第10話 危険なペット・ケルベロスちゃん


「姫さま姫さま! 今日は良いところにお連れしますよ!」


 魔王の間の扉を開けた瞬間、またスライムが私を待ちかまえていた。以前あんなにひどい目に遭ったのにまたこんなことをしてるなんて。

 と、呆れと感心を抱きつつ私はスライムが導くまま魔王城を歩いていた。良いところって何かしら。本当に良い場所だと良いけれど。


「この前だいぶ蒸発していたけれど、もう大丈夫なの?」

「ご心配なく! すぐ蒸気から粘液に戻りますし、いっぱい食べたのでさらに分裂しました!」

「分裂?」

「僕の体はひとまとめにすると大きすぎて面倒なので、いくつかに分裂してそれぞれ別の場所を掃除しているのです! 分裂すると意識も分裂するので、ここじゃないエリアで会う僕は別の僕ですよ」

「う、ううん……? 分かったわ……」


 分かったような分からなかったような。とりあえず分かったことはスライムといい堕天使といい、不死身の存在はどうも不屈の精神を持っているらしいということだった。言ってしまえば懲りない性格だ。


「あ、ここです! この扉の奥」

「ええ……本当に?」

「はい!」


 通路の突き当たりに大きな、私の背の三倍はありそうな扉があった。私たちはそこで立ち止まる。扉は重厚そうな鉄でできており、来る者を寄せ付けない嫌な雰囲気がある。

 明らかに異質だわ。私、生きてこの部屋を出られるかしら。


「ね、ねえやめない? この部屋明らかに」

「さあ参りましょう!」


 私の制止もむなしく扉は非情にも開いていく。重く錆びた鉄が動くギギギ、という不快な音と共に奥の部屋から悪臭が漂ってきた。

 何かが腐ったような臭いと野良の獣の臭い。あ、ちょっと吐き気が……


「ガウウウウウウ!!」

「ひいい!」


 部屋に入ることは叶わなかった。なぜなら、入るスペースがなかったから。

 どうやら二枚扉になっていたらしく鉄扉の先にはまた鉄格子がある。ただその鉄格子の一本一本は私の胴体ほど太く、そして格子の間隔も私が容易に入れるほど隙間が空いている。

 ……これは侵入を許さない鉄格子ではないのだ。


「ガルルルルルルウウウウウウウウウ」


 中にいるを外に出さないための鉄格子。

 扉以上はありそうな大きさの黒い三つ首の猛獣がガシャンガシャンと鉄格子を揺らしながらこちらに向かって唸っていた。


「魔王さまのペットのケルベロスです! 元気いっぱいで可愛いでしょう」

「え、ええ……そうね………」


 思わず白目を剥きそうになって慌てて自分の頬を叩いた。いけない、これは一国の姫がしていい表情じゃないわ。

 あらためて猛獣、もといケルベロスを見る。三つ首ともこちらを血走った目で睨み、剥き出しの牙からよだれが垂れている。それから腐臭がする。ううん、とてもじゃないけど可愛いとは言えないわね。


「姫さま、あまり近づかないでくださいね。この子はいつでも飢えているので食べられてしまいますから」

「そう……」

「いくら肉を与えても満たされることはないらしい。こうして暴れ回るので憐れだが迷惑なので閉じ込めるしかない」

「あら」


 当然のように魔王さまが私たちの会話に割って入ってきた。もちろんここにはいない。玉座に座ったまま自由に監視してどこからともなく話しかけてくる。そんな不可思議な現象に私も慣れてしまった。


「どういった経緯でここに?」

「こいつは実父の相棒だったらしい。人間界を侵略するとき解き放ち、瞬く間にかの土地を血の海に変えたという」

「……」

「気に入る話ではなかったな。忘れてくれ」


 忘れていた。この城は魔王城だ。そして現魔王の父にあたる先代魔王は百年前に勇者によって滅ぼされた「悪」そのもの。


 ――魔王さまはなぜ人間に危害を加えないのかしら。父を人間に殺されて恨んだりしていないのかしら。なぜ私を……


「ガルルル! ガウウ!!」

「あっ」

「ここは面白くもないだろう。他の場所を探索すると良い、おいスライム」

「申し訳ありません!」


 私の視界の端でスライムが慌てて跳びはねているのが見えた。でも、私はケルベロスから目が離せない。


「フウウウウ! ガルルルルル!!」


 ガシャガシャと鉄格子を頭突きで揺らして、牙を剥いて、眼は血走って。こんな恐ろしい形相なのになぜか悲しい表情をしているように見えた。


「そうよね、いつもお腹が減っていては苦しいわね……」

「ひいい! いけません姫さまぁ!」


 ケルベロスは何かを訴えている。お腹がすいているのか、ここから出て走り回りたいのか……違う。もっと違う何か、もっと深刻で核心に触れる何かのような気がした。


「ケルベロス……地獄の番犬……もしかして」

「姫さまぁ!」

「そこまでだ。やめておけ」

「あら?」


 ふわりと何か柔らかいもので視界が塞がる。魔王さまのローブだった。後ろから優しく抱きとめられてこれ以上は動けなくなる。


「近づきすぎだ」

「わっ! いつの間に私ったら」


 ケルベロスを見つめながら知らぬ間に歩み寄ってしまったらしい。視界が開けるとそこは猛獣が目と鼻の先で、手を伸ばせばその牙に触れてしまうくらいに近づいてしまっていた。


「ありがとうございました、魔王さま」

「……ああ」


 頭上の魔王さまを見上げたけれど、彼はケルベロスをじっと睨んでいた。それはとても鋭く恐ろしい眼差しで、私には向けて欲しくないなあとぼんやり思う。


「……忌々しい」


 魔王さまはそれだけ呟くと、私を抱きかかえたままケルベロスに背を向けて歩き出した。

 あら、このパターンはもしや。


「あの、今日の探索は」

「終いだ」

「そうですか……」


 やっぱり。魔王さまの機嫌を損ねたら終了の合図なのね。

 私はため息をついて、明日は中庭に行ってみたいなあと窓の外を眺めたのだった。


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