第6話 甘い話はありますか?


 スライムが去ったらまたとても静かな部屋に戻ってしまった。魔王の顔が私の真上にあって、私の顔を覗き込んでいるのが気配で分かる。

 気まずくて目を合わせずに前を向いていると、魔王の指が私のあごに触れた。


「上を向いてみろ」


 返事をする前に人差し指で上を向かされてしまった。私の意思は関係ないみたいね。それでも、魔王の声がとても穏やかだったので恐怖は感じなかった。

 しばし見つめ合う。私という人間の生態でも観察しているのだろうか、魔王は出会ってから何度かこうして私をまじまじと見つめることが多い気がする。

 魔王の深い赫の瞳がまっすぐに私を射貫く。


「お前は……む」

「?」


 何を言おうとしていたのだろう。魔王は急にあさっての方向を睨んでため息をついた。私も視線の先をたどってみたけれど、そこにあるのはただの壁だった。


「面倒な……」

「あの、何か」

「少し外に出てくる」

「えっ」


 願ってもない。私は予想外の展開に間抜けな声を出してしまった。ずっとこのまま魔王の体に埋もれる生活なのかと思っていたわ。


「すぐ戻る。ここを離れるな」

「は、はい」


 魔王は立ち上がるとき、名残惜しそうに私の頭を撫でてからこの部屋を去っていった。ぽつんと広い部屋に私だけが残された。


「本当に行ってしまったわ……」


 私が従順に言いつけを守るか試されているのかと思って少し待ってみたけれど、帰ってくる様子はなかった。あら、意外とあっさり解放されたわね。

 一人で座ると玉座は広すぎて空間を持て余してしまう。ぷらぷらと足を遊ばせてじっくりと作戦を考えることにした。


 ――あまり最初から冒険をしすぎると後が怖いわ。言いつけを守らなくて魔王が怒ってしまったら、次から拘束されてしまうかもしれないし。ここは慎重に少しずつ行きましょうか。


 その上ここは魔王城。どんな罠や危険なモンスターが潜んでいるか分からない。まずはこの部屋を調べてみることにした。

 玉座からぴょんと飛び降りて着地する。魔王の体格に合わせて設計されているせいで降りるのも一苦労だ。辺りを見回して誰もいないことを確認する。


「……よし」

「なにがよしなんだ?」

「きゃああ!!」


 全然気づかなかった! たった今誰もいないことを確認したはずなのに! 突然耳元から声が聞こえて、私は震えながらまた玉座によじ登ってしがみついた。心臓が痛いくらい跳ね上がってバクバクと悲鳴を上げている。


「悪い悪い、そんな驚くなよ……っつっても怖いか」


 おそるおそる振り返って声の主を確認する。

 ……この場に似つかわしくない、背中に純白に輝く大きな六枚の翼を持った天使がそこにいた。まるで私のお城にあった絵画のように整った目鼻立ちの、美しい天界の住人。


 ――どうして、こんな魔界に?


「貴方は、天使?」

「残念。“元”天使サマだ」


 ああ、なんだ。そういうことね。私は少し肩を落とした。


「堕天使にしては美しい翼をしているのね」

「天から墜ちたからって翼が穢れるワケでもないんだぜ。俺は俺のまま、俺であることに変わりはないからな」


 理解したようなそうでないような……哲学はよく分からないわ。私が首をかしげながら話を聞いていると、堕天使は心底おかしそうに笑った。残念だわ、美しい顔が台無しの意地悪な表情しかしない。


「まあそんなむくれんなよ。俺の話なんかつまんねえだろ」

「私を見張りに来たの?」

「ご名答。魔王の言うとおり、“待て”ができないおてんば姫だったようだな」

「人をそんな犬みたいに……」


 不思議なことに彼には一切の恐怖を感じなかったので、つい思ったことを口走ってしまった。彼が砕けた口調でフレンドリーだからだろうか。それとも、堕天使だというのに天界の主のまま清らかな空気をまとっているからだろうか。


「やるなら上手くやらなきゃダメだぜ? お前ずっと顔に書いてあんだよ、“今すぐここから逃げ出したい”ってな」

「なっ」


 前言撤回。油断ならない奴だった。堕天使は意地悪な笑顔のまま私に詰め寄ってきた。警戒のあまり玉座の上でうずくまる。


「本当に逃げ出したいなら色んなモノを上手く利用して賢く立ち回らなきゃなあ。ここは難攻不落の魔王城だ、無力な姫サマが易々やすやすと脱出できる場所じゃない。それ相応の努力をしなきゃ」

「あ、貴方何を言っているの? そんなこと言ったら」

「さあ? 俺は俺のままいるだけだから、知らねえなあ」


 なんなのこの人。味方なのか敵なのか分からず混乱する。


「なあ姫サマ。俺が手伝ってやろうか」

「は……?」

「一人じゃ情報収集も脱出経路もままならねえだろ? 俺がこっそり色々流してやるよ」

「な、んでそんなことするの……?」

「俺はいつだって面白い方の味方だからな。最強魔王の補佐より断然刺激的じゃねえか。姫サマだって願ってもない話だろ?」


 ニヤニヤと歪んだ笑顔が迫ってくる。それなのに、私の視界を覆う天使の翼はどこまでも純白で。


 ――確かに、願ってもない話だわ。何でも利用できるモノは使うに越したことはない。でも、でも。


 堕天使は得意げに「な?」と意見を押しつけてきた。これは危険な賭だ。私が決めなければならない、正解の選択は?

 そんなの決まってる。私は大きく息を吸い込み、はっきりと言葉を口にしたのだった。


「遠慮するわ」





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