第9話 進展をください


 魔王城の探索は思った以上に難航していた。お城の中があまりにも広すぎることしかり、自由に散策をする時間が短すぎること然り。

 そして一番恐ろしいのが魔王の能力だった。堕天使曰く、魔王はこの魔界すべてを視る事が出来る千里眼の持ち主らしい。なので玉座に座ったままでこの世界のすべてを監視している。


 そんな魔王はどんなに遠く離れていても私がどこで何をしていようとすべてお見通しらしく、その上頻繁にどこからともなく私に話しかけてくるので変な行動が一切出来ない。探索中に考え事をしたり、何かに驚いたりすると突然「どうした」と声が降ってくるものだから気が気ではないのだった。


 ――どうしましょう。このままでは一生抜け出せる気がしないわ。


 不安で仕方がなかった。今、私の国はどうなっているのだろう。ちゃんと平和なままなのだろうか。お父様や姉様たちは無事なのだろうか。

 特に夜にこうしてベッドに潜っていると寂しさと不安で押しつぶされそうになってしまう。


 おどろおどろしいお城の雰囲気とは正反対に、私の魔界での生活は安定していた。毎日三食湯浴み付きにふかふかベッドの個室の寝室は案外快適で、それが逆に恐ろしく感じる。魔界の生活に慣れてしまう一方でこのままでは嫌だ駄目だというジレンマが消えない。


「どうした」


 また声が聞こえた。けれど今は千里眼の力ではなく目の前に魔王がいる。ベッドに横たわったまま目を開けると、私を見下ろす感情の見えない冷たく赫い瞳がそこにあった。


「人間は眠るものなのだろう。どうした」


 どうしたと言われても、眠れないものは眠れないのだからどうしようもない。私は少し迷ったけれど、いい誤魔化しが思い浮かばなかったので本当のことを話してしまった。


「考えていました。私のお城のことを」

「……」

「私のお城は、お父様や国の民は平和に暮らしているのでしょうか」

「もうあれは“お前の”城ではない。お前の城はここだ」

「……っ」


 分かりきっていたことなのに、どうしてこんなに胸が苦しいのだろう。

 帰りたい。その一言は恐ろしくて口には出来なかった。


「なぜ泣く」

「泣いていません」


 帰りたい。戻りたいの。今まで自分で自分を奮い立たせてきたけれど私の心は限界に近かった。こんな風に何の心構えもなく突然連れ去られて不安にならない方がおかしいわ。

 魔王の言いつけもあってここの住民は表面上は気さくだけど、本当は人間は食料だと思っている魔物ばかりだし。


「家族や故郷のことを思うと、眠れなくなるのです」

「そうか。王国は今までと同じ平和そのものだぞ。私は何もしないと誓っただろう」

「確かにそうですけど……」


 魔王城の魔物たちは素性がどうであれ、私や人間界に手を出す者はいない。それは確かだった。なので魔王の言うことも嘘ではないのだろう。今までと違うのはちょっとお父様が寂しがってくれていることくらいかもしれない。それはそれで哀しい。

 けれど、最後に見たお父様の脳天気な「たまには帰ってくるんじゃぞ~」を思い出して、私の高ぶった感情がスッと冷えていくのを感じた。


 ――もしかして、こんな感傷的になっているのは私だけなのかしら。お父様含め国の皆ってけっこう楽観的だし。本当に平和に暮らしてそうね。それならいいのだけど、少し寂しいわね。


「舞踏会だってもうすぐ……」


 そう、もうすぐ私は十八歳になる記念の舞踏会で運命の相手を決める予定だった。もしかしたら運命の王子様が現れたかもしれないのに、と思うとやるせない。


「もしや、すでにお前には婚約者がいたのか」

「いえ、まだですけど……きっと」

「それはおかしな話だな。人間界の王族ともあろう者がその歳で自由の身とは」

「えっ」


 ギクリ。思いもよらない魔王の言葉に私の体は強ばった。


「噂によると王族は国の繁栄と血の存続のため、母の腹の中にいるときから婚約者探しをするらしいぞ。あんな大国の姫ならば幼少期ですでに貰い手がごまんと……」

「ど、どどどうしてそんなに人間界の事情に詳しいのかしら」

「私は物事を成すときは徹底的な下調べと計画を練る主義だ。お前のことも調査した」

「なんですって!?」


 いてもたってもいられず勢いよく布団を引っ剥がして飛び起きる。その慌てように魔王の口角が少し上がっているように見えた。わ、笑われている。


「大国の王家には王子が三人、王女が四人。お前は一番下の第四王女、通称おてんば姫。真面目な兄姉となにか育て方が違ったのか? なかなか根性と行動力がある」

「ああああ……」

「しかしそのせいで婚約者候補は皆逃げ出したそうだな。可哀想に、毎年誕生日に舞踏会を開いているのか」

「どうしてそんな的確に傷口を抉るんですか! もういいです!」

「そうか」


 魔王の言葉を遮るように私は頭から布団をかぶってうずくまった。魔王ってこんなに饒舌だったかしら、今までの十倍くらいしゃべっている気がする。


「それでいい」

「え?」

「ここに来た頃は、お前は怯えていて危うかった。今は少しはまともに会話が出来るようになったようだな」


 今も怯えているのですけどね……と言いかけてやめた。確かに、最初よりは命の危険は感じなくなってきたけれど。


「ここでは何をして何を言おうがお前の自由だ。好きに生きると良い」

「……はい」


 なぜだかチクリと胸が痛んだ。その言葉は……

 風もなく、音もなくいつの間にか魔王は姿を消していて、ここには静寂しかない。けれど私はのそのそと再び起き上がり、先ほどまで魔王が立っていた場所をしばらく眺めていた。


「その言葉は、家族に一番言って欲しかったものなのに。あの人が言うなんて不思議ね」


 ずっと警戒して怖がっていたけれど、少しくらいなら心を開いてみても良いかしら。皆と同じように「魔王さま」と呼んでみてもいいかもしれない。簡単だなあ、私。

 こんな薄暗い魔界でも昼夜の概念があるらしく、もう時計の針は真夜中を過ぎていた。私は布団に深く潜り今度こそ深い眠りについたのだった。


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