第7話 常識は通用しない
「遠慮するわ」
私ははっきりとそう口にした。堕天使はその答えが予想外だったのか、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔になった。
「もったいねえな。なんでだ?」
「そもそも私は一度たりとも“この城を出たい”なんて言ってないもの」
そう、彼は堕天使なのだ。人間を誘惑し、人の道を踏み外させるのを得意とする者の言葉なんて信じられない。当たり前の話だった。
いくら窮地であろうと絶対に信じてはいけない部類の住人だ。
「私は世界の平和と引き換えにここに来たのだから、だ、だから、その……要らないわ!」
「……ぷっ。くくくくく」
「は?」
意地悪な表情から一転、今度は無邪気な少年のように心から楽しそうに笑い始めた。わけが分からない。
「悪い悪い。ちょっとからかっただけだ」
「なんなの……」
「実のところ姫サマの本心はどうでもいいから探んないでおくけどよ、あまりに緊張した顔つきだったからつい、な?」
「……」
「まあでも姫サマは賢い子だったワケだ。恐怖のあまりこんな得体の知れねえ奴にすがっちまうおバカな脳みそだったらどうしようかと思ったなあ」
試したのね。私が愚かな人間かどうか品定めしていたんだわ。
これで私がうっかりうなずいていたらどうなっていたのかは考えないことにした。きっとろくでもないことになっていただろうから。
「……私、早速貴方のことが嫌いになったわ」
「悪かったって! 仲直りしようぜ? 指切り、な?」
ずい、と堕天使は小指を突きつけて取り繕うように笑う。いやもう騙されないわ。私はぷいと顔を背けた。
「なあ頼むよ、機嫌直してくれって。じゃなきゃ俺……ぐうっ!」
ベキャ、ボキンッ。
すぐ近くで不快な音が聞こえて、思わず呼吸が止まる。
「相変わらず不届き者だな貴様は。一度死んでおけ」
魔王の声だ。いつの間にか帰ってきたんだわ。おそるおそる辺りを見回す。
いつの間にか数歩離れている堕天使が口から血を吐いていた。よく見ると腹に風穴が空いている。う、嘘でしょ……
「奴は見た目に反してどうしようもない汚物だ。あまり見ているとお前の目が穢れるぞ」
「あっ」
ふわりと私の体が浮き上がり、再び魔王が玉座に腰を下ろした。そしてまた私は魔王の膝に座ることになる。
魔王の手で優しく目隠しをされてもう堕天使の姿は見えないけれど、バキボキと耳障りな音と彼の苦しむ声が聞こえる。目に見えない圧力で体をへし折られているらしい。
「お前を傷つけたこと、代わりに俺が詫びておこう。許せ、仕置きをしておく」
「ま、待っていくらなんでも……」
「がぁっ、ぐふっ」
「やめてください! 私そんなに傷ついてませんから! 殺さないで!」
なんなの、味方ではなかったの? 力の限りわめいて暴れると、魔王が「お、落ち着け」となだめ始めた。落ち着けるわけないじゃない! むしろなんで魔王がちょっと焦ってるのよ!
「分かった。もうやめにする」
ピタリと不快な音がやみ、私の目隠しが外される。ごめんなさい堕天使さん、私こうなることを望んだわけじゃ……
「お、ラッキー。俺まだ死んでないじゃん」
「は?」
「だから言ったのだ……」
「堕天使は超再生するし死んでも死なない不死身の存在。姫サマは知んなかった?」
「……は?」
そんな話聞いたことない。自然と自分のこめかみに青筋が立つのが分かる。いけない、だんだん粗野な態度になってしまっているわ。
こほんとひとつ咳払いをして、私は静かに言い放った。
「そうね、やっぱり一度くらいは死んだ方が良いかもしれませんね」
「そうだろう」
「そんな、もう少し温情かはっ」
ベキャン! と首から派手な音を一つ立てて堕天使はその場に崩れ落ちてしまった。
……本当に大丈夫かしら。ノリで死ねなんて言ったのは生まれて初めてだわ。
「……それで、魔王さまは今までどちらまで?」
「魔界と人間界をつなぐ
「そ、そうでしたの」
何を焼き払ったのかはあえて聞かないことにする。確かに、
魔族の侵略を律儀に防いだということは、やっぱり人間界を守るつもりはあるのだ。魔王はあの信用ならない堕天使とは違って話が通じる相手なのかもしれない。
とはいえ魔王が強大な力を持っていることは変わりない。なるべく波風を立てずに怒らせないようにしなければ。
「じゃあ姫サマよ、さっき歩き回ろうとしてたのはなんでだ? 大人しく囚われのお姫サマになってればいいのに」
「あらもう起きてしまったの」
「超回復だからな」
なんともないようで少しだけ安心した。どうやらあの大惨事からもう堕天使が復活したようで、やれやれと首をポキポキ鳴らしながら立ち上がる。さすがに慣れているだけあるわね。
「だって暇なんですもの」
「暇って……」
言い訳半分、本音半分。探索をごまかすために言ったことだけれど、嘘はついていない。
「私は元々大人しさの欠片もない人間ですので。お城にいた頃もよく町や森に出かけていたし」
「ククク……」
お父様や大臣たちにやれおてんば姫だ、じゃじゃ馬姫だと怒られていたっけ。それも遠く懐かしい記憶になってしまった。
そんなに時間が経っているわけではないのに、不思議ね。
「ずっとここに座っているなんて私にはできません。それにせっかく住むお城なんですから、じっくり探索してみたいわ」
我ながらとても良い話の流れに持ち込んだと思う。これなら魔王城を探索しても怪しまれない。
現に魔王も納得したように「そうだな……」と小さく呟く。
「この階とその下の階……二階層のみなら構わんだろう」
「それでいいのかよ? 逃げ出すかもな?」
「逃げ出せると思うか?」
「ま、それもそうだな」
こんなに上手く行くとは思わなかった。けれど上出来な結果に私は満面の笑みを浮かべる。
ただ、魔王はやっぱり自分の城の守りに絶対の自信を持っているようね。なんとかできるかしら……
堕天使みたいな奴が他にもゴロゴロいるとしたら先行きが不安になってしまう。
「私はここにいる。あまり長くは席を外すなよ」
「……はい」
そんな私の心の中を知ってか知らずか、魔王は指先で私の顔の輪郭をなぞりながらそっと呟いた。
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