第29話 冥土の土産に見た夢は


「姫さまぁ! 姫さまぁ!」


 体がだるくて眠い。遠くで私を呼ぶ声が聞こえる。

 そういえば私、今まで何をしていたのかしら。


「もう、ここではないのですか! 私もいい加減疲れましたよ!」


 じいやの声が聞こえる。とても元気な声で懐かしく感じた。じいやは数年前まで私の教育係を努めていたのだけど、最近は体調を時々崩すようになり仕事は引退していたはずだった。だからこんな声を張り上げるなんて……


「ここは、私のお城……?」


 ゆっくりと目を覚ますと、そこはお城の中庭だった。もう戻ることは叶わないとどこかであきらめかけていた懐かしい風景だった。

 私のすぐそばの生け垣には朝露なのか真っ赤なバラがつややかに水気をまといながら咲き誇っている。そのむせかえるほど強く華やかな匂いに思わず息が止まった。


 ――そっか、バラってこんなに香りが強かったんだわ。それとも久しぶりすぎて刺激が強く感じるだけ?


「どうして……」


 突然の出来事に頭が追いつかない。とりあえず戻ってこれたのかしら。よく分からない。


「あら?」


 とりあえず立ち上がってみる。けれど想像していた景色と微妙に違う。

 生け垣ってこんなに高かった? 私がいない間に中庭の拡張でもした? 首を傾げていると生け垣のすぐ向こうからじいやの声が飛び出してきた。


「ここにはいないのか……」

「っ!」


 ばれないようにすぐさましゃがんで身を隠した。後ろめたいことはしていないはずなのだけれど、日頃のクセというか何というか。いつも隠れてじいやを困らせていたわね……

 もしかして。こっそりと生け垣の隙間からのぞいてみると、もう遠くなってしまった横顔が非常に困っていたのが見えた。今よりも幾分か若返っているじいやだ。


「これ、現実に戻ってきたのではなくてきっと夢の中なのね」


 よく見ると自分自身の体も幼い姿になっていた。私の過去の記憶の夢でも見ているらしい。

 思わずがっくりと肩を落とし大きなため息が漏れた。なあんだ、人間界に帰れたわけではなかったのね。


 しかも目を覚ます前の事もなんとなく思い出してきた。そういえば私、魔王さまの敵であるダークエルフに捕まってしまったのだったわ。封じられていた扉を何も考えずにうっかり開けてしまった私も悪いけれど、まさか敵が味方スライムに化けて騙してくるなんて思わなかったんだもの。今更失敗を悔やんでも仕方ない。仕方ないけれど。


「もしかして私、トドメを刺されてしまったのでは」


 そう考えて血の気が引いた。もしやここはかの有名な極楽浄土というやつで、じいやが迎えに来たのかも知れないわ。待って、私まだ死にたくない。

 連れて行かないでじいや、じい……そういえばじいやは死んでいない。落ち着きなさい私。


「さあ皆さんお願いします。きっと姫さまはどこかに隠れておいでです」

「はい!」


 急に騒がしくなったので再び生け垣の隙間から目をこらす。どこかに行ってしまったじいやが、今度は大勢の兵士を連れて戻ってきたのだ。いやいや、私は犯罪者じゃないわよ。


「今日という今日はきついお灸を据えなくてはなりません。絶対に見つけ出しますよ!」

「はい!!」

「ひ、ひええ……」


 これは大変だ。夢の中とはいえ見つかったらただでは済まない気がする。鬼のような形相をしたじいやを先頭に、屈強な男たちがずんずんと中庭へと突き進んでくる。恐怖でしかない絵面だ。


 ――は、はやく。ここから逃げないと。


 慌てふためくあまりへっぴり腰になりながらこの場をあとにする。ど、どこかに抜け道が、そうだ!


「そうだ! この隙間を縫って行こう」


 小さな私しか入れないような建物の隙間を躊躇なく進んでいく。大丈夫、入ったことのない道なき道だけどここは私のお城よ。もう少しまっすぐ進んでいけば、位置的に講堂の裏側辺りにでも行けるんじゃないかしら。

 なんて思っていたら案外建物は大きく曲がりくねってしまった。先が見えなくて不安が募る。まさかこの先行き止まりじゃないでしょうね。それに狭……


「あっ」


 急に開けた場所にたどり着いた。狭い迷路のゴールが見えたのは良いことだけど。ずんずん進んでいたものだからスポンッとワインのコルクを抜いたように私の体は飛び出して転んでしまった。


「いたた……ここは、お庭?」


 きちんと整備はされてはいないけれど、所々に小さな花壇があり可愛らしい花が植えられていた。ここは王宮が私有している裏山のそばのようだし、山守か誰かがこっそり趣味で園芸でもしているのかもしれない。

 私は普段山には近づかないからここら辺のことはよく分からない。騒ぎが収まるまで少しここの探検でもしてみよう。さすがに危ないので獣の多い山の入り口には近づかないように、小さな花壇をのぞき込んだ。


 何の花だろう。小さくて可愛い花だわ。そうやって一つ一つ花壇をのぞき込んで、ふと何かに気がついた。

 雑草の隙間から何かが見える。地面が鈍く光っている気がする。私はのぞき込んでみた。


 この場所に似つかわしくない、地面に描かれた色あせた大きな魔法陣。


「あれ、これ私……あれ? あれ?」


 初めて見た、初めて? 本当に?


 ――私、何か大切なことを忘れていない?


 なんだっけ。私、もう少しできっと思い出せ……る……




 ***




「――……、おい」

「……あら?」

「私が分かるか」

「……魔王さま、ですね」


 なんだっけ。何か夢を見ていたような気がする。けれどどんな夢を見ていたのか何も思い出せなかった。目の前の魔王さまが近すぎてそれどころではない。


「あの、近いですわ」

「怒っているのか」


 言っていることが分からなくて少し考えてしまった。この沈黙の間にも魔王さまは更に距離を詰めて私の顔を覗き込んでくる。

 ここはどこかしら。魔王さまから目を反らして辺りを見回すと、私を抱く腕がピクリと動いた。あ、ここはいつもの彼の玉座だったのね。

 思わず自分の体も確認する。どこも痛いところはなく、五体満足のようだった。良かった。


「良かった。魔王さまが助けてくださったんですね」

「助けてはいない。危険に晒しただけだ」

「意外と生真面目ですのね」

「意外……?」


 いつになく魔王さまの顔が曇っている。こうして茶化してみてもなにか不安そうだった。心なしか声も震えているような気もする。

 魔王さまは私を心配してくれているのかしら。誘拐されたことを、怖い目に遭ったことを。そして私が怯えていないか、心の後遺症はないか、と。

 不思議と恐怖はもう無かった。私って自分が思う以上に体も神経も丈夫なのかもしれないわ。


「すまなかった」

「怒ってなどいませんよ。心配してくださってありがとうございます」

「礼を言われる立場ではない。間に合わなかったのだから」

「間に合わなかったのなら私はここにいないのでは……?」


 こんなにしおらしい彼を見るのは初めてだった。ううん、こんな時どうすれば良いのかしら。いつも猪突猛進で生きているせいでこういう処世術は持ち合わせてはいなかった。


「魔王さ……」

「うわあああああん姫さまぁぁぁ!」

「やっと目が覚めたみたいだな」


 何か言葉をかけようとしたその時、部屋の扉が開いて大絶叫のスライムとやれやれ顔の堕天使が飛び出してきたのだった。




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