終末への前奏曲
薫子が皇帝から勅命を受けた翌日、『大和』の作戦会議室において、第一艦隊の各艦の艦長や分艦隊の指揮官クラスの将官、佐官を集めた『神龍』討伐作戦の最後のブリーフィングが行われた。
近衛が作戦の概要を説明し終えると、薫子が席から立ち上がり、おもむろに口を開いた。
「これより我々は、本土を出撃し、トラック島にて第四艦隊、第五艦隊と合流する。総勢四百隻以上の大艦隊だが、『神龍』は必ず出てくる。何故なら、敵の狙いは帝国に対する復讐であり、恐らくこの私を討ち取ることだからだ」
薫子の言葉に居並ぶ将官、士官たちが一瞬ざわめいた。
「現にミッドウェーでは彼らは畏れ多くも皇帝陛下を弑逆しようとして第二艦隊に奇襲攻撃を仕掛けた。幸いにもその目論見は失敗したが、今度は大日本帝国の皇女であり、連合艦隊司令長官である私の命を狙ってくるだろう。彼らから見れば、この私も憎むべき復讐の対象であり、敵の首魁の一人だろうからな」
「では、元帥閣下はそれを御承知の上であえて自ら御出陣あそばすおつもりなのでございますか」
第七水雷戦隊の司令官である松本剛志准将が思わず立ち上がって発言した。薫子がうなずくと、松本准将は思わず血相を変えて叫んだ。
「それでは危険すぎます。いくら四百隻以上の大軍とはいえ、相手はわずか潜水艦一隻で第二艦隊、第三艦隊を打ち破った強敵ですぞ。それに戦場では一体何が起こるかわかりませぬ。やはり、閣下はここ横須賀鎮守府にお留まりいただき、後方から我らを指揮、督戦していただくのが最善かと思われますが」
「松本准将、貴官は私に対して自分の部下が戦っているところを安全な場所から見物していろとでも申すのか」
「いえ、決してそういうわけでは」
「確かに私は連合艦隊司令長官とはいえ、所詮は一介の小娘に過ぎぬし、軍歴や経験、それに用兵の手腕など、どれをとっても歴戦の海の勇者たる貴官らの足元にも及ばぬ。有り体に申せば、私などが戦場に出向いたところでかえって足手まといにしかならぬだろう。だが、私は無能であっても臆病者にはなりたくない。自分だけ安全な場所にいて、部下の将兵を命懸けの戦場に送り込むような真似など、私は死んでも嫌だ」
「閣下……」
「それに、先程も言ったように私が自ら出陣すれば敵も必ず喰らいついてくる。ならば、実戦においては何の役にも立たない私であっても、せめて敵に対する餌や囮としての役には立つだろう」
「そんな、大日本帝国の皇女ともあろう御方が囮などと……」
松本准将はなおも反論を言いつのろうとしたが、その時、場違いなまでの豪快な笑い声が作戦会議室の中に響き渡った。第一航空戦隊の司令官、山口多聞丸少将のものだった。
「いや、これは参りましたな。失礼ながら、この山口、司令長官閣下をいささか見くびっておりました。花も恥じらうような大日本帝国の第一皇女という高貴な御身分の姫君でありながら、大の男でも震え上がるようなミサイルや砲弾が飛び交う戦場に、しかもあえて自らを囮となされるために御出陣なされるとは……。その勇気、小官は心底感服いたしました。貴官らも今の御言葉を聞いたであろう。我らが御大将は北条政子や巴御前でさえも裸足で逃げ出すような天下無双の女将軍であらせられるぞ!」
山口の発言にその場にいた将官たちからどっと快哉が上がった。
「閣下にそこまでの御決心がおありでございますならば、我らももはやお止めいたしませぬ。我ら連合艦隊の将兵全員、たとえこの身を盾にしてでも閣下をお守りして御覧に入れましょう。西洋の騎士道では高貴な姫君のために己が命を捨てることは最上の名誉とされているそうですが、我らもまた、閣下の忠実な騎士として、喜んで一命を捧げましょうぞ」
山口の言葉にまたも将官たちの間から快哉が上がる。
薫子はしばし感激した面持ちで、沸き上がる部下たちの様子を見渡していたが、やがて声を張り上げて叫んだ。
「では第一艦隊将兵全員に命ずる。これより我と共にいざ決戦の場に赴かん! 皇国の興廃、この一戦にありと心得よ!」
かくして、皇紀二千七百二年八月八日、薫子率いる帝国海軍第一艦隊の全艦艇は、一路トラック島を目指して横須賀鎮守府を出撃していった。
ちょうど同じ頃、皇帝は皇宮の一室でドイツ連邦のフランツ・ヨアヒム・フォン・リッペントロップ駐日大使を相手にチェスをしていた。
「プリンツェシン・カオルコ殿下が率いる第一艦隊が横須賀から出撃したようですな」
白のクイーンの駒を動かしながらリッペントロップが言った。
「そのようですな」
同じく黒のクイーンを動かしながら皇帝が答えた。
「いよいよ大日本帝国もクイーンを動かさざるを得ない時が来たということですかな」
