第22話 実は疎いのではなく


 ポーン、ポーン、ポーン……


 そして次の日。魔王城の窓の景色は相変わらず黒い靄に包まれていて何も見えない。代わり映えのない背景は時間の感覚を忘れてしまいそうになる。けれどここの住人たちは規則正しく生活をしているので、なんとか私も上手くやっているのだった。


「三時ですね」


 視界の端で柱時計が三時の鐘を鳴らしていた。真上にいる人物に話しかけてみたけれど返事はなく、ただ私の目をじっと見つめている。


 ――魔王さまと話がしてみたいと、確かに昨日そう言ってしまったけれど。想像していたとおり話が弾まない。困ったわ。


「あの、魔王さま。もう一つソファーがありますし、私あちらに座っても」

「離れたいのか」

「そういう訳では」

「ならここにいればいい」

「……はい」


 私たちは今日は魔王の間の玉座ではなく応接室らしき場所で過ごしている。ここには大きなソファーが二脚向かい合わせにあるというのに使わせてもらえない。私はソファーに腰掛ける魔王さまの足の間に座らされた上に、私のお腹の上で手を組まれて押さえつけられている。逃げる気は無かったけれど、逃げられない状態でずっといるのもなんだか落ち着かない。

 見上げ続けるのも首が痛くなってきたので私は前に向き直った。するとお腹にあった彼の右手が上がってきて私の頬に触れた。そのまま手のひらや指がゆっくり動いて私の頬や耳、首筋を撫でてゆく。体がぞくぞくする。


「くすぐったいです」


 これにも返答はない。代わりにもっと体を丸めて私の顔をのぞき込んできた。ちょっと。


「くすぐったいですってば」


 彼の指を振り払うように勢いよく顔を上げて訴える。少しきつく睨んでしまったかも知れない。


 ――やっぱり。魔王さまってずっと私をのぞき込んでくるのに、こういうふうに至近距離でいきなり目が合うとなぜか目を反らすみたい。


 ようやく私をくすぐるのを諦めてもらえたようなのでほっと息をつく。代わりに抱きすくめられてしまい、体格差で私の体は魔王さまに埋もれてしまった。ううん、どうしたらいいの。


「三時ですね」

「そうだな」

「私の国では、三時になるとティータイムといってお茶やお菓子を食べて休憩するのですよ」

「欲しいのか」

「まあ、その、もしあれば」

「ふむ」


 ただの話題振りだったのだけど強請ったような流れになってしまって恥ずかしい。けれど魔王さまは特に気にした様子もなくただ私に答えにうなずいた。もしかして。

 魔王さまの指が空中に円を描くように動くとその通りに空間に穴が開いた。空間魔法もお手の物らしい。そのまま魔王さまは右腕を中に突っ込んで少し探ったあと、手に焼き菓子の入ったかごを掴んで引っ張り出した。そしてもう一度腕を突っ込んで茶器と謎の草も同じように取り出す。は、早い。

 それになんだか空間の向こうから派手な物音と悲鳴が聞こえたような……


「あの、大丈夫ですか。向こうの空間が大変なことに」

「問題ない」

「それもしかしてケルベロスのクッキーでは」

「少し減らしただけだ」

「うーん……」


 全部を取っていないなら、まあ。ううん、そういう問題ではないのだけど。頭の中で葛藤してうなり声を漏らす。色々と空間の向こうの魔物たちに申し訳なくなってしまった。


「その草はなんですか?」

「煎じて飲むこともある。香りはいい」

「香り良いんですね」


 味の保証がないものを出されてしまうのか。不安がよぎって声が震えた。見たこともない植物を乾燥したモノをよく観察する。よく見れば花がカモミールのように見えなくもない。味もカモミールだといいなあ。私の不信感満載の視線にさらされながら、植物はティーポットの中でひとりでに抽出されてゆく。物がひとりでに動くのもこの王さまの魔法みたい。

 とりあえず謎のハーブティーができるまでお菓子をつまもうと手を伸ばす。と、なぜか魔王さまに制止された。


「行儀が悪かったですか?」

「いや」

「それなら、むぐ」


 どうやら食べさせたかったらしい。魔王さまの指ごとクッキーが口に押し込まれた。


「あの、爪が口に刺さったら怖いので」

「爪は中に入れない」


 いや指も中に入れないでください。クッキーを噛もうにもその人差し指が邪魔をして噛むことができない。もごもごと苦しむ私を観察してよほど楽しいのか、口元の岩のような表情筋がほんの少しだけ緩むのが見えた。


「噛んでも怒りはしない」

いあれふ(いやです)


 眉はひそめるけれど抵抗はしない私に非常に満足しているらしい。さらに指を強く押し当てられてしまった。

 ううん。こうして魔王さまと過ごしていると、私は本当に花嫁として連れてこられたのか疑問に思ってしまう。この状況は花嫁との戯れというよりは雛鳥の餌付けにしか見えない。私は飼われている、気がする。


 初日に想像していたものとは全然違うんだもの。気がつけば緊張も不安も身構えることも忘れてしまう。あのスケルトンのおじいさんが言っていたように、世継ぎだのなんだのと拉致された花嫁らしく無理矢理初夜を迎えていたらどうなっていたかしら。間違いなく私は壊れてしまっていただろう。今では魔王さまの謎行動への恐怖はあれど、人間界にいたときよりものびのびと過ごしている気がする。慣れは怖いわ。

 そんなことをぼんやりと考えながらもごもごと指を甘噛みしてみる。早く解放してください。


「苦しいか」

ふぁい、でも(はい、でも)

「む」

あおうはあわらおいおうれふえ(魔王さまは楽しそうですね)

「お前は面白いな」


 私が面白いのではなくて、しゃべれないだけなのです。貴方の指のせいで。

 けれど何を言っても情けない声になるのでどうしようもない。魔王さまの顔がどんどんご満悦になってくる。なんなのこの状況は。誰か助けて。


「そんなにしゃべると唾液が垂れてしまうぞ」

「ふうう……あっ!」


 びっくりして声が出てしまった。突然指が引き抜かれたので唾液が本当に垂れてしまった。思わず「ごめんなさい」と声を上げて、何か拭くものを探そうと身を乗り出したその時。

 思い切りあごを掴まれて上を向かされ、魔王さまはあろう事か垂れた唾液を舐め取ったのだった。長い舌がべろりと私の唇を這っていった。


「ひいぃっ」

「ふむ、甘い……のは焼き菓子の味か」


 その心底愉しそうな顔を見た私は確信した。

 私は勘違いをしていた。これは違う。紳士でもなくに疎いのでもない。この王はが来るのを楽しみながら待っているのだ。これは嵐の前の静けさだ。

 おかげでお菓子の味が全然しなかった。私はそう遠くないであろう未来を想像して背筋に悪寒が走ったのだった。



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