第17話 ぷるぷるとゆらゆら
濃い。ここ数日の体験を一言で表すとこの二文字だった。魔王城の人たちのことを知れるのは良いことなのだけど、なんだか知らなくて良いことまで知ってしまっている気がする。私は精神的な意味での疲労のため息をつきながら一人うつむく。
「姫さまぁ!」
「あら、なんだか久しぶりね」
廊下を歩いているとスライムに遭遇した。何日ぶりかしら。ぷるぷると体を揺らしながら楽しそうに近づいてくる。
あ、今日は一人だけじゃないみたい。スライムの隣になにか揺らめく黄緑色の火の玉が見えた。魔物……だと思うのだけど、この子も顔が見当たらない。
「お友達?」
「同じ清掃担当のウィルオウィスプと申します」
「そう、よろしくね」
揺らめく火の玉はそう言って恭しくお辞儀をした。スライムは無邪気な子だけれど、この子はとても落ち着いているようね。
そういえば前にそんなことを聞いた気がする。スライムとこのウィルなんとかさんがお城をくまなく清掃してるのだとか。
「貴方は綺麗な炎の色をしているのね」
「そうですか」
「ウィルオウィスプの炎はこの世に未練や恨みが強い者ほど鮮やかな魂の色になるんですよ!」
「えっ……」
予想外の返答に私が素っ頓狂な声をあげると、どこからともなく魔王さまの声が降ってきた。
「ウィルオウィスプは端的に言えば亡霊だ。触れると生前の記憶を見ることができるが、まあ得はしない。やめておけ」
「そ、そうします……」
頼んでもいないのに説明をされるのはいつものことだ。もう慣れてしまった。
「姫さま! 今日はどちらに行かれるのですか」
「そうね、特に決まってはないのだけれど」
「なら邪神像の広場に行ってみてはどうですか! ついこの前像を新調したのでピカピカですよ!」
「じゃ……邪神像?」
「休憩中の城の者もちらほらいます。貴女は城のことが詳しく知りたいようなので、顔を合わすのもよろしいかと」
「僕らもこれから清掃しに行くんです! もし行くのであればご一緒しませんか!」
なるほど、そういうことね。提案ではなくお誘いだったらしい。私は迷わず頷く。
「断る理由はないわ。一緒に行きましょう」
「わあい! 姫さま大好きですよ!」
「ふふ」
スライムは分かりやすくぷるぷる飛びはねて喜んだ。地面に着地した瞬間に粘液がいくつか跳ねて床からジュワッと恐ろしい音が響いた。思わぬ不意打ちに背筋が凍る。
あ、危なかった。もう少しで私にもかかるところだったわ……
「チッ」
「ん?」
どこからともなく舌打ちが聞こえてきた気がするけど気のせいかしら。
「こっちですよ! 転移魔方陣を使えばすぐです!」
「あ、それは」
スライムが目の前にしていたのは、私が以前闇雲に踏み抜いて遊んだ魔方陣だった。前はそんな場所に着かなかったけれど。
「邪神像の広場!」
「どうしたの?」
「魔方陣を踏む前に、魔方陣に行き先を伝えるのですよ! そうしないと好き勝手知らない場所に飛ばされてしまうので」
「えっ……」
確かにスライムの言う通り、行き先を伝えたら魔方陣の色が変わった。そんな……
二人のあとに続くと、たどり着いたのは大きな像がある大広間だった。絶対に前はこんな場所行かなかったわ。
「これが正しい魔方陣の使い方……」
「どうかしましたか?」
「なんでもないわ」
次からはそうしましょう。と自分に言い聞かせてふと違和感に気付く。どうしてあの時魔王さまは教えてくれなかったのかしら。
……もしかして。
「魔王さまはわざとこの事を教えずに私が迷っているのを見て楽しんでいたの……?」
いつもは頼んでもいないのに横槍をいれてくる魔王さまの声が、今回はいくら待っても聞こえてこなかった。ひどいわ。絶対聞こえているはずなのに。
「と、とにかくここが邪神像の広場ですよ姫さま! ちらほら休みに来てる者もいます!」
「そ、そうね」
スライムに気を遣わせてしまった。この話は帰ったらもう一度することにして、今は忘れることにする。
気を取り直して広場を見渡す。私のお城の舞踏会の間くらいある広さの場所で、その中心に大きな像があった。私たちは広場の端っこにいるのだけれど、見上げるほど大きい。
この像のモチーフは色んな場所で見たことがある。そういえば初めて魔王城に来たときに連れられた変な祭壇にもこんな冒涜的なデザインの像があった気がする。
「邪神というのは一体どういう存在なのかしら」
「詳しく話すと長くなるのですが、人間も女神とやらを信仰しているのでしょう。そのような感じです」
「魔力の源だったり?」
「まあ……邪神は暴虐と理不尽を司る神なので、邪神に愛されている魔物ほどそういった力が強いです」
「魔界で一番その力を発揮できるのは魔王さまなんです! 魔界憧れなんですよ!」
「なかなか魔界の世界も奥が深いのね……」
ウィルオウィスプとスライムが説明するのを私は頷きながら聞いていた。失礼な話だけど魔界ってもっと単純に欲と暴力の世界だと思っていた。けれど案外この世界も摂理や社会ルールみたいなものがあるらしい。
人間界には女神といった魔力の創造主であり大自然の神がいるように、魔界にも邪神がいて似たような仕組みになっているなんて。
私がしばらく感心してスライム達をまじまじと見ていると、なぜか彼らはもじもじし始めた。
「あの、姫さま」
「どうかしたの?」
「あ、いえ姫さまはその……不思議な方ですね」
「不思議?」
「なんというか、その……」
「人間の王族はとても傲慢で
スライムがあまりにももじもじしていたので、ウィルオウィスプが続きを代弁した。思ってもみない言葉だったので「あらあら」と変な相づちを打ってしまった。
「傲慢で強かねえ」
「でも! 姫さまは最初から違いました! 最初から!」
「ふふ、貴方たちは魔王城のことを色々と教えてくれるから感謝しているのよ。これからも教えてね?」
「もちろんですよ!」
「よろしくお願いします」
彼らの身長に合わせて少し腰を屈めた。二人とも顔は付いていないけれどとても喜んでくれているのは分かる。
懐かしいわ。あのお城でも、働き始めたばかりの子供の使用人はこんな感じで瞳をキラキラさせていたわね。
どうやら人間は魔物に対して、魔物は人間に対して少なからず偏見を持っていたみたい。中にはそんな奴もいるけれど、必ずしもすべてがそうとは限らないものね。
私は彼らの体がぷるぷるゆらゆら揺れるのをしばらく微笑ましく見ていた。
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