第1章 姫、連れ去られる

第1話 平和で少し退屈な日常に


 ――さかのぼること数週間前――


 私は実父である国王のもとへ急いで向かうため、王城の中庭を突っ切って近道をしていた。

 ここは平和な王国。大陸最大の領地と栄華を誇るこの国は、私が生まれてから一度も大きな争い事のない豊かな国だった。国周辺に生息する魔物もおとなしい草食種がほとんどなので、魔物退治といった物騒な事件もない。


 それもそのはず。この人間界を蹂躙せしめんとした魔王は、百年も昔に勇者によって倒されたのだから。


「でもよう、あの話は本当なのか?」

「ああ、あの予言か?」


 中庭を横切り反対側の通路に足を踏み入れたときに誰かの声が聞こえてきた。ここは滅多に人がいないはずなのに、誰かしら。見渡せば、壁際で隠れるようにして二人の兵士が噂話をしていた。


「そうそう魔王の子孫の話。新たに魔王を名乗ったって」

「どうやら本当みたいだぞ。だからお前もあんまり言いふらすなよ」

「なんでだよ大事件じゃん」

「だからだよ。この国が、いやこの世界が大混乱になるぞ。なんてったってもう勇者の血縁はとうの昔に……姫様!」


「あら残念。気づかれてしまったのね」

「しし失礼しました! 持ち場に戻ります!」

「あっ……もう少し詳しく聞きたかったわ」


 聞き耳を立てようと近づいたら気づかれてしまった。残念だわ、別に私は叱るつもりじゃなかったのに……

 私は肩を落としながらまた国王であるお父様のもとへと歩を進める。


「すごく興味のある話だったのに……」


 ぶつくさ文句を言いながら国王の間の扉を開ける。すると、いつも以上に慌てふためいたお父様が玉座から転げ落ちそうなほど前のめりになって大声を出した。


「やっと戻りおったか姫やああああ!」

「えっちょっと、どうしたのお父様」

「もうお前は外出禁止令じゃ……大事件が起こったからには……ううっ」


 お父様はもとから心配性だったけれど今回は異常だ。別に城の者の目を盗んで脱走しているわけではなく、他の兄姉より外出の頻度が少しばかり多いだけなのに。そう、ほんの、すこし。


「何よもう。お城に引きこもってばかりでは民の声など聞こえないと、お母様だってそう言っていたでしょう」

「だから……亡き妻の言葉通りお前のおてんばにも目をつむってきたが、もう外は危険じゃ。お前の身の安全を考えてこれからは自由行動は禁止にする」

「それって、魔王の子孫が現れたから?」

「ぐっ! なぜそれを……まあいい、そうじゃ。勇者の血縁も途絶えた今、早急な安全の確保と打開策が最優先じゃ」

「そうね、分かったわ」

「……もっと反発されると思っておったが、素直じゃな」

「私はね、お父様。自由に生きたいけれど迷惑をかけたいわけじゃないのよ」

「おお、おお……!」


 お父様は私の素直な言葉を聞いて涙を浮かべるほど感極まっていた。きっとおてんばを極める我が娘をどうやって説き伏せようか心配していたのだろう。そんな風に見えた。失礼な話ね。

 私だって王家の勉強は十分にしてきたつもりだし、お姫様らしく上品な振る舞いをするよういつも気を付けているのに。


「た、大変です!」


 すると突然ドタバタとうるさく足音を響かせながら一人の騎士が部屋に入ってきた。この人は騎士長を努めている……忘れたわ。

 遠くから全力疾走してきたのだろう、息が乱れて汗だくだった。


「どうしたというのだ!」

「魔物がっ……! 魔王軍と名乗る何百もの魔物が一瞬でこの城を取り囲んで……!」

「なんじゃと!?」

「転送魔方陣を仕掛けられていたようです!!」


 騎士長が話し終わると同時に落雷の轟音が鳴り響いた。先ほどまであんなに晴れ渡っていたのに。


 ――本当に? 夢じゃなく?


「なっ……とにかく、城へは一歩も踏み入れさせるな。わしは娘を安全な場所に……」


「その必要はない」


 ビシッビシビシッ!!

 数回まばゆい閃光が部屋を走り、全員が目をかばってまぶたを閉じた。


「ぐうっ」

「い、一体何が……」


 次に目を開けたとき、この部屋に先ほどまで存在しなかったが現れた。決して人間ではない、闇をまとっていると思うほど全身漆黒の鎧をまとった何か。

 しかしまるで最初からそこにいたかのように堂々とした出で立ちで私たちに声をかけてきた。


「まずは私の話を聞いてもらおうか」


 そう言い放った声は有無を言わさぬほどの圧力をはらんでいた。

 ……絶対に逆らわない方がいい。そう思えるくらい恐ろしい声に私やお父様だけでなく騎士長までもが動けなくなった。


 何でもない日々が、ずっと続くと思っていた。しかしそれはただの思い込みで、何の確証もない希望的観測なのだ。

 そんな平和で少し退屈な日常に現れたのは、この世界を揺るがすほどの恐怖だった。


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