白のルックを動かしながらリッペントロップが言った。
「そうかもしれませんな」
再び黒のクイーンを動かしながら皇帝が答えた。
「まるで他人事のようですな。実の姉君があの『シンリュウ』と闘うために戦場に向かわれたというのに」
白のビショップを動かしながらリッペントロップが言った。
「そのように聞こえますかな」
またも黒のクイーンを動かしながら皇帝が答えた。
「……先程からクイーンばかり動かしておられますがよろしいのですか。あまり前に出しすぎるとこちらのルックやビショップに取られるかもしれませんぞ」
白のナイトを動かしながらリッペントロップが言った。
「取りたければどうぞ御自由に。たとえクイーンを取られたところで他にいくらでも駒はあるし、そもそもクイーンに頼らずに勝つというのが、余の信条ですからな」
またまた黒のクイーンを動かしながら皇帝が答えた。
「クイーンという駒は、前後左右、さらにはX字形にも動くことができる、言わばルックとビショップ両方の機能を併せ持つ最強の駒だが、それだけに得てして凡庸なチェスのプレイヤーは、クイーンの力に頼りすぎて思わぬ不覚を取るような無様な悪手を取る傾向がある。それならば、最初からクイーンなど敵に対する囮や陽動、あるいは敵の布陣を攪乱ための捨て駒だと割り切った方が賢明だとは思いませんかな」
「なるほど。一理ありますな。陛下が動かしておられるその黒のクイーンの駒。一見無造作に盤上を動いているだけかのように思われますが、こちらが取ろうと思うと、常にそちらのルックやビショップ、それにナイトに狙われる絶妙な位置に置かれている。カイザー・カズヒト陛下、やはりあなたは食えない御方でいらっしゃいますな」
「そういう貴殿こそ、こちらの罠に気づいていながら今まで黙っていたとは、余に負けず劣らず食えない性格をしておられるではないか」
二人はチェスの盤上を挟んで互いににやりとほくそ笑んだ。
「しかしクイーンが囮だとおっしゃるのならば、第一艦隊を率いて横須賀を出撃したプリンツェシン・カオルコも陛下にとっては所詮囮に過ぎぬのですかな」
「さあて、それはどうかな」
皇帝は悪魔じみた笑みを浮かべながら答えた。
「それよりヘスラー総統にお伝えあれ。いずれ近い将来、余とゲームを楽しみましょうと。こんな狭いチェスの盤上ではなく、<世界>を舞台にした人類の歴史上最大かつ最高のゲームをな……」
横須賀を出撃し、小笠原諸島沖を航行していた第一艦隊元に急報が訪れた。
「緊急入電です。フィリピン、レイテ島沖を航行していた我が軍の輸送船団八隻と護衛艦四隻が突然消息を絶ったとのことです」
オペレーターの言葉に『大和』艦橋にいた士官たちが一斉に色めき立った。
薫子は司令官席の傍らに立っている近衛に視線を向けた。
「恐らく、いえ、ほぼ百%間違いなく『神龍』の攻撃によるものでしょう」
近衛の返答に薫子はうなずいた。
「確かに貴官の言う通りだろうが、目的は何だと思う」
「恐らく挑発でしょうな」
「挑発?」
「俺たちはここにいるからさっさと連合艦隊の総力を挙げてかかってこいという意味ですよ」
近衛の言葉に薫子はわずかに微笑みかけたが、すぐに表情を引き締めた。
「たとえ挑発であるにせよ、輸送船団を攻撃したというのは見過ごし難い行為だ。すぐさま第四、第五艦隊を含め、全艦隊を現場に向かわせよう」
「お待ちください、これは敵の罠である可能性があります」
「罠だと?」
「はい、レイテ島沖を含むフィリピン近海は無数の島々が存在し、大軍が行動しにくい地形です。そこに我々を誘き出して各個撃破しようと企んでいるやもしれません」
「なるほど……。では我々はどうすべきだと思う?」
薫子の質問に近衛は意味ありげな笑みを浮かべた。
「そうですね。このまま何もなさらない方が一番よろしいかと存じます」
「何だと」
「そもそも『神龍』の最大の狙いは何だとお考えでいらっしゃいますか」
今度は逆に近衛が質問した。
「それは……横須賀でも言ったが当然私の命であろう」
「その通りです。敵がどんな小細工を重ねようが、その狙いは閣下とこの第一艦隊です。である以上、このまま粛々とトラック島に向けて進軍を重ねていけば、いずれ敵の方から姿を現すでしょう。第四、第五艦隊と共にトラック島に集結してから作戦行動を行なうというのが我が軍の基本的な作戦方針ですが、我々がこのまま無事にトラック島に到着するまで黙って見過ごしてくれるほど敵も甘くはないでしょうから」
「確かに。貴官の申す通りだろうが、仮に『神龍』が現われ交戦に及ぶとなれば、貴官はどこが戦場となると予想している?」
