第4話 控えめに言って絶体絶命
魔王の血を飲んでしまった。それは私が予想するより遙かに危険な事態だったらしい。まるで今にも破裂してしまいそうなほど強く、そして激しく私の心臓が暴れ回ってる。
それは「どうして飲んでしまったんだ」と私の体が私の判断を責めているようだった。そんなこと言ったって、そうする他なかったというのに。
「今は眠ると良い。
だんだんと体に力が入らなくなり、ついに完全に私は意識を手放した。
***
「魔王様、いかがなさいますか」
「魔王様……」
いろんな声が聞こえる。老若男女様々な声が魔王にひれ伏している。
私はどのくらい眠っていたのだろう。徐々に感覚が戻ってきたけれど、体が鉛のように重く腕一本さえも動かすことができない。
――困ったわ。まさか拘束されていているのかしら。
やっとの思いで瞼を少し開ける。焦点が合わずにぼんやりとしか見えない。
「魔王様、姫が!」
「そうかついに……」
何かを言っているようだけどあまり頭に入ってこない。まるで聴覚も視界も意識さえも霞がかかっているかのようではっきりしなかった。
しばらく誰かは魔王と会話を交わして立ち去ってしまったようだ。しんとした空気が流れる。
「本当に目を覚ましたのか?」
今度ははっきりと魔王の言葉を聞き取ることができた。目は覚めているのだけど、体が言うことをきかない。
それに何か違和感がする。魔王の声が私の真上から聞こえてくるのだ。それに私はどこかに腰掛けているらしいけれど、とても座り心地が悪い。安定しない上に堅い。魔界にはソファもクッションもないのかしら。
……そのときだった。
「まだ体が馴染んでいないのか、では……」
「ふぐうっ!!」
――デジャブだわ。この感覚何度目!?
再び私は喉の奥に衝撃を受けた。けれど叩き起こされたおかげでやっと私の意識がはっきりした。ここは一体どこで、私がどうなっているのか。
「遅かったな。待ちくたびれた」
「ひいっ」
とんでもないことになってしまっていた。やはり私はまた魔王に指を突っ込まれていた。目が覚めたことを確認するとすぐに口から引き抜かれたけれど、その指にはかすかな傷が見えた。また、血を飲んでしまったみたい。
そしてさらに驚いたことに私はただの椅子に座っていたのではなかった。玉座に座る魔王の膝の上に座っていたのだ。
動けないと思っていたのは魔王に後ろから抱きかかえられていたからで、座り心地が悪いのは魔王の膝だったからだった。
これまでの人生の中で椅子と言えばふかふかの羽毛や羊毛が詰まったシルクのクッションがお決まりだったので、今はただただお尻が痛い。
ただひとつ救いなのは、魔王の装いが鎧からローブのような布地の衣装に替わっていることだった。禍々しいデザインには変わりはないけれど、あのゴツゴツした鎧にもし座らせられてられていなくて本当に良かったと心から思った。
「何だ。何か言いたいことでもあるのか」
う、なんて怖い形相なの。
文句の一つでも言ってやろうかと思っていたのだけれど、そんなことをしたら瞬時に消し炭にされそうなほどの威圧感があった。瞳孔の開いた赫い双眼が瞬きもせずに私を見下ろしている。
――だめよ。今は抵抗しては命に関わるわ。落ち着いて。
「私が恐ろしいか。そうか」
何が面白いのか、魔王はクククと喉を鳴らしながら笑っている。花嫁が恐怖で震え上がっているのを面白がる花婿などあっていいものではない。やはり感覚がおかしい。
けれど私の頭を撫でる手はとても丁寧で優しい手つきだったので、ますます理解不能になってしまった。
――とりあえず、何か会話をしてみようかしら。そうしないと何も始まらないわ。とにかく何か、当たり障りのない……
「……貴方は」
「……」
「お城の中と外では、お召し物が違うのかしら」
「……」
まさかの無反応なんて。判断を間違えてしまったかしら。
頭を撫でる手も止まり、時が止まったように私を食い入るように見つめている。
……いえ、始めから食い入るような目つきだったけれど。
「震えながらする問いがそれか」
「……」
「本当は聞きたいことや訴えたいことが山ほどあろうに。当たり障りのない会話で私の機嫌を損ねないようにしたのか」
恐ろしいくらいに図星だった。そして見事に魔王の機嫌を損ねてしまったようだった。なによ、なんなのよ。私はどうすれば良かったの?
「なぜ泣く」
知らぬ間に涙が出ていたようで、次々と目から大粒の雫がこぼれ落ちていく。けれど止めることはできずに私のドレスの胸元が湿っていった。
「私は、こ、殺されてしまうの……?」
「なぜそうなる」
「貴方を怒ら、せてし」
「私は怒っていない」
どうやら本当に意味が分からないらしい。魔王は大きなため息をついて目を細めた。私も意味が分からない。
「ふむ、どうやら大きな誤解が生まれているらしい。落ち着いてよく聞け」
「……はい」
「私はお前を殺しはしない。お前はこの城で死ぬまで暮らすのだ……私とともに」
「……」
「それが、約束だからだ。あの日の……」
約束?
誰かと何か大切な約束を交わしたのかしら。確かに、勇者が倒した先代の魔王はとても残酷で凶悪な存在と伝えられている。そんな奴の子孫が人間の私に歩み寄るなんて、よっぽどの……
「……遠い過去の話だ。人間の寿命などあっという間だからな」
「そう、でしたか」
魔族の寿命は凶悪な者ほど長く、魔王は千年と言われている。人間とは比べものにはならない。きっと約束の相手はもう……
それでもひたむきにその約束を守ろうとする魔王は、先代の凶悪な魔王とは別物といえる。
――それでも、私を巻き込まないで欲しいのですけれど! 私が王宮に戻りたいのは変わりませんわ!!
迷惑な話だ。確かに私は魔王を誤解していた。けれど私が人類の犠牲になる理由にはならない。私には白馬の王子様が、待っているはずなの! たぶん!
――さて、身の安全は確保されているのは分かったけれど。次は脱出する手がかりを見つけなければならないわ。
表面上はしんみりしている空気の中、私の心の中はやる気の炎がメラメラと燃え上がっていたのだった。
「……ちなみに城を出る際はいつも戦闘用の鎧に着替えているのだ。城の中まで鎧だと少々動きづらいのでな」
「あ、そうでしたの……」
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