第2章 姫、とりあえずさまよう

第8話 可愛いあの子がまさかそんな


 よし、これであとは脱出の手がかりを探すだけだわ!


 ……と意気込んでから十日。何も進展がないまま時間だけが過ぎてしまっていた。


「ごきげんようです! 姫さま」

「ごきげんよう。最近良く会うわね」

「えへへ」


 魔王の謁見の間から出てすぐにスライムと鉢合わせた。ここ毎日会っている気がする。


「いつも姫さまはこの時間にお出掛けになるので、僕もこの時間はここを掃除することにしたのです」


 つまりは偶然ではなく待ち伏せだったということね。しゃべる度にスライムの体がぷるぷると嬉しそうに揺れる。

 揺れた拍子にスライムの体の一部が跳ねて、ジュッと床が不吉な音をたてながら蒸発した。


 忘れていたわ……可愛らしい態度に似つかわしくないこの凶悪な溶解液を。近寄りすぎないようにこっそりと距離を保つ。


「掃除は大変?」

「いいえ! 僕はただ這うだけで色んなモノが溶けてゆくのです!」

「そ、そう……」

「この住居エリアはとてもきれいなので、あまりヘンなモノはないですが」

「へえ、他にも色んな用途のエリアがあるのね」


 私はこの階とその下の階、建物の二階分の自由行動しか許されていない。おそらくその範囲が住居エリアなのだろう。

 外から見た魔王城はとてつもなく大きく高くそびえ立っていたので情報収集には苦労しそうだった。


 ――こういう人懐こい魔物と仲良くなれば色々な情報を聞けるようになるのね。敵対する理由はないもの、頑張ってできるだけ多くの魔物と仲良くなっておきましょう。

 とはいえ、そんな損得勘定を抜きにしてもこの子は可愛いわ。あまりに懐いてくるのでつい贔屓してしまう。


「ここは魔王さまとごくわずかな側近が住まう住居エリアです。他にも滅殺エリアや拷問エリア、遊戯エリアなどがありますよ!」

「ま、まあ……」

「遊戯エリアには常駐の悪魔修道士がいますので、たとえそこで死んでもすぐ生き返ることができて便利ですよ!」

「私の想像するお遊戯とは別物のようね……」


 唯一平和そうな名前のエリアでこの残虐ぶりだ。他は言うまでもないだろう。

 それにしても命を弄ぶことは神への冒涜なのだけれど、魔界は違うらしい。人間界でそんなむやみやたらに蘇生魔法をしたら神に怒られそうだ。


「姫さまはこれからどちらまで行かれるのですか?」

「どこというほどまだこのお城について詳しくないの。まだこの階すら全部見れていないから」

「そうだったのですね! 良かったら僕が色々と案内しましょうか? 秘密の通路も……はっ!」

「秘密の通路? それはぜひ知りたいわ!」

「楽しそうだな」

「……はっ!」


“秘密の通路”とはなんてすてきな響きなのでしょう! 私がさらに詳しい話を聞こうと前のめりになった時、ふと自分の視界が暗くなったのを感じた。おそるおそる振り返ると……いつの間にか魔王が仁王立ちで私たちを見下ろしていた。


「貴様はずいぶんと姫がお気に入りのようだな。毎日待ち伏せとは良い身分だ」

「そんな滅相もないですよ! 僕はただ」

「最近食い過ぎで肥えすぎている、少し体積を減らしてやろう」

「ひいいっ」


 魔王がそう言うや否やスライムの体に炎が沸き、その一部がジュッと音を立てて蒸発した。

 なんて禍々しくて黒い炎……魔界の王は何の動作も呪文もなく簡単に魔法を使えるのね。恐ろしい。そのまま私は腕を引かれて魔王の体にすっぽり収まってしまった。


「あの、少しやり過ぎでは……」

「こやつらの好物は軟らかい肉だ。さしずめ姫もかどわかして溶かし喰らおうとしたのだろう」

「僕はそんな命知らずじゃありませんよう! 確かに姫さまは美味しそうですけどごめんなさいいい!」


 さらにもう一度スライムはジュッと蒸発し、一回り小さくなってしまった。可哀想ではあるけれど、それよりもショックの方が大きかった。


 ――あんなに可愛いと思っていた子に、まさか捕食対象だと思われていたなんて……本当にここは油断ならないわ。


「確かにただの人間なら食べちゃいますけど、姫さまを食べたりなんかしたら魔王さまに何をされるか恐ろしくて出来ませんよう!」

「生まれてきたことを後悔させてやろう」

「許可が下りたら食べちゃうの……」


 最後に「すみませんでしたあああ」と捨て台詞を残してスライムは壁の隙間に潜って逃げ去ってしまった。

 たかが探索、されど探索。やはり一筋縄ではいかない。私はひとつ大きなため息をついた。


「ここでは人間わたしは食料として見られてしまうのですね」

「肉食の輩は大体がそうだ。今ひとつ私の対策が甘かったようだな」


 魔王は私を連れて玉座に戻る。まだどこへも出かけていないというのに、今日の所は強制終了させられてしまった。残念だわ。


「城の者に触書ふれがきをするとしよう」

「ふれがき?」


 何かをしたためているのか、魔王は人差し指で空中に文字を描いているようだ。一体どんな御触書をしたのかしら。私は首をかしげながら魔王の指が動くのを一部始終見つめていた。

 魔界の文字らしく、読み解くことは出来なかった。


「なんて書いたのですか?」

「姫サマを魔王だと思って無礼なく接しろ、いつだって監視してやるってよ」

「きゃっ」


 いつも堕天使は音も気配もなく現れるので心臓に悪い。魔王の指先に集中していたせいもあって、堕天使がいつ私たちの目の前に来たのか全く分からなかった。そして私が驚くと意地の悪い笑顔を浮かべるのもお約束だ。


「ほらよ魔王サマ、報告書そのイチだ。あいつらの動きが気になるな」

「そうか」

「姫サマも大変だなあ。まあ、俺から見ても美味そういででで痛!」

「あの人も肉食なのですか?」

「お前は知らんで良い」


 意味が分からず首をかしげると、魔王は無言で私の頭を撫でるのだった。視界の端で堕天使が「姫サマは純粋で良いねえ」とあざ笑うのが見え、さらにまた痛そうな音と声が聞こえた。


 ――この日々に慣れてきてしまっている自分が怖いわ。なんだかんだでこの十日あまりで行動できた範囲がほんの少ししかない。明日は新しい発見があると良いけれど。

 誰も傷つけず、平和にここを脱出する。本当にそんなことが出来るのかしらと不安になりながら私は自分自身を鼓舞することしか出来ないのだった。





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