「そうですね……。恐らくマリアナ沖ではないかと考えています」
「その根拠は?」
「『神龍』の今までの戦歴を分析するとある一定の法則というか、パターンがあります。真珠湾、珊瑚海、そしてミッドウェー。いずれも百年前の先の大戦において、帝国軍がアメリカ軍に勝利した地です。その輝かしい栄光の記録を黒く塗りつぶすかのごとく、『神龍』はそれらの場所を戦場として選び、そして勝利を積み重ねてきました。つまり、『神龍』の艦長及び乗員は単に帝国軍に勝つだけでなく、帝国軍に勝つ場所も復讐の要素に入れているわけです。そう考えると、マリアナ沖こそ彼らにとって最高の復讐の舞台のはずです」
「二年前のあの事件ね……」
薫子がどこか遠くを見るような眼でつぶやく。
「そうです。帝国にとっても、また『神龍』にとっても全ての不幸の始まりとなったマリアナ沖での『神龍』撃沈未遂事件。恐らく彼らは、自分たちが帝国軍によって抹殺されかけた因縁の地で我々を迎え撃つつもりでしょう」
「全ての不幸の始まりとなった地が最終決戦の場所となるとは……何か運命の皮肉というものを感じずにはいられないわね。でもいいわ。彼らがそれを望むのならば、その挑戦、受けて立ちましょう」
薫子はそう言うと、決然たる視線をはるか彼方の水平線に向けて放った。
「帝国軍が動く気配はないか」
『ユリシーズ』の発令所の電子マップを見ながら神は副長の李に言った。このマップには、世界各地の協力者や情報提供者から送られてくるデータが自動的かつリアルタイムで表示されるようになっている。
「はい、今のところ、トラック島の第四、第五艦隊も周辺海域の哨戒を強化した以外は特に変化は見られず、第一艦隊も以前速度も進路も変えぬまま、小笠原諸島付近を航行中とのことです。
「ということは、第一艦隊はあと数日で小笠原からマリアナ諸島を経て、トラック島に到着することになるな」
「黄財閥、およびその他の反日組織から入手した予想進路をこのまま順当にたどるならば、恐らくそうなるでしょう」
「輸送船団を沈めて奴らを挑発したつもりだったが……。第四、第五両艦隊が動かぬとなると、やはり敵第一艦隊がトラック島に到着する前に叩く必要があるな」
「ということは、やはり……」
「そうだ。我々と第一艦隊、双方の現在位置からの距離・時間を計算するとマリアナ沖、今から二年前、我々が帝国軍に裏切られ、切り捨てられた最大の因縁の地が主戦場となる可能性が高い。恐らく敵もそう予想しているはずだ」
「しかし、第一艦隊を率いている連合艦隊司令長官は若干十七歳の皇女です。我々はそんな少女とも戦わなければならないのですか」
「十七歳の少女といえども大日本帝国の皇族、しかも帝国の第一皇女であり、あの皇帝の姉だ。我々にとって敵であることに変わりはない」
「…………」
「それに黄大人から聞いた話によると、『ホモ・デウス計画』によって超能力者に改造された人間は、その代償として生殖能力を失う可能性が高いらしい」
「生殖能力を失う? ということは……」
「そうだ。大日本帝国の皇室の直系の血を引く者は今現在二人しかいない。皇帝とその姉だ。しかし皇帝は自分の子孫を残すことができない。ということは、姉である皇女薫子が死ねば、たとえ皇帝がこのまま世界を征服しようとも、その支配は奴一代で終わり、帝国の皇統はいずれ断絶することになる」
「そのために、皇女薫子を殺すのですか」
「たった一人の人間を殺すことで、大日本帝国を滅ぼすことができるのならば、俺は相手が十七歳どころか三歳の女の子でも殺す。それが悪だというならば、俺はその悪を甘んじて受けて地獄へ落ちよう。それだけの覚悟はできているつもりだ」
神の断固たる強い口調に、李だけでなく、発令所にいた全員の間に重苦しい沈黙が流れたが、やがて李が深くため息をついた。
「わかりました。あなたにそれだけの覚悟がおありならば、我々も黙ってあなたについていきましょう。あなたが罪人ならば、ここにいる我々全員も言わば共犯者です。今さらあなた一人だけに罪を背負わせるような真似はいたしません。一緒に地獄へ落ちましょう」
李の言葉にその他の乗員たちも皆、無言でかすかにうなずいた。
神はそうした乗員一人一人の顔を見渡すと、静かに、だが力強く言葉を発した。
「どうやら皆も俺と同じように覚悟を決めてくれたようだな。ではいざ向かおう。マリアナ海域へ。俺たちの運命の地へ。恐らくそこが俺たちにとって最後の決戦の場となるはずだ」
その言葉と共に『ユリシーズ』は静かに動き出し、そして暗い海の彼方へと消えていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます