第13話 最凶のしゃべるペット


 あまり城の中を探索させたがらない魔王さまだけど、今日は自らどこかに案内してくれるらしい。私はこれ以上会話をするのをためらっていたのに、こういう時にそういうことになるものなのよね。

 転移魔法は一瞬だけ目が眩む程の光が走る。それ以外には音も足元の揺れもなく、ごく自然に周りの風景が変わる。最初はその感覚に酔ってしまったけれど今は慣れてしまってなんともない。気がつけばケルベロスの目の前から、どこか風が吹き荒れる場所に移動していた。


「城の最上階だ、落ちるなよ」


 ここは魔王城の上部、いくつかに分かれている塔のひとつらしい。辺りを見渡すと、城の一部が見えた。

 それにしても、どこから外を見てもあまり景色が良く見えないのはなぜかしら。黒いもやのようなものが魔王城の周りを包んでいるせいで、目を凝らしても遠くに何かがある、くらいしか判別できなかった。


 そしてこの階は私の寝室ほどのスペースしかなく、ある程度は動き回れるけれどここには窓はおろか外壁さえない。何か強い力で暴れ回ったかのように荒れ果てていた。何本か壊れかけの太い柱が建っているだけなので見晴らしはいいけれど、端に寄ったら落ちてしまいそうだった。


「言って良いものか判断がつきませんが、ここはずいぶんと老朽化が……」

が壊したのであって老朽化ではない。断じて」

「奴……」


 紹介される前から不穏な空気に襲われる。何をどうすればこんな頑丈そうなお城を破壊できるのかしら。しかも魔王さまの許し付きで。


「普段は自由にしているが、私が呼ぶと飛んでくる。見ていろ」

「は、はあ……」


 さりげなく魔王さまが私の背中に腕を回して抱き止めた。嫌な予感がする。なので私も彼にしがみついてこれから来る何かに備えた。

 一体何が……


「―――!」


 何が起こったの!?

 突風が襲いかかってきて、私は目も開けられない。口を開けると砂利が入りそうになるので口を閉じて悲鳴をあげるしかなかった。

 強くしがみつくと、私の背中に回された腕にさらに力がこもった。くるしい。


「案ずるな。見てみろ」

「んんんん!」


 案じているのではなくて本物の身の危険を感じているのです! 少しでも力を緩めたらここから吹き飛ばされてしまいそうだった。

 実際にこの荒れ狂う突風で私の両足が浮きかけている。じたばたもがいてなんとか地面の感触を感じていた。


 耐えられない! こんな風がずっと吹き続けるのかと絶望したけれど、しばらくするとだんだん収まってきた。

 良かったわ。もう腕が疲れてきたもの。


 そして私はゆっくりと目を開けて突風の正体を確認した。そこには大きな生き物がいる。

 それは今まで見たことのない架空の生き物だと思っていた伝説の魔獣だった。


「ドラゴン……」


 その爪は鋼鉄を切り裂き、口から放たれる炎は岩をも溶かす。ドラゴンの咆哮を聞くときは世界の終焉だとの言い伝えはあるけれど、誰もその存在を信じてはいなかった。そんなものが存在していたら世界が混乱に陥ってしまうから。

 でも確かに今、目の前にその存在がいる。言い伝え通りその爪は鋭く、呼吸をする度にその口から少し炎が漏れている。どうしようもない絶望だった。


 私はそんな恐ろしい存在に見下ろされて震えるしかない。ドラゴンと目が合ったまま離せずにいると、上から魔王さまが私の顔を覗き込んできた。そして少しだけ顔をしかめてドラゴンを見上げる。


「お呼びですか」


 腹の底から響くような低い唸り声がした。あ、話すことができるのね……

 ギョロギョロとした瞳がまばたきもなくこちらを注視している。震える私とは反対に魔王さまはため息をついた。


「その前に伏せろ。怯えているのが見えんのか」

「その者は……?」

「私の花嫁だ」

「これは失礼を……」


 威厳ある風格とは反対にゆったりとした口調だった。魔王さまに怒られてしょんぼりしたのか、ドラゴンはぐるぐると喉を鳴らしながら首をもたげる。そしてこれまたゆったりとした動きで地面に伏せたのだ。

 びっくりだわ。もっと獰猛な生き物だと思っていたのに。


「これで良いですか」

「え、ええ……大丈夫よ」


 カラカラの喉からやっとのことで声を絞り出す。震えすぎて自分の声ではないみたいに聞こえた。

 すると私の背中を支えていた腕が私の頭へと伸びて、人差し指が私の頬を撫でた。くすぐったい。


「奴は私の忠実なしもべだ。図体はでかい割に気が小さいのが難点だが、まあ優秀な方だろう」

「そ、そうですか」

「低級の魔物なら羽ばたく風圧だけで吹き飛ぶらしいぞ」

「そうですね。実際に私も支えがなければ吹き飛んでいたでしょうし……」

「……」


 魔王さまはぐっと口を閉じていかにも「失言した」という顔をした。私は低級どころか魔界の住人ですらなく、騎士のように鍛えている人間でもないので吹き飛ぶのは当然なのだけど。


「いや、今のはそういうことではない」

「どうしましたか?」

「なんでもない」


 なんだかよく分からないけれど、良しということにする。ドラゴンはその間も大人しく伏せたまま私たちを見つめていた。ドラゴンの頭も大きく、地にあごが付くほど伏せてやっと私と目線が合うくらいだった。

 魔王さまが腕を離してくれないので背中を向けたまま顔だけドラゴンの方を向く。おかげで首が痛い。


「よろしくね」

「お見知りおきを」

「普段はどこに住んでいるの?」

「大抵は城周りの空を飛んでおります。たまに故郷の山脈に帰り、群れと過ごします」

「そうなの」

「背に乗ってみるか?」

「いいんですか? ってきゃあ!」


 私が答えるや否や体が宙に浮いた。確認したのが謎なほど早く魔王さまは私を抱えたままドラゴンの背に飛び乗ったのだ。ふわりと優しく降ろされて、私はおそるおそるドラゴンの鱗を踏みしめた。堅い。ヒールが鱗の間に挟まりそうで立ちづらい。


「飛べ」

「仰せのままに」

「ひいい!」


 ぐん! といきなりドラゴンが立ち上がるものだから私はバランスを崩してふらついてしまう。


「ちょ、ちょっとあの! 掴まるところはないのですか!」

「む」

「城を軽く一周しましょう」

「待って! 話を聞いて!!」


 もとより足下が平らではないので安定しない。それなのにドラゴンが立ち上がったことにより傾斜がついて足に踏ん張りがつかなくなってしまった。


「あっ」


 そしてとどめに翼がバサリと羽ばたいて、私の体は宙に投げ出された。ああ、もうこれはおしまいだわ。志半ばにして私の命はついえるのね。

 せめて最後に王都の名店喫茶のダージリンをいただいてから死にたかっ……


「おっと」

「いけません姫君。きちんと立ってください」

「あら」


 死を覚悟したのも束の間、いつの間にか私は魔王さまの腕の中に収まっていた。助かったのね。

 私の頭の上でため息が聞こえた。呆れてしまったかしら。そして仕切り直しだというようにドラゴンが咳払いを一つしてこちらをチラと振り返ったのだった。


「急ぎませんので、ご安心を」

「ご、ごめんなさい……」


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