第21話 初夜はまだ早いです


 堕天使の部屋から、いつもの玉座に戻ってきてどのくらい時間が経ったのだろう。私は魔王さまの膝の上で向かい合わせに座らされて、無言のままずっと見つめられてとてもいたたまれない気持ちになっていた。観察されるのはいつもの事なのだけれど、今日は長すぎる。


「あ、あの。今日はどうしましたか」

「何がだ」

「無言で見られているのは落ち着かなくて、その」

「ふむ」


 控えめに抗議をしてもあまり効果は無かったらしい。さらにまじまじと上から下まで観察されている。もう、どうしたらいいの。見られるほど私の体は縮こまってゆく。

 我慢の限界でパニックを起こしそうになる寸前で、魔王さまがやっと口を開いた。


「私には変化がないのか」

「変化とは……?」

「他の者には気兼ねなく話しかけているが、なぜ私にだけ心を許さない」


 んん? 思わず首を傾げて魔王さまを見返す。今度は私がまじまじと見ることになってしまった。魔王さまはあからさまに嫌悪剥き出しで眉をひそめた。


「返答によっては明日はここから出さない」

「ごめんなさい、頭が追いつかないのですが」

「なぜしらを切る。その態度だと言っている」


 ぐいぐいと迫り来る双眼に震え上がる。けれど、きっと目を反らしたらいけない。自分を奮い立たせて見つめ返す。


「態度ですか」


 至近距離で睨まれて声まで震えてしまう。だめよ私、よく考えて。思考が止まりそう。他の者って、つまり先ほどの堕天使やスライムたちのこと? だってそれは。


「魔王さまはこのお城の、この世界の君主ですし」

「それが理由か」

「それに、王に不敬を働く妃なんて……さすがの私もちょっと」


 近い。近すぎる。自分の吐く息が彼にかかってしまいそうで息ができない。極度の緊張で顔が熱いのに体は悪寒で震え続けている。あまりの恐怖に、久しぶりの命の危機を感じた。不機嫌な彼は怖すぎる。


「不敬、か」

「敬うことは心の壁ではありませ、ので、私」

「呼吸をしろ。息が止まっている」


 誰のせいですか!! そう思うも言葉が出てこなくて頭がくらくらし始めた時、ぺちぺちと頬を叩かれる感覚で意識が戻ってきた。急に体に酸素が入ってきてむせる。なんとか焦点が合うと、いつもの無表情に戻った魔王さまが目の前にいた。


「ではなぜ私には笑わない」

「けほっ。笑っていなかったですか?」

「ああ」


 こんな状況でどうやって笑えば不自然にならないというのだろう。困った王さまだ。

 つまりは私が魔王さま以外と仲良くしているのが相当お気に召さなかったらしい。得体の知れない存在だと思っていたけれど、ここ最近は外見と内面のギャップを見ることが多くなってきた。案外普通の人と同じような思考回路を持っているらしい。


 おそるおそる魔王さまの左手に自分の両手で触れてみる。触れた手がかすかに反応した。そのまま私の胸まで持ち上げて、抱え込む。大きな手は私の両手にも余って、指が喉元までかかった。けれど不思議と恐怖はない。


「そんなにおっしゃるなら明日はどこへも行きません」

「いいのか」

「明日は、貴方とお話がしたいです」


 ゆっくりと目を閉じる。されるがままだった手が動いて私の両手から離れた。優しい動きで、首に手がかかる。魔王さまの左手に私の首がすっぽりと収まってしまった。

 触れるだけだったので息苦しさはない。けれどこのまま力が加わったら簡単に折れてしまうと思う。


「落ち着いているな。恐ろしくはないのか」

「約束しましたもの。ひどいことはしないと。きちんと信じますので、裏切らないでくださいね」

「……そうだったな」


 始めはどうなることかと思ったけれど、事態は収束したようで安心する。私が安堵のため息をついていると、突然魔王さまが何かを思い出したように声を出した。


「そういえば。人間のつがいというのは、なかなか興味深い触れ合いをするらしいな」

「は?」


 待ってください。先ほどまで保っていた微笑みが一瞬にして引きつる。突然どうしたというのですか。目を見開くと至極真面目な表情の魔王さまが右手をあごに当てて考え事をしていた。


「あのジ……スケルトンも元は人間だったな。よくしゃべる骨だ」

「あれは、その」

「その反応だと無知というわけではないな。魔王族は人間のようは営みはしないものだが、私も詳しく知っておくべきか」

「あ、あああの世継ぎとかなんとかは忘れた方が」

「あとでサキュバスにでも聞いておこう」

「絶対やめてください!」

「ククク……」


 思わず叫ぶと魔王さまが楽しそうに肩を揺らした。けれど笑っているのは口元だけである。表情筋がものすごく堅いのだろうか。

 それにしても、本当に知らないかは別として世継ぎのあれこれをしないなんて。魔王の一族はそういう摂理ではないのかしら。まあ、詳しく知りたくはないけれど。


「その反応を待っていた。満足したぞ」

「そんなあ……」


 人をおちょくることもできたのか、この王さまは。今までで一番心にダメージを負った気がする。このお城に来て一番大きなため息をついた。


 ……と、音を上げるのは早すぎたのだ。私をおちょくるのが相当お気に召したのか、このあと寝室で私が眠りにつくまでベッドの真上から見下ろされることになったのだから。



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