。堕ちてるし。怪しいじゃない」
「的を射たこと言いやがって……」
やっぱりろくでもないことを考えていたんじゃない。堕天使は企みが失敗したのかつまらなそうにそう吐き捨てた。一応は心配してくれているらしいけれど、怪しさと信用の無さで台無しだ。
そもそも堕天使が人間を堕落させたりそそのかしたりするのが好きな種族なんだから。私はそんなもの引っかかったりしないのに。
「ただちょっと気持ちよく嫌な記憶を飛ばしてやろうとしただけじゃねえか」
「やっぱり怪しかったじゃない!」
「出て行け」
「ぎゃ! 痛え!」
なんだかこのやりとりも慣れてきた。それと同時にいつもの日常に戻ってきたという安堵もこみ上げてくる。やっぱり私、自分が思うよりもダメになっていたのかも。
もう危機は去ったのだ。もう大丈夫、何も起こらないはず。
「……なあんてな。半分本気だったんだが心配は無用だったみてえだな」
「これは戒めだ。忘れて無かったことにはしない」
すぐそばの大きな手が私の頬をかすめる。触れるか触れないかギリギリなくらいのものだった。それだけだったけれど、それだけで魔王さまの本心が見えた気がした。
「そうかい。そんな律儀だといつか損するぜ」
「損な性格しているのは貴方だと思うけれど」
「お前に言われんのかよ」
「ええ、そうよ。でも心配してくれてありがとう」
「あ? おう……」
あら、案外この人は素直な言葉には弱いのかしら。やっぱりこんな風に損な性格をしていると誰かから感謝されることも少ないのかもしれない。やってることや言っていることは人の道から外れていないのに、なんだか色々と残念な天使ね。
「姫さまぁ……ぐすん」
しまった。堕天使に気を取られてすっかり忘れていた。泣きすぎてスライムの周囲の床が溶けてへこみ始めている。皆は気にとめていないみたいだけど、本当に大丈夫かしら。私はハラハラしながらスライムをなだめる。
「スライムも心配してくれてありがとう。私はもう大丈夫よ」
「もうこんな事無いようにします、うう」
「そうだな。お前は分裂の数の管理をしなきゃだな」
「はい………ぐすぐす」
「ほら、もう終わった事だから。泣き止んで。ね?」
「姫さまのお心は広いんですねえ……ぐすん。僕は極刑の覚悟もあったんですが」
「きょ、極刑ってそんな大げさな。ねえ二人とも」
何もそんな冗談、と思って二人の顔色を伺ってみる。魔王さまも堕天使も「当然」と言わんばかりのキョトン顔でお互いに顔を見合わせてから、揃って私へと口を開いた。
「場合によっちゃあ大事だったしな」
「姫の心に従おう。無罪ならそれでも構わん」
「えええ……」
それってつまりそういうことよね……思わずごくりと生唾を飲み込んだ。私の意志一つで従者の命の重さを決めるなんて。
「何も考えないで行動した私が悪いの。だから、この子に罰なんて与えないでください」
「そうか、分かった」
「ほら言ったとおりじゃねえか。良かったなあポンコツ」
「ぶえええん姫さまああああ」
「あ、でもこれ以上泣くのは床が心配だからちょっと」
「ぶっ! くくく、辛辣だな」
堕天使だけではなく魔王さままで笑いをこらえているらしく体が震えているのが密着しているところから伝わってくる。むしろなんで誰も床が底抜けしないか心配にならないのかしら。こうしている今もスライムの周囲の床は蒸発して煙を上げているのに……
それからは今回の事件について詳しく説明して貰ったのだった。敵の
私は心臓を刺されていたこともあって(本当ならそれって致命傷だと思うけれど)五日も目を覚まさず眠っていたらしい。どおりで心配の度合いが桁違いだと思ったら、想像以上に魔王さまたちに心配をかけていたのね。
「あ、そうだ。あのあとダークエルフの人たちはどうなってしまったの?」
「あーあいつらね。うん、まあ……なあ?」
「呆れを通り越して感心の域だな」
「え?」
ズドドドドド……!
一体どういうことなのか問う前に、ものすごい轟音がこちらに近づいてくるのに気がついた。あまりの激しさについ魔王さまの胸元にしがみつく。私の動揺が伝わったのか、さらにしっかりと抱きかかえられて頭を撫でられた。
「な、なにが」
「噂をすれば」
その轟音の正体が今まさに問いかけた答えそのものだった。
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