第26話 スライムの心の中


 【スライム視点】


 どういうことだろう。これは一体どういうことだろう。僕がたどり着いた時にはもう堕天使さんの部屋には誰もいなくなっていた。


「姫さまぁ……姫さま……」


 部屋の前の廊下に僕の粘液がそこかしこに飛び散っている。が応戦したのだろうけど返り討ちにあってしまったみたいだ。間もなく僕以外の魔物たちも集結して一斉に怒鳴り合う。


「まだ間に合う! 痕跡をたどれ!」

「なんで誰も気づかなかったんだ!」

「ぎゃああ! 熱っ! おいスライム、ちゃんと粘液片付けろよ足に付いた!」

「はあい……」


 なんで誰も気づかなかったんだ! この言葉は今の僕に一番深く響いた。なんで僕は……


 は普段何体にも分裂している。このお城は養分が多くて体をひとまとめにしたら大きくなりすぎて動きにくくなってしまうから。そして分裂させた体一つ一つに意識も分散させて動かしていたのだ。なので分裂した内の一つが本体、というわけではなくそのどれもが僕自身であって、どれを失くしたとしてもそう変わりはない。


「僕のせいだ。僕がちゃんと……」


 可哀想な姫さま。僕のせいで今頃ひどい目に遭ってしまっているかもしれない。そうしたらもう二度と僕は姫さまと仲良くできないかもしれない。


「おーいこりゃどういうことだ? なあスライム、お前説明できる?」

「あ、堕天使さ……」


 魔王さまよりも堕天使さんの方が早くここへ到着したみたい。しゃがんで僕に目線を合わせてくれた。振る舞いはいつも通りだったけど目が笑っていない。抑え切れていない殺気に僕はしゃくりあげてしまう。


「ごめんなさ、ごめ」

「まず説明。どうしてこうなった? この城の守備は完璧だったはずだ」


 説明、説明しなきゃ。僕はしゃくりを無理矢理押さえ込んで深呼吸した。


「あいつ、完璧な変身魔法でした。僕の姿形だけじゃなくて、僕の魔力や性格まで一緒でした。もう少し早く、僕の体が一体多いのに気づいていれば、こんなことには」

「お前自身も、魔王サマですら欺くとは完璧な変身魔法だったな。そのうえ不定形の魔物にも化けるとはやっかいだな」


 そう、そうなんだ。僕の体がいつの間にか一体増えているのに気がつかなかった。だからいつから忍び込まれていたのか分からない。もしかしたら僕が思うよりもずっと長い間……


 僕が怪しいと思ったのはついさっきだった。一体だけ、統率のとれない分身がある。通常の僕たちは意識は分散していてもどれもが僕自身なので、言うことを聞かないがいるのは不自然だった。

 魔王さまがこのお城を出るときに「堕天使の部屋に姫を閉じ込めているので誰も触れるな」と城の皆に指令を出していた。なのになぜか堕天使さんの部屋に近づいて扉を叩いている僕がいた。急いでやめてと念じてみたけど言うことを聞かない。そこで初めて「こいつは僕の分身体じゃない」と気づいたんだ。


 そこまでを一気に堕天使さんに説明すると、「なるほどなあ」と感心のため息をつかれてしまった。


「盲点だったわ。お前の分身なんて城のどこにでもいるし、大して気にとめねえもんなあ。さぞ敵さんは情報収集もしやすかっただろうな」

「あ、あの。魔王さまは」

「んん? 直接ダークエルフの根城にでも向かってんじゃねえかな。この会話を聞きながら怒り狂ってんだろ」

「うう……」


 もちろん今ここで話していることも魔王さまには聞こえているだろう。あんなに大事にしていた姫さまをこんなことにしてしまったのだから、僕はもう生きていられないと思う。


「せめて最期に、姫さまに謝りたいです」

「どうだろうなあ、処遇は魔王サマが帰ってきてからだな」

「うう……」


 ごめんなさい姫さま。どうか無事でいてください。

 ダークエルフはとても残忍な種族なので、華奢な人間の姫さまがどう扱われてしまうのか想像しただけでも身震いがした。


「大丈夫だろ。姫サマだって助けるし、お前もそんな厳罰には処されねえよ」

「堕天使様、追跡完了です! 西の睡茸すいだけ森奥の地下!」

「よくやった。そんだけ分かりゃ魔王サマがすぐ追尾する」

「姫さまぁ」

「俺も行くとすっかな。お前たちは俺の部屋の修理でもしてくれ」

「御意!」


 僕もいてもたってもいられないけど祈ることしかできない。うなだれる僕の頭を堕天使さんはわしゃわしゃと撫でつけた。じゅわりと不吉な音がする。


「わわ! 僕に触ったら溶けちゃいますよう!」

「どーせ超回復するから問題ない。ま、おとなしく待ってろ」

「……はい!」


 優しいなあ。僕に気を遣ってくれたんだ。いい加減僕もくよくよしているのはやめよう。魔王さまが帰ってくるまでに何か役に立たなくちゃ!


「行ってらっしゃいませ堕天使さ……あれっ」


 カツンと堅い靴音が響いて、気がついたら堕天使さんはもうこの場から立ち去っていた。


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