第2話 こんなことある?


 この世の恐怖を凝縮したかのような禍々しい魔力を携えながら、そのは話を続けた。


「私は戦いをしに来たのではない。無益な殺し合いはしない主義でな」

「えっ……」


 しまった、思わず声が漏れてしまった。私は急いで自分の口を塞いだ。


 ――そんなはずはない。これは平和な話し合いじゃないわ。これはおそらく交渉という名の一方的な要求で、逆らったらきっと……


「お、お前は……一体どこから……」

「私は普通に歩いてきたぞ。まあ、そんなことはいい」


 同じく思わず漏れたのだろう、お父様の呟きには嘲笑混じりに応えた。鎧の奥からわずかに見えた瞳で表情を確認できた。どうやら人型の魔族らしいけれど、人らしい感情は見えない。


「単刀直入に言おう」


 ビシビシッ!!

 また閃光が走ったかと思えば今度は瞬きする余裕もなく、お父様と騎士長は数歩後ろに弾き飛ばされた。逆に私は魔王に引き寄せられていて、痛いほど強く腕を掴まれている。

 いつの間に……


「――!」

「暴れるな」


 振りほどこうともがけばもがくほど更に強く引き寄せられ、ついには片腕で抱きすくめられてしまった。の背丈は私の頭二つ分ほど大きい。そして鎧を身につけているせいもあるけれど胴体が私の倍はありそうに見える。力の差が大きすぎて、私は身動きすらできなくなってしまった。


「ぐうっ、ひ、姫」

「ひ、姫様っ……」

「そんな苦しい声を出すな。軽く突き飛ばしただけだろう」

「軽く……!?」


 お父様は腰を抜かしたまま動けず、騎士長も先ほどのやりとりで戦意喪失してしまったみたいで放心している。

 でもそうなってしまうことを責めることはできなかった。もとより平和な国だったので、騎士たちもこのような脅威に立ち向かったことなどないのだから。


 しばしの沈黙が流れた。


「……平和が欲しいか?」


 このとてつもなく重い沈黙を破ったのは誰でもないだった。何をいきなり言い出すかと思えばあまりにもこの場に似つかわしくない言葉だったので、思わず私たちの口から「は……?」と声が漏れた。


「私はこう見えても平和主義でな。一つ条件を呑むのなら、人間界に手出しをしないと誓ってやろう」


 理解不能な三人を置き去りにして、はぽんぽんと私の背中を優しく叩いた。

 ……意味が分からないのだけど。平和主義って何だったかしら。


「姫をこの私、魔王の花嫁として魔界に連れ帰ることを条件にな」


「なっ」

「ん?」


 今なんて? 聞き間違えたかしら。

 しばらく思考停止していると、もう一度「お前を、連れ帰る」と念を押されてしまった。

 んん? なぜ……!?


「ええええええええ!? 私!? 姉様たちや兄様でもなく!?」

「ああ、お前だ」

「そんな……白馬の王子様……」

「姫や、少し黙っておれ。緊迫感がなくなる」


 そうピシャリと言い放つお父様も凜々しい顔だが腰が抜けたままだ。緊迫感の無さに拍車をかけている。


「魔王よ。もし、断ると言ったらどうするのだ」


 改め魔王の眼が楽しそうに歪んだ。なんとも邪悪な笑顔だった。


「ふむ、そうだな……手始めにこの国を滅ぼそう。そして人間界すべてを焼き払い、行き場のなくなった憐れな姫を貰うとしよう」

「え、ええ……」


 ――初対面よね? どうして私こんなに気に入られているのかしら……


 理由は分からないが、本気だと言うことは理解できる。実際に魔王が力を発揮すればいとも簡単にこの国は焼き払われてしまうだろう。それほどまで強い魔力を秘めていることは分かる。


 だからといって……


「お父様……」

「……ううむ……」


 私は一縷いちるの望みを持ってお父様の顔を伺った。しかし次の瞬間信じられない言葉を聞いたのだった。


「よし、姫はくれてやる。どうせ結果が変わらんのなら仕方ない」

「え、えええええ!?」

「物分かりのいい奴だ。それでいい」

「良くないわよ! なんで!? どうして!? 普通ここは『命に代えても娘は渡さん!』という流れになるのでは!?」

「だって勇者の血族絶えちゃったし、どうしようもないではないかの~」

「可愛く言わないで!」

「騎士長たる私もまるで歯が立たず未だ全身が痺れております……」

「……というわけだ、可愛い娘よ。世界のために頑張っておくれ」

「信じられない!」

「……まあ、その、なんだ」


 あまりにも潔く二人が手を振るものだから、魔王の方がたじろいでいるようにも見える。

 ひどい、ひどすぎるわ!


「……では、行くか」

「え!? 嘘、本当に連れて行くんですの!?」


 どこからともなく風が吹き、ふわりと魔王と私の体が浮いた。依然がっちりと抱きすくめられているため私は抵抗することができない。


「ええっちょっと、あ……」

「たまには帰ってくるんじゃぞ~」


 ガシャンとひとりでにステンドグラスの窓が割れ、そこから私たちは城を後にした。


 魔界への時空の歪みをくぐり抜け、私の頭はぐらぐらと頭痛と吐き気に襲われた。朦朧とした意識の中で、父の間抜けな声が何度も何度も響いていた。


「たまには帰ってくるんじゃぞ~」


 ――絶対許さないんだから。お父様の薄情者!! ぜっっっったい無事に逃げ出して謝らせてやるんだから!!


 こうして私の長い長い苦難の日々が始まるのだった……


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