第12話 甘いお菓子はいかが?


 そして次の日。厨房の悪魔たちは約束通りお菓子を作ってきてくれた。それは想像以上の量で、私の両腕でやっと抱えられる大きさのバスケットに山盛りで献上されたのだった。


「お前は焼き菓子が好きなのか」

「まあ、そうですね……紅茶のお供にもなりますし」

「そうか」


 魔王の玉座の目の前に堂々と鎮座する大量のクッキー。あまりの量に「作りすぎだ」と魔王さまが文句を垂れた。

 とりあえず一枚つまんでほおばると、ほのかに甘いハチミツの味が口いっぱいに広がる。甘い物を食べると幸せね。


「想像以上の量ですが、かえってちょうど良いかもしれないわ」

「……もしや普段の食事の量が不足して」

「違います! 私ではありません!!」


 私の頭上で魔王さまが明らかに引いた表情をしていた。この王は基本的には仏頂面の無表情だけど、ここ最近なんとなく表情が読めるようになってきた。今は片方の眉が少しひくついている。

 失礼ね、私はそんなに大食漢ではないわ。とはいえ、誤解のある言い方をしてしまったことは認める。


「このクッキーをあげてみたい子がいるのですが、一緒に来ていただけませんか?」

「私もか」

「失敗したら怖い目に遭いそうなので」

「まあ、毎度同行しても構わんが」

「あ、いえ今日だけで大丈夫ですわ」


 毎回一緒に着いてこられては気が気ではない。そこだけははっきりと断っておく。それにあんまり近くにいると脱出の手がかり探しをしていることを悟られそうだ。特に今のところ何も進展はないけれど、一応ね。

 心なしか魔王さまが肩を落としたように見えた。


「………まあいい。どこだ」

「それはですね、」




 ***




「ガルルルルルルウウウウウウウウウ!!」


 ここに来たいと行ったのは私自身だけれど、やっぱりこの猛獣の見た目は凶悪で怖じ気づいてしまう。

 私たちは再びケルベロスの扉の前に立っていた。無意識に魔王さまの腰にしがみついていたらしい。そっと手を離す。


「こいつは腐りかけの生肉しか食わんぞ」

「本当にそうでしょうか」


 魔王さまの魔法だろう、私たちの横で宙に浮いているバスケットから数枚クッキーを手に取る。なるべく大きいものを選んだ。


「ガウウ!! ガルルル」

「地獄の番犬ケルベロスは、幼い頃に勇者のおとぎ話で読んだことがあります。それが正しければきっと……」


 私は狙いを定め、えいっとケルベロスの口に向かってクッキーを投げ入れた。的があまりにも大きいので、腕に自信のない私でも吸い込まれるように入っていった。


「ガ……ウウ?」

「量が足りなかったかしら。えいっ! とうっ!」

「……腕ごと喰われるなよ」


 思ったような反応ではなかったので続けざまに十枚ほど投げ入れた。そしてしばらく様子を伺う。

 私の予想は確信に変わった。初めとは明らかにケルベロスの様子が違うのだ。


「ガウウ」

「まだたくさんあるわ。大人しくしたらもっとあげる」

「どういうことだ……?」


 ケルベロスは私の言葉を聞いたのかそれ以上吠える事はなかった。頭を垂れて大人しくしている。先ほどまで全身の毛が逆立っていたのか、今では二回りほど小さく見えた。

 牙もしまい口を閉じて「おすわり」の姿勢をとったケルベロスはじっと私の顔を見つめていた。その目はもう血走ってもいない。


「暴れれば強靱な力を発揮するケルベロスだけど、本当は理性も知性もある獣だった……と私の国で伝えられているわ。泣きながら暴れ回るこの子に勇者は持っていたハチミツのクッキーをあげると、まるで懺悔をするかのように頭を垂れて大人しく去って行った、とね」

「ふむ」

「本当はこの子、暴力を振るいたいわけでも血肉を食べたいわけでもないのだと思います」

「ガウ」

「はい、全部あなたのものよ」

「ガウガウ」


 バスケットごとケルベロスにクッキーをあげると、ボリボリと一気に平らげてしまった。そして今まで吠え続けて疲れていたのかすぐにうずくまり静かに寝息を立て始めた。その姿はまるで飼い慣らされた大型犬のようだった。


「こいつのこのような姿は初めて見たな」

「そうですか」

「次からエサは焼き菓子にした方がいいのか?」

「ぜひそうしてあげてください」


 ケルベロスの静かな寝息を聞いて私は安心した。この子が訴えていたことは、こういうことだったのね。

 食べたくないものを食べさせられて、力が抑えきれず暴れていたのかもしれない。


「魔物でも人間でも、力が強い者は本人の否応なく、利用されてしまうのかもしれませんね」

「そうか」

「少なくとも私はこの子の意思を尊重したいです」

「まあ、暴れ回って城を壊されても困るしな」

「……前から思っていたのですけど、あまりケルベロスに関心はないのですね。ペットなのに」

「勝手に遺されたものに興味などありはしない」


 そういえばケルベロスは先代魔王の相棒だと言っていた。これは触れたくない話題だったのかもしれない。もしかして怒らせてしまっただろうか。


「ごめんなさい」

「なぜ謝る」

「怒っていますよね」

「なぜだ?」


 おそるおそる魔王さまを見上げると、いつもと変わらない仏頂面だった。そうか、興味がないものには腹も立てないものか。

 なんだか無性に不安になって、私はここに転移してきたときのように魔王さまの腰にしがみついてみる。彼が驚いたように見えたけれど気のせいかもしれない。


「もう他には出かけないのか」

「ううん、そうですね……」

「なぜしおらしくなる。問題が解決したなら喜べば良い」


 それはそうなのですけど。と、心の中で抗議する。自分でも整理のつかない感情が体の奥に渦巻いている。

 先ほど見せた魔王さまの眼がとても恐ろしかった。本当に、興味のないものを面倒そうに見る目だったから。今までここの魔物たちと仲がよさそうだったから、あんな表情も出来ることに驚いてしまった。


 ――いつか、私に興味をなくす日が来たら。そのときが私の命日なのでしょうね。


 ケルベロスは強い魔物だから関係ないけれど私は別だ。今私がここで普通に生活できるのも、すべてこの王が私をなぜか気に入っているからなのだから。その庇護がなくなればたちまちに私は骨も残らず喰われてしまう。

 やっぱりこんな生殺与奪を握られている生活なんて不健全だわ。早く解放されたい。


 ぎこちなく私の肩を撫でる魔王さまの大きな手にある黒く鋭い爪が視界によぎった。ふと頭上からため息が聞こえてくる。


「仕切り直しだ」

「……」

「私の契約獣を見せてやろう。私が自ら契約を交わした、お前の言う本物の“ペット”とやらにな」




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