第20話 うやむや


「で、まだここから逃げ出したいって思ってんの?」


 どきりと心臓が痛いくらいに跳ねて呼吸が止まった。突然湧いて出てきた危機的状況に私は動揺を隠せずにいる。私は目を泳がせながらあたふたと言葉をつなげた。


「だ、だから私は逃げたいなんて一言も」

「本当かあ? 人間の心の内なんて分かんねえもんだからなあ? もっと腹を割って話しても良いんだぜえ」


 至近距離のまま詰め寄られて私は後ずさりすることしか出来ない。なによ、なんなのよ。ほんの少しでも心を許しかけてしまった自分を責める。


「あっ」

「おっと」


 後ろを確認せずに後ずさりをしていたせいで何かにつまずいてしまった。よろめいたところを堕天使に腕を捕まれてしまいこれ以上距離がとれない。


「城を歩き回りながら何かを探してるだろ、それって脱出の手がかりか」

「別に特に意味なんてないわ。色々なモノが気になるだけで」

「へえ? ずいぶん好奇心旺盛なお姫サマだな」


 ああ言えばこう言う。何を言っても無駄なのだろう。私が口を開くたびに愉しそうにニタニタと意地悪な笑顔を浮かべている。問答がずっと堂々巡りだ。


「取り繕わなくて良いじゃねえか、無理すんなよ」

「無理なんてしてない! 離して!」


 捕まれていた腕を乱暴に振りほどくと、堕天使は一瞬だけ驚いた顔をしてすぐにまた意地悪な笑みに戻った。


「お姫サマのくせに乱暴して大きな声出んのな」

「……もう……いいわ」

「あんた見てるとお転婆すぎてホントに姫なのかも怪しいなあ。どこまで嘘なんだ?」


 いつまで経っても終わらない押し問答に私の頭が熱くなるのを感じた。血圧が上がって力んでしまい、口から出る声が震える。なによ、自分は偏見だらけじゃない!


「うるさいわね! 私が姫らしくないのは今関係ないでしょう!」

「お」

「一国の姫らしい上品な振る舞いや言葉遣いってなによ! 姉様も大臣もあんたも言いたい放題……昔っからそう」

「へえ」

「私だって、ふさわしくないのは私が一番よく分かってるけど頑張って抑えてきたのに」

「それだよそれ」

「なにがそれなの、っぐう」


 話の途中でわしゃわしゃと両手で私の髪型を乱してきた。人が大真面目に怒っているのに堕天使はこんな時でもへらへらしてふざけいるなんて信じられない。睨みつけるも堕天使は意に介さず楽しそうなままだ。


魔界ここの連中は良くも悪くもありのままだからよ、姫サマも正直に色々話せば楽になるぜ」

「……」

「もっと肩の力抜けよ。心開こうぜ」

「そんなこと言って初めて会ったとき、私のこと騙そうとしたのは誰かしら?」

「え、なに俺のせいなの」

「大部分はそうね。あれで疑心暗鬼になったもの」

「あ!? あれただの挨拶だろ」

「嘘でしょ信じられない! あといい加減離して!」


 いつまでもわしゃわしゃされているので髪型が大暴走している。両腕を思い切り振り回して応戦すると、待ってましたと言わんばかりに押さえ込まれて「ぎゃあああ!」


 ……ほらいつものパターンじゃないこれ。


「何を打ち解けている。意味不明だ」


 速すぎて何が起きたのかは分からなかった。けれど堕天使は叫びながら地面にひれ伏して、私は黒いローブに包まれている。後ろから大きな手が伸びてきて私の髪を撫でつけた。

 困ったわ。一部始終を見て魔王さまは怒っているかしら。


「打ち解けてません」

「そうか」

「打ち解けただろ」

「どこが!?」


 あ、しまった。慌てて口を覆ったけれど遅かった。誰かに向かってこんなに言葉を荒げたのは初めてかもしれない。焦る私とは反対に二人はなぜか面白そうに私の顔をのぞき込んできた。


「俺はなあ、姫サマがつまんねえ澄まし顔してんのが気に入らなかったんだよ。今のツラのが似合ってるぜ」

「こんなのお姫様らしくないじゃない」

「好きに生きればいい。何度もそう言っているのだがな」


 そう。そうなのだ。

 今までは、の皆は私が姫らしさを失うと怒るのに、の皆はそんなこと全然気にしなくて調子が狂ってしまう。私が大きな声を出しても、ドレスの裾を捲って駆け出しても、口を荒げても気にしない。窮屈じゃない。

 もちろん、まだ恐ろしいことはあるのだけど……それ以上にお城の皆は魔王さまのめいもあってか(堕天使以外)優しいし、私は気ままに暮らしている。


「悔しいけれど、魔王城ここは楽しいわ」


 本当は私はどうしたいのだろう。本当にここから抜け出してあのお城に戻りたいと思っているのだろうか。なんだか分からなくなってしまった。


「そっか、疑って悪かったな姫サマ」

「えっ」

「てっきり脱出のために打算で動いているのかと思ってたが違ったんだな」

「あ、ああいえ」

「貴様が穢れているから何でもそう見えるのではないか」

「違いねえなあ」


 いくらか脱線して話が見えなくなってしまっていたけれど、そうだった。私は疑われていたのだったわ。いつの間にか良いように解釈されているようだ。


「またな、今度は茶でも用意しとくわ」


 ご、ごめんなさい……今更「そうなんです」とも言えないので黙っておくことにする。なんとも言えない罪悪感の中、私は魔王さまと共に堕天使の部屋を後にするのだった。

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